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その冬

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その日の朝食を平らげると、弥彦は唐突に宣言した。
「俺、年明けにはここを出て、破落戸長屋に移るから」
えっ。
薫はぴたと動きを止めた。
何故急にそんなことを言い出すのか。

季節は別れの秋が過ぎ去り、明治11年師走。
あと5日ほどで年越しであった。
暮れ押し詰まる頃とはいえど、神谷道場の今日は普段となんら変わりなく
薫と弥彦は道場で汗を流し、剣心はおさんどん。
今日もそうやって過ぎていく、はずであった。

「いきなりどうしたのよ、弥彦」
薫は戸惑いを隠さず弟子に問うてみた。
昨日まではひとつもそんなそぶりを見せなかった。
家移りすると簡単に弥彦は言うが、引越し先となる破落戸長屋は
左之助が日本を離れてから一度も手入れしていないはずであるし、
弥彦が荷物をまとめているような形跡もない。
降って湧いたような話に薫が驚くのも無理はなかったが、
「別にいきなりじゃねぇよ」
弥彦は食器を片付けながら顔だけ薫のほうへと向けた。
「左之助が出港のときに言ってたろ?
道場出ろって。あれからずっと考えてた」
だから、と言う弥彦の声が台所から聞こえる。
「年明けには、ってな。道場も赤べこも長屋から通えば済むことだし」
「それはそうかもしれないけど…」
言い淀んでいる薫の言葉を剣心が継いだ。
「それにしても年明けとは。弥彦。急なことでござるなあ」
「ん?んー」
一瞬、逡巡するような素振りも見せたが、結局のところ弥彦はきっぱりと断言した。
「一度決めたことだしな。やっぱり年明けに独立するよ」
「引越しの準備と、長屋の整理が必要でござるなあ」
「いや、俺の荷物なんてたいしたもんじゃねえし。
長屋だって広いわけじゃねーんだから、すぐ片付くよ」
薫はぽんぽんと繰り広げられる二人の会話に入っていこうとはしなかった。
「それにしても、弥彦」
ふと、剣心が思い出したように声をかける。
「どうして、年内ではなく年明けに決めたのでござるか?」
ああ、と、呟くように言った後、弥彦は破顔しつつおもむろにこう述べた。
「この1年、ここは俺ん家みたいなもんだったろ?
だから、正月はここん家で過ごしたいと思ったんだよ」
「そうでござるか」
剣心は弥彦に微笑を返した。
傍らで、薫は何も言わなかった。
そのとき薫の胸中にあった感情が何なのか、当の薫にもまだわかっていなかった。

その日の稽古も常と変わることなく粛々として行われ、終了した。
薫は稽古後の身体を水場で拭き清めていた。
冬の寒さは身に突き刺さるようだが、汗をそのままにしておけば
かえって風邪をひいてしまうことでもある。
せっかくの正月を風邪で寝込んで過ごすなど、馬鹿げたことだ。
(そうか、剣心と過ごす、初めてのお正月なんだ。)
1年前にはまだ知り合ってもいなかったのか。
そのことに思い至り、それは、長かった1年を振り返る良い契機となった。
(昨年はどうしていたっけ。)
身を拭いながら、思いを馳せる。
昨年は父の喪中だった。
父の死をきっかけに門下生は次々と離れてゆき、寂しい日々を送っていた気がする。
心配した妙が、一度くらい訪ねてきてくれた気もするが、どうもよく覚えていない。
(剣心は…どこを流れていたのだろう。)
いつの間にか思考は剣心のことへと移っていた。
身を清め終わり、衿を正す。
足は自室ではなく、剣心がいるであろう台所へと向いていた。

「ねえ、剣心」
薫が声をかけると剣心は夕餉の支度の手を止めて答えた。
「なんでござるか?薫殿」
「お正月、今年は楽しく過ごそうね」
一瞬の間をおいて、剣心は微笑んだ。
「そうでござるな。拙者も賑やかな正月を過ごすのは久しぶりでござる。
心ゆくまで、楽しみたいでござるな」
「そっか」
「そうでござるよ」
薫が心なしか安堵したような表情を見せたことを確認してから、
剣心は再び包丁を使いだした。
視線を食材に向けたまま、会話を続ける。
「亡きお父上がご存命の折は、賑やかに過ごしておられたのでござろう?」
「うん」
薫のまぶたに亡父の面影がよぎる。
「お弟子さんもたくさんいたしね、ここの茶の間では手狭だから、
みんなで道場でお祝いしたり、ね。」
去っていった門下生たちは、今年はどんな正月を過ごすのだろう。
「あとは―そうね、お付き合いのある道場やお店にご挨拶に行ったり。
子どもの頃は福笑いとか、かるたとか。羽根つきはあまりしなかったかな。
どうせ身体を動かすのなら、剣術のほうがいいなあと思っていて。」
ははは、と剣心が笑う。
「剣術小町は羽根つきは苦手でござったか」
「べ、別に苦手というわけではないけれど…。け、剣心は?お正月、何してた?」
あわてたように薫は話の方向を逸らせた。
そうでござるなあ、と、呟いて、また剣心の手が止まる。
「生まれは貧しい農村でござったし…何をしておったものかな。
師匠の元にいる間は、師匠が少々祝い酒を飲むくらいで、
常日頃と特に変わりはなかったし。
志士になってからは、本格的な動乱が始まる前はささやかな祝いの席があったが、
拙者は人斬りでござったからなあ。
顔を出すことがないではなかったが、その程度で。
流浪人になってからは…」
「ご、ごめん!剣心!」
聞いているうちにいたたまれなくなり、薫は話を制止させた。
「ごめんね、なんだか話しづらいことを、話させてしまったみたいで…」
いや、と軽い調子で否定してから、薫のほうを向き直って剣心は続けた。
「過ぎてしまえば、なんということでもござらん。
拙者、確かにこれまでは正月などには縁がなかったが、
それをどうこうと思ったこともござらんし。
強いて言うなら、今、正月の支度をしている自分がちと不思議なくらいで」
剣心の表情には一片の曇りもなかった。
本当に、本心からたいしたことと思っていないのだろう。
少しホッとして、同時に何かの感情が、ちりりと胸を焼く痛みを、薫は味わった。
が、つとめて面には出さぬように、明るく言った。
「じゃあ、今年は楽しいお正月にしようね。
私、着替えてくるね」
「ああ。もうすぐ夕餉ができるでござるよ」
「うん」
去り際、薫は一度だけちらりと台所奥の剣心を見やった。
何事もなかったように包丁を動かしているのを見て、思いを振り切るように、
その場を離れた。

薫の気配が台所から消えた後、剣心はもう一度手を止めた。
正月か。
今しがた、己が語ってみせた内容を振り返ると、薫に悪いことをしたような気がした。
現実、そうだったのだとしても、その生々しい己の生きてきた筋道を
薫に聞かせる必要が果たしてあっただろうか。
(それに。…いや。)
一瞬、あの冬のことが頭をよぎった。
もしあの時、巴を殺めることがなかったなら。
だが、巴と過ごした正月がないから、
過ぎ去った正月を淡々と振り返れるのかもしれない。
そう思うと、止まった手は再び自然に動きだした。
脳裏には、この夏、最後に見た巴の幻影が浮かんだが…。
数日後に来るであろう新しい年を、豊かで喜ばしい年としよう。
巴はそう望んでいる。
そのように思った。

翌日には破落戸長屋の大掃除を行った。
大掃除といっても、
作品名:その冬 作家名:春田 賀子