春嵐ランデヴー
「……そうですね」
俯いたまま先生が小さく笑った。
「私も君に、沢山嘘をつきました」
「……先生、」
俺は振り向いた。先生の影が、薄い髪の色が、逆光の夕陽に紛れて融けていく。
「先生!」
張り上げた俺の声は夕暮れの雑踏に掻き消された。せめて指先に残る感触を確かめようと拳を握り締める。けれど掴もうとした何かは、既にそこにはなかった。
+++++
家に帰るとバーさんとこから覚えのない請求書が戸口に挟んで届いていた。
オイオイ桁ひとつ間違ってじゃねーか、紙切れ引っ掴んで下降りて談判する。カウンターの奥で、煙草ふかしてバーさんが言った。
「……アンタの知り合いだっていう学者さん風の品の良さそーな人が、高い酒ばっかサラッと飲んでったんだよ。ツケはあんたに回しといてくれって」
――嘘ついてる顔には見えなかったから信用したんだけどね、ま、どっちみちアンタに払ってもらうつもりだから異論は受け付けないよ、以上。
バーさんは煙管を叩くと容赦なく我が陳情を斬り捨てた。
(……。)
――せっ、先生……?
俺は混乱した。どうにも事情が飲み込めない。バーさんに聞いた特徴から統合するに、ツケの主は間違いなく先生だ。だがしかしだ、さっきまで俺と一緒にいたはずなのに、それが同じ時間帯に場末のスナックで飲み呆けてたってどういうことだ? ……そうだ、これこそ夢の続きなのだ、そうに違いない、俺は必死で思い込もうとした。
「ただいまー……」
ぐったり疲れた足を引き摺って部屋に入る。途端、独特の脂の匂いが鼻をついた。目をやると部屋中足の踏み場も無いほど宅配ピザの空き箱が散乱している。
「あっ、おかえりー」
ノートに何やら書き付けていたネ申楽が暢気に振り向いた。
「おっ、オマエ……!」
俺はわななく拳を握り締めた。――イヤガラセか? これはイヤガラセなのか? こないだお好み焼き禁止令出した腹いせか? いったい総額幾らだよ?!
「ねーねー、聞いて今日面白いことがあったアル、」
ノートを閉じて、満面の笑みでネ申楽が言った。
「はぁ?!」
――何が面白いことだ、俺の血管は、財布も昇天寸前だ、が、俺の精神状態などヤツには意の外である。
「……サダちゃんがじーっと天井の同じトコ見てるから何かなーって私もじーっと見てたら、白い着物に長い髪のひとがふわーっと降りてきて、最初はギャーッ!ってなったけど、いっぱいお菓子とかくれてスゴイいい人で、そんでこわーい話いっぱい聞かせてくれて、全部新作だからあとで銀ちゃんにも教えてやってねーって」
――いやぁ、さすがホンモノの人に聞いたオバケ話アル、ディテールのリアリティがハンパないね、ノートを抱えてネ申楽は興奮気味だった。問い詰めたピザの件も、あとで銀ちゃんが払うから、好きなだけ頼んでいいとその人が言ってくれたのだと。
(ちょっ、先生! マジすか?! アンタ何してくれちゃってんスか!)
やり場の無い憤りを抱えて俺は天を仰いだ。
「銀日寺!」
そうこうしてるうちに息せき切ってヅラが駆け込んできた。
「さっきそこの辻で先生に会ったぞ! 白昼堂々私に向かってゆーちょーにピースサイン出してくるんで、思わず私もヴィ!返ししてしまったが、……いかんいかんそうじゃなかった、山ほど言うことあったんだって、急いで後を追いかけたんだが間に合わなくてな、」
――やー、久しぶりに本気で全力疾走したら喉が渇いてしまったよ、
「……。」
オマエ、どーでもいいけど勝手に人ん家の冷蔵庫開けようとしてんじゃねーよ、蹴り飛ばされてヒィヒィ転がったカタマリを横目に念のため電話を入れてみる。2コールと待たずに電話はすぐに繋がった。
『……え? 変わったこと? ああ、表掃こうと思って外出たら、コレ落ちてましたよって洗濯物拾ってくれた人がいて、いい庭ですねいやぁそれほどでもーって軽く世間話して、最終的には縁側で梅見ながら猛虎屋のようかんでお茶しました! ……あ、あと姉上のバイト先にもお昼からすごい気前のイイ人が現れて、豪遊して帰ったそうです! なんか銀さんの知り合いって人みたいで、姉上のこと指名してくれたって!』
――ツケの金額も含めて、よぅくお礼言っといてねって頼まれました! 電話の向こうで明るい声がハキハキと報告した。
「……。」
――そうですか、それ以上何も言えずに俺は黙って受話器を置いた……。
先生、影が薄かったのは霊力燃費がどーたらじゃなくて無理矢理分身の術使ってたからですか?
それにしても先生、あなたは結局何がやりたかったのですか? “でぇと☆”ってあのキラッキラのキメ顔何だったんですか? ボクの心は、いつもあなたに振り回されて置いてきぼりのままです。