ばれんたいーん
日本が蕎麦を打ち始め、ぽちくんがプロイセンに構われすぎて眠り始めた頃、玄関のチャイムが再び鳴り響く。
「プロイセン君、すみませんがちょっと出てもらえますかー?」
「いいけど、俺様日本語わからねーぜー?」
言いながら玄関に向かい、引き戸を開ける。
「はいはい、日本だいり……って」
「……まさか出てくるのがあなただとは思わなかったわ」
「おや、どうかなさいましたか、ハンガリーさん」
奥から出てきた日本に、ハンガリーは障害物を無視してにっこりと微笑んだ。
「こんにちは、日本さん。今日バレンタインですから、チョコレートを持ってきました」
「おやおや、それはありがとうございます。玄関で立ち話もなんですから上がってください」
「おじゃまします」
障害物の脇をするりと抜け、ハンガリーは日本の後をとたとたと付いていく。
「って、ちょっと待てえええええ!!!」
ようやく硬直が解けたらしいプロイセンの声に、ハンガリーが嫌そうに振り返る。
「何よ」
「何よってお前。何よっておまえええええ!! ……あ、フライパンは勘弁」
するりと抜かれたフライパンに我に返ったのか、プロイセンが両手を上げる。随分躾けられているものですねと、日本は内心感心していた。
「日本さんには夏の書類でお世話になったので、今年は日本式にチョコレートを持って来たんです」
コタツに座ったハンガリーに日本がお茶を出すと、高級そうな紙袋が差し出された。
「ハンガリーさん、頑張りましたしね。しかしまあ、立派なチョコレートです」
バレンタインが日本式ならばホワイトデーも日本式だったら三倍返しが怖くなりそうな高級感である。
そのあたりの日本の事情には疎いのか、ハンガリーは日本のコメントに破顔した。
「ええ、ベルちゃんのお家のチョコレートなんです。あんまり美味しそうだったんで、私の分も買っちゃったんですよ」
うふふと微笑まれたら、日本も微笑むしかない。
「おい」
「何よ。言っておくけど、あなたの分はないわよ」
「何だよ、日本式なんだろ!? だったら義理でもいいから寄こせよ」
義理でもいいなんて切なすぎますよプロイセン君とは、さすがに日本は空気を読んで突っ込めなかった。
「はっ、まさか”ホンメイ”が用意されてるのか!? 仕方ねーなー。もらってやってもいいぜ……ってゲフゥゥ」
軽く頬を染めつつハンガリーをチラ見していたプロイセンの後頭部を光速のフライパンが唸り、その銀色の頭がコタツに沈む。光景的には見慣れているが、さすがにwith流血だと少し心配になる。
「……生きてますか、プロイセン君?」
「熱湯掛けても死にませんよ、こいつは」
「それは別のプロイセンでは……」
冷や汗を流す日本に、ハンガリーは涼しい顔でお茶を飲んでいる。幼馴染というのは萌えだけではなく修羅もあるようですと、日本は小さくひとりごちた。
「さて、お茶もいただいたし、帰るわよプロイセン」
湯呑みを置いたハンガリーがぺちんと軽くプロイセンの頭をはたく。
「へ?」
「え?」
何が始まったのか理解の追いつかない二人が揃って間抜けな声を上げる。
「私の用事は終わったもの。ついでにあなたを迎えに行って欲しいってドイツに頼まれたのよ。ついでよ、ついで」
大事な事らしく二回繰り返すハンガリーがぷいとそっぽを向く。
「成田からブタペストまでの直行便はないからって、フランクフルト経由のチケットまで用意してくれたんだから、役目は果たすわよ」
「ヴェストが……」
プロイセンの呟きにハンガリーが苦笑しながら視線を戻す。
「『忘れて悪かった、兄さん』って本人から聞きたいでしょ?」
「俺様は帰るぞヴェストおおおおお!!!」
すっくと立ち上がり、荷物を置いている部屋へと直行するプロイセンの後姿を苦笑したまま見つめるハンガリーが、あっけに取られた日本の視線に気が付きふわりと笑ってみせる。
「きょうだいっていいものですね」
「ナチュラルに忘れられていた事よりも、ドイツさんがわざわざお迎えをよこしてくれた事が嬉しかったようですね」
――ましてや、それがあなたならば。
さすがにそれは付け足さず、ただ「幼馴染というのもよいものですね」と日本は言い換えた。
「用意できたぜ。行くぞ、ハンガリー」
「はいはい」
「世話になったな、日本。いつでも俺様んちに遊びに来いよ」
「はいはい」
「なんだよお前らー。仲間外れにすんなよー」
意味ありげに二人が笑いあうのに、ちぇっちぇっのちぇーとプロイセンが唇を尖らせる。
「まぁまぁ、プロイセン君もハンガリーさんもお元気で。道中お気を付けください」
玄関で二人を見送った日本は、しばらくしてから蕎麦を打った事を思い出した。プロイセンが居る時は月見そばにするつもりだったが、一人の今は奮発して天ぷらそばにしようと、エビが冷蔵庫に入っているかどうか確かめることにした。
「……なあ」
「何よ」
飛行機の座席につき、あとは離陸を待つだけの時間。
プロイセンはハンガリーが日本の家に来てからぼんやりと頭の中にあった疑問をぶつけてみることにした。
「今日、バレンタインだろ。家に……居なくてよかったのかよ」
意図するところは伝わったのか、ハンガリーの指がピクリと反応する。しかし、次の動作は至って緩慢だった。
「そうね……。こういう年もあるものよ」
「あるものなのか?」
「あるものよ」
「そうか」
「そうよ」
そう言われ、ふわりと微笑まれたら納得するしかない。
彼女が毎年贈られてくるはずのものよりも、自分を選んでくれたと単純に喜んでもよいのかもしれない。帰ったら弟に感謝しなければと、置いていかれた事は忘れて上機嫌になるプロイセンだった。
「あ、さっきチョコレート買ったのよ。1ユーロくらいだったけど、結構美味しかったからあげるわ」
ハンガリーがバックから取りだしたのは小さな日本製のチョコレートだった。小さな箱から取り出された、これまた小さなチョコレートのかけらが彼女の指からプロイセンの口に放り込まれる。口の中でするりと融け、素直な甘さが口に広がる。
「安い割に結構美味いな」
「でしょう?」
微笑むハンガリーに、これが義理チョコってやつかもなとプロイセンは日本の習慣にしばらくニヤニヤが止まりそうになかった。
おわり