A clematis
かなではゆっくりと目を閉じて、言った。
「…八木沢さんて、もしかして…むっつり?」
「………っ!」
ばっ!と八木沢の体が離れた。
「ぼ、僕は、そんなつもりでは」
「あははっ、冗談ですっ!もう、今更赤くなって」
「………ははは、本当にあなたは容赦ありませんね」
二人して笑った。
「…でも。私、ちゃんと八木沢さんの感触、覚えてます。次に会える時まで…」
「僕もです。…明日は、朝一番の新幹線で帰ります。あまりこちらに留まってしまったら、帰りたくなくなってしまいますから」
「あ…あの、私、東京駅に…」
「いいえ、送りはいりません。…でも、お願いがあります。また試験で東京に来る時は、東京駅で迎えて下さいますか?」
「………はいっ!」
「それでは…また。お元気で、小日向さん」
「八木沢さんも!…また、電話します!ブログも…っ」
八木沢は頷いて、かなでに背を向けた。
またすぐに会えるとわかっているのに、やはり別れの時は寂しい。
かなでは、寮に帰った後、少しだけ一人で泣いた。
「小日向さん!」
息を切らせかけてくる八木沢。
かなでは微笑みながら振り向いた。
「す、すみません。また、地下鉄で迷ってしまって…」
季節は、あと少しで桜が開花するところまできている。
―――八木沢は、宣言通り、特待生として専門学校に合格した。
住む場所も決まり、引越も終わって…
ようやく落ち着いてデートができる、今日この日。
「私も、こっちに引っ越してきた時はそうでしたよ。でも大丈夫!半年も住めば、慣れます」
「上京の先輩にそう言ってもらえると、心強いですね」
特に目的地も決めていなかったが、二人はどちらともなく歩き出す。
「ダンボールも大方片付いたので…。今度、是非遊びにきて下さいね」
「もちろん!たくさん遊びに行きます!」
横浜と仙台。
会いたくても会えない距離にいた二人なのに、今はこうして当たり前のように肩を並べて歩いている。
…本当に、夢のようだ。
「そうそう、柚木さんに…アルバイトの承諾を頂けました。ただし、僕は裏方、とのことですが」
「本当ですか?!やったー!」
「仕送りは最低限にしてもらっていますから、やはりアルバイトもしないと。…越してきてすぐにアルバイト先が見つかるなんて、幸せですね」
「しかも、一緒のお店で働けるなんて!…うーん、でも…あんまりいちゃいちゃしないように、気をつけないと…」
「小日向さんは、香穂子さんのようになるような気がしますね。たやすく想像できてしまうな」
本望です!と言い切るかなでに、八木沢は笑う。
「…えーと。八木沢さん、こっちに越してきたら、お願いしたいことがあったんですけど…」
「…?なんでしょう?」
「えっと」
二人が歩くのは、港桟橋。
春の暖かな陽射しが、水面にキラキラと反射している。
「………そろそろ、私のこと名前で呼んでくれませんか?あと、敬語もストップ」
「あ………」
改めて言われて気づく。
…確かに、恋人同士なのに、いつまでも敬語で話すのは変だ。
でも、いきなり変えろと言われても、なんだか照れ臭い。
「………かなで、さん」
「さん、はナシ」
「………かなで」
八木沢は小さな声で言った。
首を摩るいつものクセ。
「…うふふ。なぁに、雪広?」
「!!!」
かなでを呼び捨てにするのも照れるが、かなでに呼び捨てにされるのも照れる。
こそばゆい、でも嬉しい感覚はなんだろう。
「………あっ、じゃあ、その。僕も…かなでに、お願いしたいことが…あるんだけど…」
わざと敬語を使わないように慎重に話す彼は、大変しどろもどろだ。
なに?とかなでは聞く。
「これ。火積たちにもらった、新幹線の回数券なんだけど…。その、もしよかったら…。5月の連休にでも、一緒に仙台へ行かないかい?」
「あ………!」
はにかみながら回数券を見せる八木沢。
…それはただ、行ってみない?というような軽い誘いではなくて…
「火積や水嶋たちもね。かなでに会えたら、きっと喜ぶと思う。…もちろん、僕の家族も」
「行く!絶対行く!」
ずっと大切にする―――
その言葉に、嘘なんてないから。
二人は仲睦まじく手を繋ぎながら、港桟橋を歩いた。
END
作品名:A clematis 作家名:ミコト