雪がとけたら / 隠し味は愛情です
隠し味は愛情です
鍋の中で煮えているのはにんじん、じゃがいも、肉に玉ねぎ。数十種類のスパイスの匂いと、ターメリックの色、とろみのある液体。ぐつぐつと煮込まれたそれは、正真正銘『カレー』と呼ばれる料理だ。
「…これなあに?」
「なにって、カレー以外のなにに見えるんですか!?」
いやそんな真剣に驚かれても、という本音を飲み込んで、臨也は「うん、カレーだね」と言葉を濁した。
夕方、珍しく帝人からメールが来たと思ったら、『今からお邪魔してもいいですか』という内容。2月14日、あいにく世間は平日で臨也は新宿にいたが、学校が終わった後にわざわざ訪ねてくるとくれば、臨也の頭には用件はひとつしか思い浮かばなかった。
2つ返事で了承し、なのにいざ来てみれば帝人は「台所貸してください」と閉じこもったきり、なぜかカレー作りに没頭している。
作っている間それとなく覗いたりもしてみたが、あるのはカレーと野菜を切っただけのサラダ、市販の福神漬け。そして炊き立ての白米が炊飯器の中。どう見ても、どこを見ても甘いものはかけらもない。
「出来ましたよ。…一応聞きますけど、臨也さんも食べますか?」
「うん、ああ…、ていうか台所提供したのに俺の分はないってパターンもあったの?」
「誰かとご飯食べに行く約束があったら、要らないかと思ったんで」
「ないよ、そんなの! あったら来ていいなんて言わないでしょ」
「……そうなんですか?」
そんな真剣に驚かれると傷つく…、と思ったがかろうじて本音は飲み込んだ。というかもう、帝人くんの中で俺ってどれだけ薄情なんだろうか。
本人に聞けば嫌な答えが返ってくるのはわかっていたので、臨也は黙ってカレーの皿を受け取った。なんの変哲もないカレーだ。にんじんがハート型だったり、福神漬けで名前が書いてあったり、…なんてことがされてるはずもない。
「いただきます」
「はいはい、どうぞ」
「…作ったの僕ですよ」
「ああ、そうだよね。いただきます」
ルーの箱があったのは知っているが、他にいろいろスパイスを加えてあるのだろう。市販のものにしてはややスパイシーな味だった。これでお子様味の甘ったるいカレーだったらどうしようかと思ったが、なかなか臨也の好みに合っている。
食べ終わると、帝人はあまったカレーをタッパーに詰めて、食器や皿を洗い始めた。確かに、残りを置いていかれても、わざわざ明日暖めなおして食べるなんて真似は絶対しないだろうという自覚はある。が、まさか本当にカレーを作る場所を探して、ただそれだけの為にここに来たというのだろうか。
そんな臨也の葛藤もどこ吹く風で、帝人はキッチンをきれいに片付け終えるとさっさとコートを手に取って、帰り支度を始めている。
「え、なに、もう帰るの!?」
「もうって、9時半回ってますよ」
「そうじゃなくて! なにか忘れてない?」
「忘れものっていうか、あまったスパイスとか冷蔵庫に入ってるんで、使うか棄てるかして貰ってもいいですか」
「ああうん、それくらい…、じゃなくて!」
「じゃあ、お邪魔しました。さようなら」
いっそすがすがしいほどに後腐れなくさっさと帰っていく帝人を見送って、臨也は1人溜め息を溢した。エントランスのカメラをチェックするが、郵便受けに立ち寄る素振りもなく帝人は本当に帰ってしまう。
いったいなにをしに来たのだろうか。わからない。本当にわからない。
もう一度深々と溜め息を吐いて、臨也は気分を変えようとコーヒーを淹れた。臨也自身はブラックしか飲まないが、滅多にここには来ない帝人の為に冷蔵庫にはいつも牛乳がストックされている。
たまにはカフェオレもいいかと冷蔵庫を開けて、臨也は思わず目を瞠った。そこには封の切られたスパイスの小瓶と一緒に、半分に減った板チョコが置かれていた。
作品名:雪がとけたら / 隠し味は愛情です 作家名:坊。