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朗読

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臨也は朗読が上手かった。新羅がそれを知ったのは、中学三年生の頃だ。

 不意に涙が零れるような、とても寒い時期のことだった。
 しんと静まり返る教室の中、良く透る声が朗々と響いていた。それがいかに素晴らしかったかというと、臨也が全てを読み終えて口を閉ざすまで、教師が制止するのを忘れるほどだった。教室内の全員が、じっと彼の声に聞き入っていた。その斜め後ろに座らされていた新羅でさえ、例に漏れずに良い音のする後頭部を見つめていたのであった。

 当時の臨也は、大人しく人当たりの良い優等生だった。もちろん猫被りしているのだが、それを見破るには十四、五歳というのは幼いのだった。授業が終わって、称賛する女子生徒達にはにかんで見せたりする姿は、ひたすら新羅の溜め息を誘った。
「新羅、帰ろう」
 帰りの学活が終わると、臨也が新羅に声をかけた。新羅はうんともすんとも言わず、もたもたとマフラーを首に巻きつけ、手袋に指を一本づつ突っ込んだ。臨也はとにかく、女の子にモテるのだ。だから、新羅がのんびりと帰り支度をしているうちに、女子生徒に捕まってしまうのは当然のことだった。
 新羅が無言で教室を出ると、臨也は視線だけでそれを追い、口元は微笑んで女子生徒の相手をしていた。
 靴箱に降りて下履きに履き替えていると、後ろからマフラーが引っ張られた。不意に首が締まって、ぐえ、とひしゃげた声が漏れる。よろけた拍子に、隣に立っていた女の子にぶつかった。
「ひどいじゃないか、帰ろうって言ったのに」
 臨也が、マフラーの端を握って笑っていた。新羅はマフラーを取り返し、履きかけだったスニーカーのつま先をトントンと鳴らした。そして隣の女の子に謝ると、反対側で靴を履き換えようとしている臨也を見下ろし、一言零した。
「食当たりだ」
「え?」
 しゃがんで踵を直していた臨也を放って、新羅は一人で校門へ向かった。屋外に出ると、風が吹くたびに震えあがるような寒さだった。日差しは明るさだけをもたらして、暖かさには何の貢献もしていないようだった。新羅はマフラーを口元まで引き上げた。
「何? ハラ痛?」
 新羅に追いついた臨也が、不思議そうに尋ねた。臨也も、しっかり手袋にマフラーを着込んでいる。今日は寒波が来るのだと、天気予報が念入りに伝えていた。新羅は僅かに眉を寄せ、黙ってマフラーに顔を埋めた。
「え、何? そんなに痛いの?」
 臨也が首を捻るので、新羅は臨也のマフラーを引っ張った。教室中を魅了した声は、見る影もなく醜く潰れた。新羅が溜め息を吐くと、肺の深いところにあった息が白く染まった。柔らかい薄黄色の空気の中に、生徒達の影が伸びていた。

 校門を出て、角を曲がって、影が二人ぼっちになったところで、新羅はようやく口を開いた。
「……君だよ、君」
 ぼそりと呟かれた言葉に、臨也は不思議そうに首を傾げた。新羅は、声のトーンを高めてきょとんとしている臨也を詰った。
「何? 今日のアレ。思わず鳥肌が立ったよ」
「……ああ。だって、皆褒めてくれるからさ。ついついね」
 臨也は、わざとらしく教室で見せたような照れ笑いを浮かべた。純朴そうに晒されたその笑みは、新羅の目には異様に映るばかりだった。
「やめてよ、気持ち悪い。ついでに、女子から逃げる口実に僕を使うのもやめてもらいたいね」
 新羅はうんざりと吐き出すと、寒さとも嫌悪感ともつかない感覚に身を震わせた。
「やっぱりバレた? クラスの子はそろそろ飽きてきちゃって、相手するのが面倒でさ」
 臨也は、わざとらしい作り笑いを取り払った。
 臨也が何をどうして飽きたのかは分からなくとも、靴箱を開けて茫然としている女の子が同じクラスだったのは、新羅にも分かった。授業中にボロボロの教科書を使っていても、突然髪がざんばらに短くなっても、クラスの誰もが知らんぷりだ。夏休み明けから来なくなった男子生徒は、もう顔も思い出せないのだった。新羅がそれらについて尋ねると、臨也はとぼけたようなふうでいて、隠そうともしなかった。しかし、クラスの誰もが、彼に尋ねようとさえしないのだ。とにかく、中学三年生というのは取るに足らないのだった。それは臨也にとってそうであると同時に、新羅にとってもそうだった。
 新羅は、臨也を嗜めようと思うほど、同級生に関心を持てないでいた。新羅の感情は九割九分、記憶喪失の妖精に向けられていて、残りの一分に辛うじてこの捻くれた友人や、父や、その他僅かな人を押し込めているのであった。だから、この性格以外は上等に出来ている友人に嫉妬する男子や、のぼせ上がる女子に、同情する気はさらさら無かったのだ。
「君も一章でやめておけばいいのに、ずるずる最後まで読んじゃって」
「なんか気付いたら二章に入っててさ、止めどきを見失った」
「ああ、そう」
 新羅は呆れたように溜め息を零し、戯れに足元の小石を蹴った。小石は途中で変にひねくれて、コンクリートの塀にぶつかった。
 新羅は昔から、おかしなものに出くわしやすかった。好奇心ゆえか、それとも単に間が悪いのか。新羅はそれを自覚しつつも、決して懲りることはなかった。そもそも、最初にそうした場面を引き当てたのは、幼少の頃、セルティとの邂逅であった。小学校での平和島静雄との出会いも、その範疇だっただろう。もしかしたら、あの父親の元に生まれたことからしてそうだったのかもしれない。とにかく、そうして中学で出遭ったのが、この折原臨也だった。
「新羅だって、聞き入っていたんじゃないのかい?」
 臨也が得意げに当て推量を披露した。新羅には、こういうのに騙される同級生が一切理解できないのだった。
「第三の目というと額にあるものだと思うけど、君のは後頭部にあるのか。間抜けだね」
 臨也は面白そうに目を細め、後頭部にあるのは口だろう、と笑った。言葉を紡いだ一つ目の口は、しっかりと巻きつけられたマフラーに埋もれている。新羅は横目で臨也の頭部を眺め、家にあった骨のこぎりを思い浮かべた。あの頭を開いてみて、目玉や口が余分に付いていても案外驚かないかもしれない、と新羅は思った。



作品名:朗読 作家名:窓子