つわものどもが…■01
燦々と降り注ぐ陽射しが心地よい窓際の席で、俺は万年筆を持つ手で軽く口元を隠しながら欠伸をひとつ溢した。
学校施設とは思えない程に立派な図書室の閲覧席は、いいお昼寝スポットと化している。
この春から俺は晴れて大学生となり、親元を離れた。
自身を取り巻く環境の変化…という程のものでもないが、ともあれ今までとは違う生活環境にようやく慣れてきた俺は、もう少し世界を広めようかと履歴書なるものを書いている。学生課に行けばアルバイトの紹介を受けられるようだし、後学の為にも少し社会を知っておいた方がいいと思ったからだ。自分で言うのもアレだが、今までの俺は微温湯どころかシロップ漬けに近いくらいに甘やかされてきたからな…
「お、政宗じゃねぇか」
己の辿ってきた道筋を簡素に書き記したそれを眺めていた俺に、ここ最近で馴染んでしまった声が降りかかった。と思った時には声の主は俺の反応も気にせず、目の前の席にドカリと座っていた。
「Hum…アンタでも図書室なんぞに来る事あるんだな、」
驚いた、と態とらしく表情をつくって言ってやると、
「てめぇ、いい度胸じゃねぇか」
言葉の割に険のない顔で、元親が答える。
長曾我部元親、長身な上にがっしりとした体躯でそれでなくても目立つだろうに、白銀の髪を無造作に立ち上げ、派手な色の眼帯を好んでつけている変わり種だ。俺の右目が見えないようにコイツは左目が駄目らしい。らしい、というのは具体的に聞いていないから憶測でしかない。
入学式の後、偶然に知り合ったこの「先輩」は何故か学部の違う俺を気に入ってくれたらしく、矢鱈とからんでくる。だが、それを邪魔くさいとは思いつつ嫌がっていない事に、正直俺は驚いた。嫌がっていないどころか、寧ろその存在を当然のように受け止めている。理屈ではない、本能に近い部分で。
「なんだ、履歴書?」
元親は俺の手元にあった書類に興味を持ったらしく、ぬっと腕を伸ばしてくると紙片を引っ張った。別段、見られても構わないので(そりゃそうだ)添えていた手を少しだけ持ち上げて素直に元親のするに任せる。
「ふーん、バイトでもすんの?」
書類が履歴書だと分かっておおよその見当をつけたのだろう。入学したての学生が履歴書と言えば、それくらいの使い道しかないだろうしな。
「まぁな」
「出来ンのかぁ?」
器用に片眉を持ち上げてからかうように言う元親に、俺はフンと小さく鼻を鳴らした。
「You never know until you try,やりもしねぇうちから決め付けンな」
「……違ぇねえ」
俺の生意気な態度(自分でも分かっているが、これが「俺」なのでどうしようもない)でも元親は機嫌を損ねるでもなく対応してくれる。だが、時折…今もそうしたように、ほんの少しだけ寂しそうな顔を覗かせる時がある。
それが、俺の心に静かに深く、澱のように沈んでいく。
俺は、なんとはなしに顔を俯かせた。
「どうした政宗?」
心配そうな元親の声。アンタの所為じゃないんだ、悪ぃ。
「あー…俺なんか余計な事言ったか?あ、いやさっきのは別にお前を馬鹿にして言ったんじゃぁ…」
必死になって弁解する元親の優しさが何処かくすぐったい。なんでもない、と言おうとしたのだが、
「愚か者が、図書室で騒ぐでないわ」
タイミングを奪ってくれた闖入者の声に、俺は顔を上げた。
「元就さん」
元親の持っていた履歴書を取り上げてしげしげと眺めているのは、元親と時を同じくして出会った先輩だ。
毛利元就、この人も長身ではあるが、すらりと細身で元親とは対照的だ。対照的、と言えば。声や動作の大きな元親と違って、元就さんは立ち居振る舞いが物静かだ。今みたいに、気付けば近くに居たという事も多い。人の気配に敏いほうの俺でさえ、驚かされる事がある。
「なるほど、アルバイトを探しているというのは真のようだな」
それでもって、謎めきな情報源を持っている。
「Ya,学生課で紹介してもらえるって聞いてな」
言って、掌を上に片手をあげれば、履歴書が戻ってきた。
「学生課になど行かずとも、我の手伝いをすればよかろう」
「それバイトじゃねーし、社会に出た事になんねーだろ」
手渡された履歴書をクリアファイルに仕舞い、通学に使っているショルダーに収める。
「なんだ、政宗は社会に出たいのか?学生終わったら嫌でも出るんだぜ?」
頬杖をついて興味深そうに聞いて来る元親に、
「相変わらずの甘さよな…」
その隣に腰かけた元就さんが小馬鹿にしたように口の端を持ち上げて言った。これで付き合いが長いってんだから不思議だ。
「テメェは黙ってろ、俺は政宗に聞いてンだよ」
「二度も言わせるな、痴れ者め」
