【けいおん!続編!!】 水の螺旋!!! (第一章・衝撃)
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(第一章・衝撃)
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1
また、この夢か。彼女は思った。
自分は今、水の中にいる。けれど、自分の姿は水に包まれてはいない。四方を水の壁に包まれた空間の中に、自分は今たたずんでいる。
目の前に、水でできた階段がある。ひと巻きのらせんを描きながら、それは下の階へと続いている。一歩一歩、確かめるように下りてみる。ピシャリ、ピシャリという水の跳ねる音を聞きながら (とはいえ、足は少しも濡れていない) 、下の階へ来てみた。すると、突然、眼前に宇宙とも云うべきか、何か果てしのないものが広がった。次第に胸の中の時間が加速度を増し、気づけば自分は今、光の速度で気の遠くなるような時間の中を旅している。それは、我々のたどってきた進化の歴史だ。過去と現在と未来を途絶えることなく繋いでいる、らせんの形をしたものの果てのない旅路だ。
彼女は急に怖くなった。目をつぶりがむしゃらに手を伸ばした。すると、何やら手に当たるものがあった。掴んで自分のもとへ引きよせ、目を開けてみると、それは自分の愛用のギターだった。抱きかかえるようにしながら、6つの弦を親指でなぞってみた。すると、アンプにもつないでないのに、それは大きく、のびやかで、倍音豊かなサウンドを奏でた。その刹那、自分の周りをぐるぐる回っているらせんの一部分が、激しく光り出した。
その光は自分の目から自身の身体全体の細胞へ行き渡り、身体全体を激しく揺さぶった。まるで、自分の目の前のらせんと、自分の身体の中のらせんが呼応しているかのように思えた。
彼女は大きく息を吐き、再び目を閉じた。今の周囲の情景は、測り知れない空洞のような得体の知れない怖さがあり、スリリングであり、壮大であり、心地よくもあった。生命の源である宇宙と、自分が一体になっているような、そんな快感があった。
と、怖いと思うくらいに肌で感じていたスピードが急に消えた。彼女は暗闇の中に落ち込んでいた。目の前には、大きな壁が立ちはだかっている。暗闇なのにも関わらず、目の前の漆黒の壁だけははっきりと見える。その壁には、何やら文字が書き込まれている。ATGCATGC…。こんな文字の羅列を彼女は大学の教科書で見た記憶がある。自分の中にも生来刷り込まれている、生命を司る暗号、生命が生命たりうる証。壁にはその証となる情報が刻まれていた。
むろん、彼女はその暗号の並びをすべて覚えているわけではない。しかし、なぜか彼女は一目見て、これはヒトゲノムの配列だとわかった。そして、ところどころ、その配列にミスがある。つまり、突然変異によって、情報が書きかえられてしまっているのだ。
彼女は、何とかこの壁を壊したいと思った。そうしなくては、私たちには未来はない、と。彼女は肩にかけていたギターをかき鳴らそうとした。自分の奏でるサウンドで、この壁を打ち崩そうとしたのだ。しかし、その刹那、ぶちっと音がした。見ると、ギターの絃がすべて切れてしまっていた。彼女は絶望感に襲われ、その場にへたり込んでしまった。
果てのない暗闇の中で、壁はちっぽけな彼女をあざ笑うかのようにそびえ立っていた。
けたたましい目覚ましの音で、彼女は目を覚ました。
窓の外は明るい。いつもの朝の光景だ。彼女はほっと胸を撫で下ろした。この夢を見るのは、はじめてのことではなかった。もう何度も見ている。なのに、夢の中のあの闇の恐怖から、明るい朝日の住む朝に帰ってこれた時に、胸を撫で下ろす癖は未だに治らない。
彼女は起き上った。布団をたたんで、顔を洗う。またいつもと同じ一日が始まるのだ。大学に出かけ、講義を受け、仲間たちとお茶をして、下宿先に帰ってくる。授業の課題がまだ終わっていなかったから、今日は帰ったらそれをやらなくてはならない。
これが平沢 唯のたいていの一日の流れであった。彼女がN女子大に入学して、そろそろ一年になろうとしている。大学に合格してすぐに大学の近くの寮に部屋を借り、一人暮らしを始めた。初めは慣れないことも多く、失敗も多かったし心細いこともあったが、住めば都というもので、今ではひとりでも不自由なく暮らしていけるようになった。
朝食も済ませた。今朝は、いちごジャムを塗ったトーストに、インスタントのコーンスープだ。家族と暮らしていた頃は、妹が食事を作ってくれていたが、ひとり暮らしをしているので、自分の食事は自分で作らなくてはならない。なので、どうしても手抜きがちになってしまう。ことに、慌ただしい朝には、サラダもフルーツもなく、本当に簡単な食事で済ませてしまうことが多い。
