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璃琉@堕ちている途中
璃琉@堕ちている途中
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あなたにおやすみを云う日

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困ったように膝に重ねられた指先は、控えめなピンクを閉じるホワイト。

「君と、こういう時間を過ごしてみることにしたんだ」
「だからって…何で、こんな」
「…解らない」
「馬鹿じゃないの」
「ハハハ…うん」

凛と伸ばされた華奢な首筋。そこから移動させた目線の先に、温度の低い眼差しがあった。
ドアを開けた瞬間からずっと、プラスの反応だ。
そっと、黒ずんだような目の下に触れる。ファンデーションでも隠し切れなかったらしい。よく見れば、擽ったそうに細められた眼球も充血して、憔悴しているようだった。

「隈、出来てるね」
「貴方こそ」
「もしかして、あの後、眠れなかった…?」
「…貴方こそ」

彼女の、細い指先から伸びる綺麗に整った爪が、俺の眼下の辺りを撫でる。辿々しい手つきが、図らずも胸をざわめかせた。
ふらふらとしていた視線が絡み合う。互いの瞳を、覗き込む。
こんなに距離を縮めたことがない。こんなに触れ合ったことがない。

「昨夜、どうして、眠れなかったの?」
「……………」
「もしかして、俺のこと…考えてた…?」

彼女は応えなかった。ただ、片眉を下げて薄く微笑むだけだった。諦めたように。
こんなに、人を、女を、―――彼女を愛しく感じたことがない。
今は、これで良いと思った。良いと思えた。
乾いた、けれど滑らかな下唇に親指を添えてみる。落ち着き過ぎだ、明るい華やかな色も似合うだろうに。

「キス、するね?」
「………そこは、嫌よ」
「…生殺し?」
「何とでも言いなさい」
「仕方ないなぁ…じゃあ、………」

チュッ―――
歪ませるつもりだったのに、口づけた頬は微かに朱く染まり、上がるだけだった。
おずおずと、ピンクの爪十枚が黒いカットソーを這い上る。ホワイトから伝わる、縋るように込められた力に、歪んだのは俺の方だと思い知った。

「臨也………」
「ん…?」
「たまには、貴方から掛けなさいよ。電話」
「………うん」
「私の携帯、貴方だけの着信音、設定してあるんだから」

ごめんね、俺の携帯の中で、君は埋没している。しかも、扱いはピザ屋だ。
それでも、それでもさ、

「俺がこんなことをするのは、波江だけだ」

ブラウスから覗く無防備な鎖骨に唇を押し当て、舌でなぞる。あ、と息を詰め背を反らした彼女を、このまま組み敷いて仕舞いたかった。
そうしたなら、もっと、何かが解っただろうか。



彼女を雇って、一年半の月日が経っていた。




♂♀




「波江、紅茶のお代わり、お願い出来る?」
「自分でやりなさい、暇なんだから」

カップを掲げれば、うんざりしたような声音で返しつつ、すぐに応じる彼女がいる。
受け渡しの際に、ちらりと視線を合わせた。俺の眼差しに気づくと、低温な瞳が小さく揺れる。
何事もなかったようにキッチンへ消える背に、俺は驚く程柔らかく尋ねた。

「夕飯、何?」
「鍋よ」
「マジでー?食べたかったんだよね」
「………食べたがってたからよ」
「そっか。…ありがとう」
「…私も、食べたかったから」

見えない彼女の表情を想像することは、とても楽しいことだった。
もう少し、と欲が出る。もう少し、後少し。彼女を、振り向かせたい。

「ねぇ、今日さ…、」
「何?」
「泊まって行きなよ」
「え…?」

差し出されたマグカップからは、温かな湯気が立ち上る。渇きを覚えた喉が鳴る。
けれど、俺は受け取らない。ただ、見下ろす彼女を真剣に見上げるのみだ。

「一緒にいよう、一晩中。………意味、解るよね」

狡いな、俺は。心中で自嘲した。こんなやり方、今時流行りもしない。
それでも、これが俺の、驚く程に矮小な、ただの人間である俺の、精一杯だった。

「あ、…あ、貴方は、人間を…」
「君は?」
「っ………」
「君、は、俺のことをどう思っているのかな」

カップを手にしたまま、彼女は立ち竦む。瞠られた瞳に上昇した熱が宿っている。
逸る気持ちを抑えつける俺の顔にも、きっと、欠片の余裕もないだろう。

「私は、」

たっぷり、十秒程噤んだ唇が、震えに圧されるように、開いた。

「わたし、は………、」



彼女を雇って、二年の月日が経とうとしている。





『あなたにおやすみを云う日』

(…熱いのよ、とても)
(俺も)

(俺も熱いよ、もう、ずっと)