噛み付いてきた元親に元就さんは手にしていたファイルを容赦なく見舞った。顔面に。本当に、なんで友達やってんだろ。
「アンタだって、世界が見たいとか言って2年も学生休んでたんだろ?似たようなもんじゃねーか」
聞いた話では、元親は2回生になった途端、いきなりバイトの鬼になったのだとか。それで軍資金を作って休学申請を出して、何を思ったか海外へ飛び出していったらしい。
「それが愚かというのだ。目的もなく、世界規模で無為な時間を過ごすなど」
だから、同い年で幼馴染(当人同士は腐れ縁だと言い張るが)のこの二人が、片や3回生で片や院生でチューターという差が出来たのだとも。
「お前に言われるとほんっとに腹立たしいな」
「真実を言うたまでだ」
「なにを…っ」
「三度言わせるつもりか、」
バシ、と小気味良い音が成り立っているかどうか怪しい会話を無理矢理終わらせた。勿論、元就さんのファイルが元親の顔面を叩いた音に他ならない。
「Calm down,俺の履歴書1枚からよくそこまで発展するなぁ…」
取り敢えず顔は止めてやれ、と元就さんに言うと、あからさまに嫌そうな顔をされた。
「あー政宗、お前べつに生活費に困っちゃいねぇだろ?マジでなんでバイト?」
「俺がバイトやっちゃ駄目なのかよ」
「そうは言わん。が、あの強面の側近が認めるか?」
「うっ…realに痛いトコ突いてくれるな、元就さん」
そう、そこが問題なんだよ。
「やっと一人暮らし出来るもんだと思ったのに、条件が小十郎が傍にいる事、だぜ…ガキじゃねぇってんだよ」
俺が頭を抱えてそう言うと、大きな手がガシガシと髪をかき混ぜた。こんな事すんのは元親だ。
「あの人が口煩いのは今に始まった事じゃねぇだろ」
ぐしゃぐしゃになった頭を上げると、
「…おい」
「あ、」
元就さんと元親が妙なアイコンタクトを取っていた。これが幼馴染の感覚なのかな。
「そうなんだよなぁ、」
頭に乗せられたままの手を払って溜め息をひとつ。
「The Statesから帰ってきたら、家庭教師だっつってよ…今時、住み込みの家庭教師なんかあるかァ?」
しかも面倒見てくれんのは勉強だけじゃないときた。いくら俺が当時小学生で3年ばかしアメリカに居たからって、そこまで世間知らずじゃねぇよ。
「まぁまぁ、心配されてるウチが華ってもんだぜ?」
「…けどよぉ、」
「それだけ気を掛けられておるのだ、受入れよ」
「くくっ、面倒臭ぇ言い回しだなぁ、おい?」
「黙れ」
学校施設とは思えない程に立派な図書室の閲覧席は、いいお昼寝スポットと化している。
この春から俺は晴れて大学生となり、親元を離れた。
自身を取り巻く環境の変化…という程のものでもないが、ともあれ今までとは違う生活環境にようやく慣れてきた俺は、もう少し世界を広めようかと履歴書なるものを書いている。学生課に行けばアルバイトの紹介を受けられるようだし、後学の為にも少し社会を知っておいた方がいいと思ったからだ。自分で言うのもアレだが、今までの俺は微温湯どころかシロップ漬けに近いくらいに甘やかされてきたからな…
「お、政宗じゃねぇか」
己の辿ってきた道筋を簡素に書き記したそれを眺めていた俺に、ここ最近で馴染んでしまった声が降りかかった。と思った時には声の主は俺の反応も気にせず、目の前の席にドカリと座っていた。
「Hum…アンタでも図書室なんぞに来る事あるんだな、」
驚いた、と態とらしく表情をつくって言ってやると、
「てめぇ、いい度胸じゃねぇか」
言葉の割に険のない顔で、元親が答える。
長曾我部元親、長身な上にがっしりとした体躯でそれでなくても目立つだろうに、白銀の髪を無造作に立ち上げ、派手な色の眼帯を好んでつけている変わり種だ。俺の右目が見えないようにコイツは左目が駄目らしい。らしい、というのは具体的に聞いていないから憶測でしかない。
入学式の後、偶然に知り合ったこの「先輩」は何故か学部の違う俺を気に入ってくれたらしく、矢鱈とからんでくる。だが、それを邪魔くさいとは思いつつ嫌がっていない事に、正直俺は驚いた。嫌がっていないどころか、寧ろその存在を当然のように受け止めている。理屈ではない、本能に近い部分で。
「なんだ、履歴書?」
元親は俺の手元にあった書類に興味を持ったらしく、ぬっと腕を伸ばしてくると紙片を引っ張った。別段、見られても構わないので(そりゃそうだ)添えていた手を少しだけ持ち上げて素直に元親のするに任せる。
「ふーん、バイトでもすんの?」
書類が履歴書だと分かっておおよその見当をつけたのだろう。入学したての学生が履歴書と言えば、それくらいの使い道しかないだろうしな。
「まぁな」
「出来ンのかぁ?」
器用に片眉を持ち上げてからかうように言う元親に、俺はフンと小さく鼻を鳴らした。