これでも相当慣れた方なのだ。元来寝坊がちで、高校までは朝は妹に起こしてもらっていた彼女は、大学に入って寝坊にかなり苦しめられた。朝一の講義を寝過ごしてしまうこともザラで、そのため一年時の一時間目の講義の単位は殆ど落とした。落とした科目の中に、必修科目がなかったことがせめてもの救いだ。必修科目を落とさなければ、ある限度以上の単位を取れていれば進級はできる。とりあえず、単位数の方は問題なかったので、唯は無事二年生に上がることができた。だが、このままでは次の進級、さらには卒業が危うくなる。なので、これからは心を入れ替えねばと思い、ひとりでも朝起きられるように心がけているのだった。
朝食を済ませ、身支度をととのえたら、唯は部屋を出た。穏やかな春の風が、身体を通り抜ける。
「もう春だね。エヘヘ…」
彼女は嬉しそうにぽつりと呟いて、歩き出した。自室のある2階から下に降り、寮を出た。ここから大学の門までは、10分ほどで着く。今日の朝一の授業のある講義室までと考えても、15分あれば十分だろう。十分間に合うはずだ。
「おっす」
という声と同時に、後ろから肩を叩かれた。振り返ると、高校時代からの友人、田井中 律だ。
「りっちゃん、おいっす」
律は友人たちから『りっちゃん』と呼ばれている。高校時代、唯が所属していた軽音楽部のメンバーであり、部長でもあった女の子だ。唯のパートはギターであったのに対し、彼女はドラム。エネルギッシュで明るい子だ。
高校時代は、やや短めの髪に、カチューシャで前髪を上げておでこを出すヘアースタイルが常であったが、大学に入ってからは、色んなヘアースタイルを試すようになった。髪も、あの頃よりは少し伸びたようだ。だが、ピンで止めても後ろで縛っても、おでこを出すことだけは忘れない。
因みに、当時の軽音楽部の同級生は唯や律を含めて四人いたが、全員が同じN女子大に進学している。実は後輩の梓、妹の憂までもが同じ大学に入学している。高校時代のようにまたみんなで過ごせることを唯は嬉しく思っていた。ただ、部屋が狭いため、同居は困難だということで、憂はまだ自宅から通うことになっている。とはいえ、度々部屋には訪れ、色々と世話を焼いてくれるのだが。
「めずらしい。今日は早いなぁ」
律がイタズラっぽい笑みを浮かべて云った。
「うん。これからは寝坊しないようにしなくちゃ、と思って」
(第一章・衝撃)
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また、この夢か。彼女は思った。
自分は今、水の中にいる。けれど、自分の姿は水に包まれてはいない。四方を水の壁に包まれた空間の中に、自分は今たたずんでいる。
目の前に、水でできた階段がある。ひと巻きのらせんを描きながら、それは下の階へと続いている。一歩一歩、確かめるように下りてみる。ピシャリ、ピシャリという水の跳ねる音を聞きながら (とはいえ、足は少しも濡れていない) 、下の階へ来てみた。すると、突然、眼前に宇宙とも云うべきか、何か果てしのないものが広がった。次第に胸の中の時間が加速度を増し、気づけば自分は今、光の速度で気の遠くなるような時間の中を旅している。それは、我々のたどってきた進化の歴史だ。過去と現在と未来を途絶えることなく繋いでいる、らせんの形をしたものの果てのない旅路だ。
彼女は急に怖くなった。目をつぶりがむしゃらに手を伸ばした。すると、何やら手に当たるものがあった。掴んで自分のもとへ引きよせ、目を開けてみると、それは自分の愛用のギターだった。抱きかかえるようにしながら、6つの弦を親指でなぞってみた。すると、アンプにもつないでないのに、それは大きく、のびやかで、倍音豊かなサウンドを奏でた。その刹那、自分の周りをぐるぐる回っているらせんの一部分が、激しく光り出した。
その光は自分の目から自身の身体全体の細胞へ行き渡り、身体全体を激しく揺さぶった。まるで、自分の目の前のらせんと、自分の身体の中のらせんが呼応しているかのように思えた。
彼女は大きく息を吐き、再び目を閉じた。今の周囲の情景は、測り知れない空洞のような得体の知れない怖さがあり、スリリングであり、壮大であり、心地よくもあった。生命の源である宇宙と、自分が一体になっているような、そんな快感があった。
と、怖いと思うくらいに肌で感じていたスピードが急に消えた。彼女は暗闇の中に落ち込んでいた。目の前には、大きな壁が立ちはだかっている。暗闇なのにも関わらず、目の前の漆黒の壁だけははっきりと見える。その壁には、何やら文字が書き込まれている。ATGCATGC…。こんな文字の羅列を彼女は大学の教科書で見た記憶がある。自分の中にも生来刷り込まれている、生命を司る暗号、生命が生命たりうる証。壁にはその証となる情報が刻まれていた。
