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immortal lover

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「た、ただいま。遅くなった」

言いながら俺は、靴を脱ぐのももどかしく、息を切らせていた。
毎日のことだが、いや、毎日のことなのに、俺はこうやって焦る。
そんな俺を見て、彼女は呆れたように―――でも、嬉しそうに、こう言う。

「おかえりなさい。もう、そんなに急がなくたっていいっていつも言ってるのに」

この笑顔を見て、ようやく俺は一日の終わりと、安堵、そして幸福を噛み締める。

俺に笑顔が浮かんだのを確認してから、彼女はキッチンへ戻っていった。



ネクタイを解き、窮屈なスーツのボタンを外し、寛ぐ。
それこそ毎日のことなのに、毎日それを思う。
“こんなに幸せでいいのだろうか?”

高校2年の終わりと同時に、俺は日本…彼女のもとを離れ、ウィーンへと留学した。
その後も連絡を取り続け、5年の月日が経ったあの日、俺はようやく日本への凱旋を叶えた。

それから―――

あの日から、もう3年も経つ。
てっきり一人で帰ると思っていたウィーンに、彼女はついてきてくれた。
留学、の切符を嬉しそうに俺に見せながら。

日本での大学生活の4年間、必死に留学費用を積み立てていたらしい。
月森くんより5年も遅くなってしまったけれど、と。

それから今まで、俺たちはこの場所で共に暮らしている。

「………」

「どうかした?」

不審そうに俺の顔を覗き込んでくる彼女の手には、夕食がのった皿が見えた。

「………あ、いや。少し…考えていた」

「何を?」

「こんなに幸せでいいのだろうか、と」

彼女は一瞬きょとんとした顔を見せたが、すぐに笑顔を見せてこう言った。

「いいんだよ。月森くんはいつも頑張ってるんだから、このくらい」

“幸せ”を夕食のことと勘違いしたのだろうか。
いや、それもまた一つの“幸せ”なのだが…。
口に出すのも野暮ったいと思って、俺は全てを明かすのをやめた。

「馴染んだ日本食を食べることができるのは、この場所だけだからな」

いただきます、と手を合わせる。

彼女も、さほど料理が得意なわけではなかったらしい。
しかし、ウィーンに来るにあたって、日本食のレシピや料理本を山のように持ってきた。
そのおかげで、俺は外食では楽しめない日本食を、毎晩食べることができている。

「しかし…。最初こそ砂糖と塩を間違えていた君でも、今では店が開けるくらいに上達したな」

噛み締めるその料理からは、彼女の努力と愛情が滲み出てくるようだった。

「店が開ける、とは言いすぎだよー。…っていうか、塩と砂糖間違えたりなんかしてないよ!あれは、砂糖と片栗粉の分量を間違えただけで、」

「同じようなものだろう?」

「全然違いますっ!」

…と言いながら、あれ?これまだ少しかたいな…などと呟いている。

「ま、そんな私でもトロピカルカレーの味は再現できないけどね!」

「あ、あれは…!加地が独断で作ったもので…!」

「うーん、私も今度挑戦してみようかな?トロピカルカレー。幸い、うちにはヨーグルトが常備してあるしぃ」

「そ、そんなくだらないものでヨーグルトを無駄にしないでほしい」

長く付き合った友人が少ないこのウィーンで、思い出を語れるのも彼女ただ一人。
こんな雑談を交わしている時、俺は本当に安らいでいるのだと実感する。

彼女さえいてくれればいい。
そんな愚かしいことを考える時だって、ある。

だからなのか―――
もし彼女を失ったら、俺はどうなってしまうのか、と恐ろしい想像をしてしまうことさえある。

もし彼女を失ったら―――

「………月森くん?」

はっとする俺を見て、彼女は首を傾げた。
…疲れているのかもしれない。今日はなんだが妙に一人で考え込むことが多いな。

「…あ、ああ。幸せすぎるとありもしないことを考えて、不安になってしまうのは人間の性だと思って」

「………?まぁ、そうだね。逆に疑っちゃうことって、あるよね」

しかし、そんなことを考えた時、目の前にあるのはやはり幸せな現実で。
そのたびに、自分自身が作り出した不安が払拭される。

「さて、と。ごちそうさまー。お風呂入ってるよ、月森くん」

「ああ、ありがとう」

片付けを始める彼女にならって、俺も自分の皿をキッチンへ運んだ。







「………それ、今日やならきゃいけないの?」

既に明かりを消し、暗くなった寝室の隅。
書斎は別にあるが、寝室にも簡易作業用に机を置いている。

そこで、小さな明かりをともし、次の公演の書類を確認していた俺の背後から、彼女が覗き込んできた。

「…いや、別に今日やらなければいけないことではないが…。公演が近くなると、どうしてもそわそわしてしまって」

眼鏡を外し机に置いて、彼女を振り返る。

「先に寝ていてくれて構わない」

「…そっか。じゃあ、先に休んでるね」

「ああ」

ごそごそとベッドに潜り込む音が聞こえる。

「……………」

ふと、書類をめくる手を止める。
しばし考えてから、俺は書類を片付け、机の明かりを消した。

「あれ………?」

布団の下から顔を覗かせた彼女が、ベッドへ向かう俺を不思議そうに見ている。

「もういいの?」

半身を起こそうとする彼女を宥めて、俺もベッドへ入る。
既にベッドの中は彼女の体温で温められていた。

「ああ。今日やらなければいけないことではないし」

すると、彼女は嬉しそうに顔を綻ばせた。

「―――香穂子、」

抱き寄せた彼女の体は、とても温かくて。
この幸せを逃しはしまいというように、しっかりと抱きしめた。















「………ん」

目が覚めると、いつも不安で。
まだ覚醒しきっていない脳は、「彼女を探せ」と命令する。

彼女はいつも、俺に腕を掴まれた感触で目を覚ますのだという。

「………?」

ない。
柔らかで、繊細で、美しい調べのヴァイオリンを奏でるその腕。
寝ぼけなまこを擦ってベッドを見渡したが、彼女はいなかった。

…と、ようやく意識がはっきりしてきたのか、あることを思い出した。
このところ、彼女はいつも俺より早く起きて、ベッドを離れている。

そして―――

あまり聞き慣れない機械音に、その音を辿って寝室を出た。



「………」

深刻そうな彼女の前には、耳障りな音を立てて紙を飲み込んでいく機械があった。
………シュレッダー?

「………香穂子」

「!」

大袈裟に驚いて、彼女は俺の方を振り向いた。

「あ………、おはよう、月森くん」

「おはよう。………何をしているんだ?こんな朝早くから」

「えっ…えっと、ゴミ出さなきゃいけないから…。いらない書類を処分してて…。あ、音で起こしちゃったかな?」

なるべく静かなのを買ったつもりなんだけど、ごめんね、と彼女は謝った。

どうやら最後の一枚だった書類は、シュレッダーの中へと飲み込まれていった。

「いや…。音で起きたわけではないんだが…。やけに念入りだが、君の書類か?」

「あ、当たり前じゃない!月森くんの書類を勝手に処分したりしないよ!」

そういう意味ではなかったのだが。
…どこか、様子がおかしい気がする。
作品名:immortal lover 作家名:ミコト