「You never know until you try,やりもしねぇうちから決め付けンな」
「……違ぇねえ」
俺の生意気な態度(自分でも分かっているが、これが「俺」なのでどうしようもない)でも元親は機嫌を損ねるでもなく対応してくれる。だが、時折…今もそうしたように、ほんの少しだけ寂しそうな顔を覗かせる時がある。
それが、俺の心に静かに深く、澱のように沈んでいく。
俺は、なんとはなしに顔を俯かせた。
「どうした政宗?」
心配そうな元親の声。アンタの所為じゃないんだ、悪ぃ。
「あー…俺なんか余計な事言ったか?あ、いやさっきのは別にお前を馬鹿にして言ったんじゃぁ…」
必死になって弁解する元親の優しさが何処かくすぐったい。なんでもない、と言おうとしたのだが、
「愚か者が、図書室で騒ぐでないわ」
タイミングを奪ってくれた闖入者の声に、俺は顔を上げた。
「元就さん」
元親の持っていた履歴書を取り上げてしげしげと眺めているのは、元親と時を同じくして出会った先輩だ。
毛利元就、この人も長身ではあるが、すらりと細身で元親とは対照的だ。対照的、と言えば。声や動作の大きな元親と違って、元就さんは立ち居振る舞いが物静かだ。今みたいに、気付けば近くに居たという事も多い。人の気配に敏いほうの俺でさえ、驚かされる事がある。
「なるほど、アルバイトを探しているというのは真のようだな」
それでもって、謎めきな情報源を持っている。
「Ya,学生課で紹介してもらえるって聞いてな」
言って、掌を上に片手をあげれば、履歴書が戻ってきた。
「学生課になど行かずとも、我の手伝いをすればよかろう」
「それバイトじゃねーし、社会に出た事になんねーだろ」
手渡された履歴書をクリアファイルに仕舞い、通学に使っているショルダーに収める。
「なんだ、政宗は社会に出たいのか?学生終わったら嫌でも出るんだぜ?」
頬杖をついて興味深そうに聞いて来る元親に、
「相変わらずの甘さよな…」
その隣に腰かけた元就さんが小馬鹿にしたように口の端を持ち上げて言った。これで付き合いが長いってんだから不思議だ。
「テメェは黙ってろ、俺は政宗に聞いてンだよ」
「二度も言わせるな、痴れ者め」
噛み付いてきた元親に元就さんは手にしていたファイルを容赦なく見舞った。顔面に。本当に、なんで友達やってんだろ。
「アンタだって、世界が見たいとか言って2年も学生休んでたんだろ?似たようなもんじゃねーか」
聞いた話では、元親は2回生になった途端、いきなりバイトの鬼になったのだとか。それで軍資金を作って休学申請を出して、何を思ったか海外へ飛び出していったらしい。
「それが愚かというのだ。目的もなく、世界規模で無為な時間を過ごすなど」
だから、同い年で幼馴染(当人同士は腐れ縁だと言い張るが)のこの二人が、片や3回生で片や院生でチューターという差が出来たのだとも。
「お前に言われるとほんっとに腹立たしいな」
「真実を言うたまでだ」
「なにを…っ」
「三度言わせるつもりか、」
バシ、と小気味良い音が成り立っているかどうか怪しい会話を無理矢理終わらせた。勿論、元就さんのファイルが元親の顔面を叩いた音に他ならない。
「Calm down,俺の履歴書1枚からよくそこまで発展するなぁ…」
取り敢えず顔は止めてやれ、と元就さんに言うと、あからさまに嫌そうな顔をされた。
「あー政宗、お前べつに生活費に困っちゃいねぇだろ?マジでなんでバイト?」
「俺がバイトやっちゃ駄目なのかよ」
「そうは言わん。が、あの強面の側近が認めるか?」
「うっ…realに痛いトコ突いてくれるな、元就さん」
そう、そこが問題なんだよ。
「やっと一人暮らし出来るもんだと思ったのに、条件が小十郎が傍にいる事、だぜ…ガキじゃねぇってんだよ」
俺が頭を抱えてそう言うと、大きな手がガシガシと髪をかき混ぜた。こんな事すんのは元親だ。
「あの人が口煩いのは今に始まった事じゃねぇだろ」
ぐしゃぐしゃになった頭を上げると、
「…おい」
「あ、」
元就さんと元親が妙なアイコンタクトを取っていた。これが幼馴染の感覚なのかな。
「そうなんだよなぁ、」
頭に乗せられたままの手を払って溜め息をひとつ。
「The Statesから帰ってきたら、家庭教師だっつってよ…今時、住み込みの家庭教師なんかあるかァ?」
しかも面倒見てくれんのは勉強だけじゃないときた。いくら俺が当時小学生で3年ばかしアメリカに居たからって、そこまで世間知らずじゃねぇよ。
「まぁまぁ、心配されてるウチが華ってもんだぜ?」
「…けどよぉ、」
「それだけ気を掛けられておるのだ、受入れよ」
「くくっ、面倒臭ぇ言い回しだなぁ、おい?」
「黙れ」
作品名:つわものどもが…■01 作家名:久我直樹