バレンタイン小話×2
あまい恋のかけら【六帝】
「なぁ、ハニー」
何度目かの呼びかけで、ようやく少年は面を上げた。読んでいた本をぱたん、と閉じてバイクに跨りハンドル部分にだらしなく身体を預けている男を胡乱げに見つめる。はあ、とため息を零して、渋々、といった様子で口を開く。
「…なんですか、六条さん」
「六条さん、だなんて他人行儀な呼び方するなよ~。ろっちーかダーリンって呼べって言ってるだろ?」
「六条さん」
何か用ですか? と少年―――竜ヶ峰帝人は淡々と問いかけた。このひとなんでこんな場所にいるのだろう、と男―――六条千景をじ、と半眼で見つめながらまたため息。
こんな場所、というのはこの池袋という地域全体と、寒風吹きすさぶ公園の両方を指す。男の住まいは埼玉であるはずだし、こんな寒空の下、用もないのにわざわざビルの谷間の公園などで足を止めるなんて気が知れない。
(…まあそれは僕も同じだけど)
大体、バイク乗り入れていいのかなここ?……というツッコミはひとまずおいておいて。
「用があるのはハニーのほうだろ?」
はい、と伸ばされた手。向けられた手のひらに帝人はかくりと首を傾げる。
「なんですか?この手は」
「なんですかって……ほらほら!俺に渡すものがあんだろ~が?」
今日はなんにちだー? などとわざとらしく問いかける声に、帝人はこれ見よがしにひとつ息をついて差し出された手をぺちりと叩く。
「なに言ってるんですか、そんないっぱいもらってるくせに。まだ足りないんですかほんとにもてない男の敵ですね」
「本命から貰わなきゃ意味ねぇよ」
「……全部、本命じゃないですか」
「違う、お れ の、本命」
「………」
嘘ばっかり…と言い切るには、帝人は男について未だよく知らない。けれども齎される言葉を全て素直に信じるなんて出来るはずもなかった。
ただ、向けられる瞳が優しくて…答える言葉に困ってしまう。催促するように見つめられる視線に耐えかねて、少年がなにか言葉を発しようとした、そのとき。
ろっちー!…と呼ぶ声に視線を向ければ。通りの向こうから手を振る数名の女子の姿があった。そのうち何人かは帝人にも見覚えがある顔だった。同じ来良学園の生徒だ。
「ほら、またお呼びですよ」
バイクは見ていてあげますから、行ってきてください。そう言って背中をぽん、と叩くとその手をきゅっと握られる。
「すぐに戻ってくるから待っててくれよな!」
「…はいはい」
+++
男がまた荷物を増やして戻ってくれば、少年は離れたときと同じように、公園のベンチに佇んでいた。藍の瞳が男の姿をみとめると、斜め掛けにした鞄の紐を両手で握ってすくっと立ち上がる。
「…用事が済みましたので、帰りますね」
「え、ちょ、まてって!」
急にどうしたのだと問いかける間もなく、少年は丸いこうべをぺこりと下げて踵をかえす。遠ざかっていくちいさな背を見送って、男はがくりと肩を落とした。
「……ダメだったかー…」
ちぇー…と呟いて再びバイクに跨る。少年が立ち去ってしまえば、もうこんな寒い公園に用はない。ハニーたちにも逢ったし…帰るか、とフルフェイスのヘルメットを被ろうと傾けてみれば。
「??」
ばらばらと、中から何かが零れ落ちてきた。白、黒、ピンク、黄、緑……様々な色と模様の四角いそれは、ひとつが何十円かのちいさなチョコレート達だった。
先ほどまでは入っていなかったそれを仕込んだ人物など、一人しかいないだろう。用事が済みましたので―――その言葉の意味を知り男は小さく呻いた。
「……やられた」
あんまり可愛いことすると埼玉に攫ってくぞ。ひとりごちてちいさな恋の欠片を拾い集める。一月後にはどうしてやろうかと、早くも考えをめぐらせながら。
作品名:バレンタイン小話×2 作家名:長谷川桐子