バレンタイン小話×2
主語を言い忘れました【静帝】
ない、ない、ない……見つからない。人の流れを掻き分けながら、足元ばかりを見つめて帝人は歩く。来良学園から繁華街、裏路地。今日辿った道のりを思い出しながらなぞるように足を進める。視線は忙しなく道の端々に向けられ、前も見ずにふらふらと歩く小柄な身体は、前方から歩いてくる人々に何度もぶつかりそうになり、時には実際にぶつかって、そのたびに少年は黒いこうべをぺこぺこと下げた。
探し物は小さな包みだ。人通りの多い池袋の街中では、省みることもなく蹴り飛ばされて道端に追いやられている可能性が高いだろう。そう思いながらも、どうしても諦め切れなくて、帝人はまた次の角を曲がる。
(どこで落としたんだろう…?)
鞄から何かを取り出したときだろうか? 全く心当たりがなくて内心途方に暮れる。家を出るときに鞄に入れたことは間違いないのだ。何度も確認したのだから。
もう一度買いに行くのは財布的にも……精神的にもきついものがある。たった数粒しか入っていないというのに、それは帝人が予想していた値段よりもずっと高価なものであったし、貧乏学生にとっては安くはない金額だった。そしてそれ以上に、女性客ばかりのその売り場にもう一度足を踏み入れることはどうにも後込みされた。
(……あげるな、ってことなのかな)
探しながら巡らせていた思考が行き着いた先に、のろのろと進めていた歩みが止まる。一度そう思ってしまえば、それが真理であるような気がして、ただでさえ揺れていた気持ちがずん、と沈んだ。
そうだ、そもそも渡そう、なんて考えてしまったこと自体が、不相応なことだったんだ。じわ、と瞳の奥から熱い雫が滲んできて、それを堪えるようになんどもぱちぱちと瞬く。そんな帝人の視界の中に、ぼんやりと黒い革靴のシルエットが飛び込んできた。
「…竜ヶ峰?」
どうしてこんなときに限って出会ってしまうのだろう。逢いたいと思うときには全然見かけないのに。
「しずおさん」
呼びかけたというより呟いたといった体の声は、自分で思うよりもずっと頼りなく掠れたものだった。潤んだ目元を慌てて擦って、こんばんは、と頭を下げる。
「おう、」
学校帰りか? と声を掛けてきた静雄の右手に乗せられたちいさな箱に、帝人は目を瞠った。
「それ……」
「あ?」
これか?……と静雄は右手を軽く上げる。落ち着いたダークブラウンの箱に金色のリボン。それはまさに帝人が探していた『落とし物』だった。
「そこの道端に落ちてたんだけどよ、たぶん中身はチョコだろ、これ?……交番に届けるのもどうかと思ってよ―――」
「あの、そ、それ、」
驚いて、焦って。うまく言葉が出てこない。ぱくぱくと酸欠の魚のように唇を開閉させる帝人に、静雄は首を傾げた。
「もしかして、これ、竜ヶ峰のか?」
問われた言葉に、こくこくと首を縦に振る。そんな帝人の様子に苦笑じみた笑みを返しながら、静雄は埃を払うようにちいさな箱を撫で、見上げてくる少年の額の上にこつん、とそれを置いた。
「折角貰ったもん、もう落とすんじゃねーぞ」
こんなことくらいで、運命だなんて言ったら、あなたは笑うだろうか。
「あのっ!」
額に乗せられた箱ごと、大きな手のひらをぎゅっと握る。目の前の気配が途惑うように揺れるのがわかった。目を見て言う勇気はなかったので、ぎゅっと瞳を閉じて吐き出すように告げた。
「あの、もらってください!」
こたえはすぐには返ってこなかった。沈黙が痛い。目を開けるのも怖くてじっとそのままでいると、帝人の踵から地面の感覚がなくなった。おそるおそる開いた瞳に映ったのは黒い布地。それがバーテン服を着た、静雄の背だと認識したのはその一瞬あとのこと。
あれ、と思う間もなく。帝人を担ぎ上げたままずんずんと静雄は足を進める。手のひらの中の箱を取り落としそうになりながら、その背になんとか縋りついて。焦りつつも「静雄さん!」と呼び掛ければ、ひどく上機嫌な声が返ってきた。
「あ? 貰っちまっていいんだろ?」
作品名:バレンタイン小話×2 作家名:長谷川桐子