チョコレートと二人
恋戦日和
2月14日、それは愛と友情と義理人情が交錯する日。聖・バレンタインデイだ。チョコレートの香りとともに、浮かれた雰囲気が街を包んでいる。そんな空気感はクリスマスに似ているけれど、でももっと喧噪の色が強い気がする。どことなく張りつめていて、穏やかではないような。
帝人がそんな感想をぽつりと洩らすと、『それはそうだよ、だって今日は恋をしている人達にとって決戦の日だろ』と、真正面を陣取る相手に笑われた。なるほど戦場ならばしかたない。
「それで臨也さん、何か用ですか?」
場所は帝人の家である。学校から帰ったら家の前に知った顔がいたので驚いた。ただの知り合いというわけではない。帝人が会いたいと思っていた相手だ。別に特に今日という日だから会いたいというわけではなく、いつでも、見られたら嬉しいと思っている貌だ。それを口に出しはしないけれど、きっと彼も気づいているに違いない。そして、彼もまんざらではあるまい。臨也だって帝人に、わざわざ時間をつくって会いにきたりしている。それを帝人も知っている。
お互いに多分好きなんだろうなあ、と思っている。自分が相手を、という意味でも、相手が自分を、という意味でもだ。けれど感情を決定的な言葉にしたことはない。曖昧な感じが心地いいと感じているということもあるし、言質をとって確実な関係ーー例えば恋人とかだーーになってしまったら、そこから引き返せない深みに嵌る予感がするからだ。この恋は重い。お互いにそう思っている。
だから好きだとか愛してるなんて言わず、ただ二人で時間をすごしてみたりしているのだった。たまに手なんか繋いでみたりするような、寝たふりをして寄り添ってみたりするような、そんな関係。だから帝人は、臨也が今日訪ねて来たことを意外に感じた。バレンタインなんていう、完全に恋人的なイベントはスルーすると思っていたのだ。
何の用だと問われた男は、いつもの彼の表情で答えた。
「もちろん、今日という日に俺も戦に臨もうと思ってさ」
「え?」
「これ、」
俺の気持ちです、と差し出された包みに、帝人は目を見張る。焦げ茶色のシックな包装紙に金の印字、薔薇の形にくるくると巻かれた飾りリボン。殺風景な部屋の中で、その贈り物だけが際立った存在感を放ちだした。まるで一面の雪景色の中に咲いたけなげな花のように目立つ。目立つのだが。
その存在の重さゆえに、受け取る手を伸ばせない。
「……え、あの。これって」
チョコレートですか?という質問を口にするのをためらってしまう帝人だ。ためらいもする。中身はチョコで間違いなかろう。今日という日とこの包みの見た目と印字された有名なスイーツブランド名からして、そりゃあもう尋ねるまでもなくカカオからできたあの菓子に決まっている。しかしそれがチョコレートであり、聖バレンティヌスの記念日に渡されたとあっては、それはこの国では愛の告白を意味する。義理だの友だのという形容詞がチョコの前につけば違う意味になるが、今帝人の目の前にあるチョコがそうした意味で差し出されたとは思えない。
当惑している帝人に、臨也が追い打ちをかけた。「驚くのはね、まだ早いよ」などと言うので何事かと身構えると、「開けて、それ」と片手で促される。なにがでてくるんだろうか、案外チョコじゃないのか?と、びっくり箱でも扱っているかのように恐る恐る包みをはがす。包装紙をとりのぞき、帝人が箱の蓋を開けた瞬間、溢れ出す甘い香りと、
「うっわ、」
チョコレートの中心にささっている銀色の円。
(指輪だ!)
「「 重い。 」」
思わず口にでてしまった帝人の感想を、先読みしていたのだろう。あるいは臨也もこのギフトに対してそう思っていたのかもしれない。きれいに声が重なった。重い。
「よね、それ。あはは」
俺もこれ見た瞬間、なにこのチョコ、こんなのバレンタインのプレゼントだって渡されたら、うんざりするか吹き出すかの二択だなって思ったんだよね。うん、まあ、だから買いましたーーーと、説明する臨也を、帝人はまじまじと見た。すでにつきあっている恋人同士ならともかく、そうでない相手にチョコと指輪、という贈り物は一般的ではないだろう。しかもどちらもけして安物ではないことが容易に見てとれる品だ。
「なんでこんなのくれるんですか?」
これをただの話の種というには、自分たちの関係は微妙すぎて。高価なものでもあるし、単純にどうもありがとうと受け取る訳にいかない気がして、帝人は聞いてみた。
たぶん、この質問の答えによっては彼との関係も変化するのだろうなと、予想しながら。
「そういうケーキだのシャンパンだのチョコだのに指輪仕込んでサプライズ、みたいなのってさあ、人気あるけどちょっと間抜けだと思わない?やってるカップルは楽しいんだろうけど、傍から見たらキメすぎで笑えるな、って、俺は思ってたんだよね。でもそう言ったら、波江さんがさあ」
ーーー恋人同士がして楽しいようなことを、部外者目線のあなたが理解できないのは当然ね。
ーーーだって特別な贈り物をしたいたったひとりの相手なんて、あなたにはいないんでしょう。
「とか言うからさあ、俺にだっているし、と思って買ってみたんだ。それ、実に愛が重い感じでいいでしょ?」
そもそも俺の愛は重いんだよ、君は知らなかったかもしれないけど、と臨也は笑って言う。ええ、知りませんでしたね、と帝人は返した。もちろん嘘だ。臨也の愛が重いだろうことなんて知っている。そしてそれはお互い様だということも。そんな二人だから、これまでなあなあの関係でやってきたのではないか。
「帝人君に渡したかったんだ。受け取ってくれる?」
口調は軽々しいが、臨也の目の底には真剣な色があった。深淵のような深い瞳。彼は気持ちを決めたのだろう。
確かに今日は決戦の日だな、と帝人は思った。細い銀色の輪を、まるで重たい鎖を突きつけられたかのように感じている。これを受け取ったら自分は彼のもの。そうして彼も自分のものだ。
恋の日、恋の戦の日だ。決着はもうすぐそこにある。