二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

さよならの代わりに/X年後

INDEX|1ページ/3ページ|

次のページ
 
彼は動かない。



ひゅーひゅーと男の掠れた呼吸音が狭く暗い路地に小さく反響する。
狭間から差す光は人口過多の都会特有の、人の業を映す様にまた男の生きてきた道とその先を暗示するかの様に、不気味に不自然に鮮やかに紅い。
まるで歪んだ太陽とそれを隠す街が教えている様だ、これがお前のしてきた行いの結果だと。
それは罰でも何でも無く、自らが敷いたレールの上を降りずに進み続けて辿り着いた、ただの終着駅だと。

いや、まだだ、まだ終わってはいない。

酸素の薄くなった働かない脳内で、男は強い意志を言葉を己に刻み込む為に繰り返す。
けれど回復には相当な時間が掛かる上に、こんな機会に恵まれる事は二度も無いであろうという事も同時に理解している。何事にも始まりと終わり、流れというものがある。
最初は小川、いや水溜まり程度だったものをあの手この手で巨大な河にして、その河とそれに呑まれる人々を愉悦に染まった瞳でしかし傍観者の立場で眺めるに並行して、目的地まで溢れないよう軌道修正に尽力してきた、が、最後の最後に己も呑まれてしまった。

その結果がこのザマだ。
静寂で冷えた暗い臭い路地裏、湿ったコンクリートの地べたにゴミ袋を背凭れにして座り、生臭い空気を必死に取り込んで動けるだけの体力の回復を待っている。
負けた。認めよう、確かに俺は負けた、完敗だ、この俺が。
思い、負けず嫌いを自負する男は苦笑して目を瞑り、力無く両の掌を顔の高さまで上げて降参を示す。
目の前に佇む幼く見える顔立ちの、来良高校の制服に身を包む学生に向けて。

「…」

彼は男を五分程前に見つけて此所に、男の目の前に立ってから、沈黙のまま男を見続けている。
騒ぐ事も無く誰かに連絡する素振りも無く、かといって助け起こす為に手を貸す訳でも無く。
表情すら無く、ただ男を見続けている。

その手は肩から腰に斜め掛けたショルダー型の白い学生鞄のベルトを、丁度胸の辺りで両手でぎゅっと握りしめていて、癖なのだろうベルトのその位置だけ形が少々歪んでいる。
見上げる男にとってもそれは見慣れた姿で、彼を思い出すと大体はこの仕草をしていた。
その仕草はその童顔と合わさって一見弱々しく見えるが、反して意志の強さを表すものでもある。

彼が決して弱くない事を、男は知っていた。
確かに体格も貧弱で精神も一時は己の欲と弱さに負け落ちる所まで落ち、揺さぶり与えそこまで導いたのは男であったが、最後の奈落へと落ちる寸前友人達に叱咤され救われ自らを立て直し這い登り、弱さを自覚し現実と向き合いぎゅっとベルトを握り締め沈黙を守り痛みに耐え策を練り時を待ち、ほんの少しの勝機を掬い取った。

そこからだ、歯車が狂ったのは。

彼が男に明確な敵意を持って何かした訳でも、その行為が直接的に男の敗北の原因になった訳でも無い。
無いが、それが流れを変える小さな投石となった事は確かだった。
だが敗北に浸る男は現状の根本要因の一つとも言える彼を睨め付けたりはしない。
プライド故か自らのポリシー故か、単に感情の起伏が少ないのか過去に完全な敗北を喫した事が無かったからか、男は他人に恨みを持たれる事は有っても持った事はない。憎悪と嫉妬、状況によってそれぞれ報復の対象はいたがそれでも男特有の愛情を超える怨恨など無く、やはり目の前の彼にも称賛こそすれ恨みなど無い。
だが男はどこか不愉快そうに表情を歪めて、

「…何か、言いたい事があるのなら、さっさと言え、よ…、」

無いなら、消えろ。


動けない今の自分には去るという選択肢が無い、また何をされても言われても反撃する術もロクに持たない。
こんな機会は滅多に無いのだから、言いたい事やしたい事があるのなら今だと、そして早く目の前から去れと、男は息を途切れさせながらも彼に次の行動を促した。

「…」

それでも、彼は動かない。


男はそんな彼に焦れたのか視線を外して、苛ついた様に奥歯をキシリと擦り合わせ、拳を握り締めた。
次に息を深く吐くと掌を地面に付け、大腿に力を込めて身体を起こそうとするが、途端全身に激痛が走る。

「…っ!……!!」

生温い脂汗がこめかみから顎へと伝って首に流れ、途中そこかしこにある裂傷に沁みる。
だがそれも骨の軋みと内部の損傷に比べれば些細なもので、声こそ出さないがそれが如何程のダメージであるかは、ガクガクと震える身体からも見て取れる。

これでも手加減されたのだろう、男の唯一の憎悪の対象である怪物の異常な破壊衝動を抑えたのはおそらく良識や良心といったもので、それを男が隙として利用した事は幾度となくあったが今回の様に完全に手の打ちようが無い、男が敗北者だと確定した立場から見逃される、という事実は今迄に一度として無くそれが男にとって何より腹立たしく、しかし命があるのは助かったと言う他に無く。
臓腑から沸々と沸き上がる怒りを力にして男は歯を強く食いしばり、壁に手を着きながらノロノロと、だが決して動きを止める事無く、立ち上がった。

目の前の彼より少しだけ目線が上になる。
男がその事に少しだけ安堵を覚えた瞬間、目眩が襲い視界がぐらりと歪むと同時に、足下の泥濘に足先を滑らせ体勢を崩す。倒れる、瞬時にそう判断し男は経験から受身を取ろうと傷む身体を捻らせようとしたが、何か黒いものが視界の端を過り、

「…っおも、」

男が再び地面に無様に手をつく事は無かった。
目の前に居た、先程まで足どころか表情すら動かさなかった彼は、彼が、今の瞬間目の前よりもっと男の近くに移動していた。男の左肩には何か黒いもの、つまり彼の頭が触れ、男の脇下から背中へと両腕を伸ばし、頼りなく細いその体と両腕で男の体重を支えている。
男は目を見開き、支えられている身体に力を入れ体勢を立て直す事も忘れたのか、両腕を力無くブランと横に垂れ下げたままにしている。

「ちょっと…折原、さん…おもっ」

男も決して重くは無く一般的に見れば細身に分類されるのだが、一般的に見ても貧弱である彼には男の全体重を支えたままの状態を保つ事さえ難しいのか、非難めいた声音で男の名前を呼び、重いと訴える。

「…」

男は無言のままギシギシと鈍痛を叫ぶ身体の重心を緩やかに半分程度自身に戻して、目を見開いたまま彼の顔を覗き見た。その瞬間、息を呑む。

先程まで無表情だった彼の顔は、今にも泣き出しそうに歪んでいた。