むろん、彼女はその暗号の並びをすべて覚えているわけではない。しかし、なぜか彼女は一目見て、これはヒトゲノムの配列だとわかった。そして、ところどころ、その配列にミスがある。つまり、突然変異によって、情報が書きかえられてしまっているのだ。
彼女は、何とかこの壁を壊したいと思った。そうしなくては、私たちには未来はない、と。彼女は肩にかけていたギターをかき鳴らそうとした。自分の奏でるサウンドで、この壁を打ち崩そうとしたのだ。しかし、その刹那、ぶちっと音がした。見ると、ギターの絃がすべて切れてしまっていた。彼女は絶望感に襲われ、その場にへたり込んでしまった。
果てのない暗闇の中で、壁はちっぽけな彼女をあざ笑うかのようにそびえ立っていた。
けたたましい目覚ましの音で、彼女は目を覚ました。
窓の外は明るい。いつもの朝の光景だ。彼女はほっと胸を撫で下ろした。この夢を見るのは、はじめてのことではなかった。もう何度も見ている。なのに、夢の中のあの闇の恐怖から、明るい朝日の住む朝に帰ってこれた時に、胸を撫で下ろす癖は未だに治らない。
彼女は起き上った。布団をたたんで、顔を洗う。またいつもと同じ一日が始まるのだ。大学に出かけ、講義を受け、仲間たちとお茶をして、下宿先に帰ってくる。授業の課題がまだ終わっていなかったから、今日は帰ったらそれをやらなくてはならない。
これが平沢 唯のたいていの一日の流れであった。彼女がN女子大に入学して、そろそろ一年になろうとしている。大学に合格してすぐに大学の近くの寮に部屋を借り、一人暮らしを始めた。初めは慣れないことも多く、失敗も多かったし心細いこともあったが、住めば都というもので、今ではひとりでも不自由なく暮らしていけるようになった。
朝食も済ませた。今朝は、いちごジャムを塗ったトーストに、インスタントのコーンスープだ。家族と暮らしていた頃は、妹が食事を作ってくれていたが、ひとり暮らしをしているので、自分の食事は自分で作らなくてはならない。なので、どうしても手抜きがちになってしまう。ことに、慌ただしい朝には、サラダもフルーツもなく、本当に簡単な食事で済ませてしまうことが多い。
これでも相当慣れた方なのだ。元来寝坊がちで、高校までは朝は妹に起こしてもらっていた彼女は、大学に入って寝坊にかなり苦しめられた。朝一の講義を寝過ごしてしまうこともザラで、そのため一年時の一時間目の講義の単位は殆ど落とした。落とした科目の中に、必修科目がなかったことがせめてもの救いだ。必修科目を落とさなければ、ある限度以上の単位を取れていれば進級はできる。とりあえず、単位数の方は問題なかったので、唯は無事二年生に上がることができた。だが、このままでは次の進級、さらには卒業が危うくなる。なので、これからは心を入れ替えねばと思い、ひとりでも朝起きられるように心がけているのだった。
朝食を済ませ、身支度をととのえたら、唯は部屋を出た。穏やかな春の風が、身体を通り抜ける。
「もう春だね。エヘヘ…」
彼女は嬉しそうにぽつりと呟いて、歩き出した。自室のある2階から下に降り、寮を出た。ここから大学の門までは、10分ほどで着く。今日の朝一の授業のある講義室までと考えても、15分あれば十分だろう。十分間に合うはずだ。
「おっす」
という声と同時に、後ろから肩を叩かれた。振り返ると、高校時代からの友人、田井中 律だ。
「りっちゃん、おいっす」
律は友人たちから『りっちゃん』と呼ばれている。高校時代、唯が所属していた軽音楽部のメンバーであり、部長でもあった女の子だ。唯のパートはギターであったのに対し、彼女はドラム。エネルギッシュで明るい子だ。
高校時代は、やや短めの髪に、カチューシャで前髪を上げておでこを出すヘアースタイルが常であったが、大学に入ってからは、色んなヘアースタイルを試すようになった。髪も、あの頃よりは少し伸びたようだ。だが、ピンで止めても後ろで縛っても、おでこを出すことだけは忘れない。
因みに、当時の軽音楽部の同級生は唯や律を含めて四人いたが、全員が同じN女子大に進学している。実は後輩の梓、妹の憂までもが同じ大学に入学している。高校時代のようにまたみんなで過ごせることを唯は嬉しく思っていた。ただ、部屋が狭いため、同居は困難だということで、憂はまだ自宅から通うことになっている。とはいえ、度々部屋には訪れ、色々と世話を焼いてくれるのだが。
「めずらしい。今日は早いなぁ」
律がイタズラっぽい笑みを浮かべて云った。
「うん。これからは寝坊しないようにしなくちゃ、と思って」
作品名:【けいおん!続編!!】 水の螺旋!!! (第一章・衝撃) 作家名:竹中 友一