Nobody knows
「って、ミサカはミサカは分からず屋のあの人のことを考えてははぁっとため息をついてみたり」
不穏とも平穏ともいえない会話を交わした休日から三日後の、午前十時だった。打ち止めは深まりつつある秋の空気の中をせっせと歩く。学園都市の大多数は名称は違えど「学校」に押し込まれており、街路樹が絶妙な木漏れ日を見せる絶好の散歩道は打ち止め一人のものだった。見た目だけは。打ち止めの体は退院から間もないことに加え、ただでさえも弱い。そのため体作りの一環として「日光浴をしながらの散歩」が義務付けられていた。もちろん、警備員の監視があるルートを使えという保護者たちの厳命つきだが。つまらない、と思わなくもないが、拉致されることにすっかり慣れた身の上としてはやむを得ない。気を取り直して打ち止めは少しずつ高くなっていく空に向かって手を振ってみる。今はきっとたくさんの子供たちを前に熱血指導をしているであろう保護者の一人がいつか見るかもしれないと思って。秋風が袖口の隙間から入った。そろそろ観念して、上着を着た方がいいかもしれない。けれど、と打ち止めは動かしていた足を止める。
できれば、今度一方通行と会う時まで、服装を変えたくはなかった。同じ日々を繋げているのだと、そんな些細なことでは彼は思ってくれないだろうけれど。
「まったく、面倒くさい人だなぁってミサカはミサカは改めて物憂げにため息をついてみたり」
はぁ、とついた息の色は、透明だ。これがあと二か月もすれば白くなるだろう。打ち止めは知っている。けれど触れたことはなかった。見たことだけはある。巨大な冷凍庫からの中継をテレビで見たとき、隣にいた一方通行と約束をした。
「ねぇ、ミサカの息もあんな風に白くなるんだよね?」
「あァ、子供体温だから余計に真っ白だろゥよ」
気のない口調に頬を膨らませながら、それでも打ち止めは続けた。
「じゃあじゃあ、冬になったら一緒にお出かけしようよ。あなたとお揃いの真っ白になるんだよって、ミサカはミサカは想像して思わず笑ってみたり」
クスクスと肩を揺らす打ち止めを、一方通行は不思議そうに見ていた。膝に触れている手を同じ目で改めて眺め、きっと彼自身を刺した。そういう顔をした。けれど打ち止めに向かっては「お前が忘れなきゃな」とぶっきらぼうに言っただけだった。そういう部分を見るたびに、打ち止めは自分の手の小ささを少し悲しく思う。そんな痛みはなくしたい。できればその部分を撫でて、温めたい。そう思うことはきっと自分のためでも彼のためでもないのだ。なんでだろう。
「……どうしてミサカはあの人と一緒にいたいのかな?って、今更ながらに基本的な情報を整理してみたり」
黄泉川に尋ねられた時には答えは胸の中にあったはずなのに、今は靄がかかったように、見えない。むむ、と一人眉をしかめて両手で頭をぐりぐりとひねる。
こういうことをすると、あの人は多分、止める。
「イテェだろうが」とか言わないで、ただ、止める。
そういうものに触れるたびに、暖かくなるのはいけないことなのだろうか。自分にそんな資格がない、と言われてしまえばそれまでだが、と打ち止めは冷静に思う。
あの人は、間違えた。だからこそ傷ついている。
自分たちは、増やした。一方通行が傷だらけになる道へ進む背中を押したのは、他でもない、自分だ。
起こった事実だけ並べれば、まるで傷の舐め合いをしているような関係性だ。だからこそ黄泉川は大人として案じる目をしていたのだろう。それは分かる。冷静な打ち止めには、あっさりと予想できる答えだ。
けれど。
「……でも、あの人のそばが一番あったかいんだよね。それにあの人ってば、実は、ミサカのそばがそんなに嫌いじゃないんだもんって、ミサカはミサカは改めて思い出したものを見つけて微笑んで、みたり」
そうして笑うと視界がすっきりと晴れたような気がした。当たり前の真実っていうのは、なるほど見逃しがちなものだよな、と打ち止めは頷きながらスキップをする。ようやくお散歩日和の気持ちになったので、足取りはどこまでも軽い。
どうして一緒にいたいのか、と尋ねられたら、あの人の隣が一番居心地がいいんだよ、と答える。守ってもらえるから、とか傷つけないから、とかそういうものではなくて、多分もっと本能的なところであの人なのだ。
あの、弱くて臆病な、やさしい人。
あの人がこちらを眩しいと思っているのと同じくらい、あの人のことを思っているのがいつか伝わるだろうか。
「それまで絶対そばで見張っててやるんだから!ってミサカはミサカは空に向かって決意表明をしてみたり!」
タンッと勢いよく音を立てて、コンクリートの上を走り出す。思い出すのはもう遠くなってしまったものだ。科学の粋を集めたミサカネットワークですらもう取り戻せないもの。なぜなら打ち止めはあのとき、天井に打ち込まれたウィルスが起動したときは、耳でしか外部からの情報を得ることができなかったからだ。だから血まみれになった一方通行の言葉は取り出すことができる。けれど表情だけは失われてしまっていた。きっと永遠に。しかしなぜか打ち止めはその時の一方通行の表情に「触れた」温度を覚えていた。信号にしては、曖昧な。ノイズ、の一言で片づけてしまえるような。非科学的以外の何物でもないもの。
でも、覚えている。
あのとき、打ち止めの記憶に触れた一方通行の表情。
そのままかざしてくれたもの。
打ち止めは走りながら、それに触れてみるように手を伸ばす。何もない。今は。
でもいつか。その時が来るまでずっと手を伸ばしてやるんだから、と決意を新たに少女は走り続ける。溢れてくるものはなんだか胸が痛い。けれど知らず知らず彼女は笑っていた。
あの顔がもう一度、見たいな。
覚えてないけど、あれがいい。
もう一度して。何度でもして。
ミサカにしてよ。
その感情の名前を打ち止めは知らない。
作品名:Nobody knows 作家名:フミ