A clematis
一人取り残されたかなでは、反対側のテーブルにビクビクしながら過ごした。
「…お待たせしました。ごめんなさい、一人にしてしまって」
「あ…あああ、大丈夫です」
八木沢が席につくと、次いで柚木と香穂子が料理を運んできた。
二人は反対側のテーブルにビクビクしながら、料理をおいしく頂いた。
「やっぱりおいしいな、ゆずのはのお料理は」
「ですよね。私も、ゆずのはでアルバイトさせてもらえないかな…」
「それはいいですね。…僕も、こっちに住み出したら頼んでみようかな」
「もしかしたら、二人で働けるかもしれないですよね?!うわあ、頼んでみよう!」
ようやく反対側のテーブルに対する緊張感も解れてきた。
「そうそう、学校はどうでした?」
「ええ、新設されたばかりの学校ですので、きれいですし…理想通りの学校でした」
「よかった。春から楽しみですね!」
「はい。………そろそろ、大丈夫かな」
失礼します、と八木沢は席を立ち、柚木に声をかけた。
「………?どうしたのかな?」
「みなさん、今日は僕のために集まって頂き…素晴らしい演奏まで聞かせて下さって、本当にありがとうございました。これは、僕からのささやかなお礼です。どうぞ、召し上がって下さい」
「あ………!」
八木沢が、柚木と一緒に運んできたのは、デザートだった。
食事の前に席を外した時、これを作っていたのか。
「なんだこれ、すげー!」
「きれい…ですね…」
「本物のお花みたい…」
先にデザートが運ばれた反対側のテーブルからは、そんな声が聞こえてくる。
「…お待たせしました。どうぞ、小日向さん」
「あ、ありが………あっ!」
目の前に置かれた皿を見て、かなでは声を上げた。
これは…
「テッセン…?」
「そうなんです。あの夏、あなたと一緒に見た、テッセンの花です。それをイメージして、作ってみたんです」
あの夏、菩提樹寮に咲いていたテッセンをそのまま再現したような青紫の花びら。
その下は、透明の寒天が敷き詰められて、まるでテッセンの花を氷水に浮かべたように見える。
テッセンの花びらには、水飴が散らされ、まるで水を浴びたようにみずみずしい。
「す…すごい…!なんだか、食べるのもったいない…!あれ、八木沢さんの分は…?」
八木沢の前には、デザートが置かれていなかった。
「実は、材料は自分で持ってきたのですが…。まさか、こんなに人がいらっしゃるとは知らなくて、ゆずのはにあった材料を少しお借りしてしまったんです。あまり使わせて頂くわけにもいきませんから、少しだけ。だから、僕の分は省きました」
「えっ、でも…」
「いいんですよ。…試作段階で、いやというほど自分で食べましたから。…僕にとっては、小日向さんがそのデザートを召し上がる姿を見るだけで、デザートを頂いているようなものです」
「……………!」
ぽっ、と赤くなったかなでを見て、八木沢は微笑む。
かなでは、じゃあ、と言って、デザートを食べ始めた。
「………おいしい!」
「よかった。色が奇抜ですから、見た目のままの甘さを控えるのが大変だったんです」
「この色から、この味と食感は意外かも…!す、すごいです!たくさん研究されたんでしょう?」
「ええ、何度も作り直しました。…このお菓子は、特待試験で提出する予定なんです」
「あっ…そうか!はい、これなら絶対…っていうか、もう商品化できるんじゃ…」
「ふふ、まだまだですよ。でも、このお菓子を作ることができたのは、あなたがいて下さったからです。あなたとの思い出や、あなたへの想いが…作り上げてくれた」
かなでは、夏の記憶を辿る。
「演奏に花がない」と言われ、悩んでいた時…
さりげなく声をかけてくれて、相談に乗ってくれたのは彼だった。
最初は、いい人だなぁ、くらいにしか思わなかったのに。
いつの間にか、なんでもかんでも彼を頼り、一緒にいることで安心し、また楽しいと思うようになって。
音楽を蔑ろにしかけていたことを、叱責されて。嫌われてしまったのかと、すごくショックではあったが―――甘やかすだけではない、彼の強さにますます惹かれてしまった。
それから、気づいた。
敗戦校のメンバーに演奏の相談をするなど、どれほど残酷なことだったのか―――
八木沢が、部長だからという理由で、どれだけ辛い気持ちをひた隠していたのか。
それなのに、平気なふりをして、真剣に相談に乗り、自分を心から応援してくれたこと―――
八木沢に恋をしたのだと自覚するまで、時間はかからなかった。
自分から想いを打ち明けようとしたのに、まさか彼から告白されるなんて思っていなかったし。
本当に、私は幸せだ―――
「こ…小日向さん?どうか…されたんですか…?」
ぽたり、とテッセンの花びらに水が落ちたのが見えて、かなでの顔を見ると。
かなでは泣いていた。突然のことに驚く。
「ち、違うんです。私、嬉しくて…本当に、幸せだなぁって思ったら…」
「………。僕もです。あなたの涙を見ると心が痛みますが…あなたの嬉し涙は、美しいですね」
かなでは泣きながら顔を赤くして、ぶんぶんと首を振る。
それから、残りを惜しむようにして、デザートを食べた。
「楽しそうでしたね、柚木さんたち」
終電があるからと、八木沢たちは先に店を出てきたが…
星奏学院の卒業生たちは、これからお酒が入るらしく、朝までゆずのはにいるつもりらしい。
八木沢のデザートは好評で、商品化できるならぜひゆずのはの新メニューに追加したい、などと言われるほどだった。
何度もお礼を言って、店を後にしたが、
やはり二人ともまだいたかったというのが本音。
新横浜駅まで、話しながらゆっくり歩いたものの…
やはり、楽しい時間は過ぎるのが早かった。
「…45分の電車です。………」
「あと10分…ですか」
深夜0時前だというのに、若者で賑わう駅前。
二人は、その中に埋もれるようにしてぽつんと立っていた。
「…小日向さん。今日は…あなたに会えて、素敵なパーティーまでしてもらえて…本当に嬉しかった。ありがとう」
「私こそ。八木沢さんの作った和菓子、本当に美味しかったです。せっかく会えたのに…もう、お別れなんですよね…」
「東京には、また試験の日に来る予定です。合格したら…いつでも、好きな時にお会いできるんです。それに比べたら、離れてしまうのは、ほんの僅かの時間だから…」
「………っ!」
雑踏の中、二人を取り巻く時間だけは、止まったような気がした。
肌寒さに微かに震えていたかなでの体は、八木沢の温かな体温に包まれる。
「や、八木沢さんっ…」
今まで何度か手は触れ合ったものの、こんな風に抱きしめられたことなどない。
しかも、公衆の面前で。
夏には、森の広場でいちゃついているカップルを見ただけで、赤くなっていたのに。
「こんな大勢の人がいる中であなたを抱きしめるなんて…驚きましたか?」
抱きしめられたまま、耳元で囁かれて、かなではこくこくと頷く。
「こうして互いの感触を覚えておけば、きっと会えない間も耐えられると思うんです」
「………」
作品名:A clematis 作家名:ミコト