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名もないお話

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幼い頃から、アモンテールは恐ろしい化物だと教えられてきた。
それを疑うことなどなく、アモンテールは狩るべき対象だと思っていた。
そうしなければ、自分たちがやられてしまう。
形だけ人に似た、人とは違う邪神の末裔。

聖地とやらに攻め込むときも、躊躇いなどなかった。
あいつらは化物なのだから、と。

攻め込んでしばらくすると、少しずつ身体の動きが鈍くなってきた。
思うように身体が動かず、ふらついてしまう。
最初は、極寒の外から急に暖かな中に入ったせいで気温の差についていけていないのだと思っていた。
しかし、やがて立っていられなくなり、意識すらも暗く落ちていく。

これは、アモンテールの呪いなのか?
化物の呪いで、このまま死ぬのだろうか。
死にたくない。
そう心の中で呟いたのを最後に、意識は闇に溶けた。




少しずつ、意識が浮上していく。
自分は、生きているのだろうか?
確かめたくて、薄く目を開く。

途端に、目の前にアモンテールの顔を見止め、思わず飛び起きようとする。
が、身体は言うことを聞かず、僅かに身じろぎをしただけだった。
身体中に痛みが走り、呼吸は熱を持っているのが分かる。
自分が目を覚ましたことに気付いたのか、アモンテールの女が覗き込んでくる。
動けない身ではどうしようもなく、何をされるのかという恐怖が全身に走る。

だが、一瞬目が合ったアモンテールの女は、自分を見てホッとしたように笑った。
それがあまりにも優しげな笑みに見えて、戸惑う。
目の前にいるのは、アモンテールだ。邪神が生み出した化物だ。
なのに、何故、そんな顔で笑う。

自分の置かれた状況が知りたくて、自由にならない身体を必死に動かし周りを見渡す。
すると、同じくこの聖地へ攻め込んできた仲間たちが同じように寝かされていることに気がついた。
その周りには、アモンテールの女が何人かいて汗を拭いたり何やら飲ませたりしている。

そうしているうちに、傍にいた先程の女が同じようにトロリとした液体を自分の口元へと持ってくる。
飲め、ということなのだろう。
しかし、こんな得体の知れないものを飲めと言われて、はいそうですかと従えるはずがない。
無駄かもしれないが、僅かに顔を逸らして拒否の意志を見せてみる。
チラリと視線だけ向けると、女は困ったように首を傾げていた。

「……何を、飲ませる気だ……」
そう尋ねてみるが、女の口から出た言葉はまるで理解できない音の羅列だった、
そういえば、操る言葉が違うのだ。話など出来るはずもない。

……話?
化物相手に、自分は何を考えているのか。
話など、通じる相手であるはずがないのに。

女は何とか飲ませようと何度もその液体を近づけてくるが、拒否をし続けた。
力ずくで飲まされる覚悟はしていたが、そこまでする気はないようだ。
諦めたのか、一旦それを置くと、布を取って男の身体の汗を拭き取り始めた。

まるで世話を焼かれているようで、訳が分からなくなる。
そもそも、自分がこんな風に動けないのはアモンテールの呪いのせいではないのか。
それなら、何故、こんな看病のようなことをする。

そんなことを考えていると、不意に部屋の外から男の声がかかった。
女は立ち上がると、そちらの方へと歩いていく。
視線を向けると、そこにいたのはアモンテールではなく、人間の男。

部屋の一番端……廊下に面した場所に寝かされているおかげで、声は十分に聞こえた。
会話の内容は分からないが、男が「テンコ」と呼ばれているらしいことは分かった。
段差があるため上半身しか見えないが、あの紅い制服は確か王太子領の制服だ。
ということは、あの男はオルセリート……いや、ヘクトルの部下だろうか。

言葉が分からないながらも聞き耳を立てていると、ひとつだけ知った言葉が聞こえた気がした。
「タイビョウカ」…………「大病禍」?
そういえばここに向かう途中、クックラント街道近くで大病禍が発生した可能性があるという噂は聞いた。
だが、あくまで噂の範囲だと思っていたのだが……。

ふと、外の男の視線がこちらに向けられる。
自分が様子を窺っていたことに気付かれたようだ。
「テンコ」と呼ばれたその男は、数歩近付くと、段差に手を置き話しかけてきた。

「意識が戻ったのか。おまえは……助かるかもしれないな」
「助か……る……?」
「そうだ。おまえたちは皆、大病禍にかかったんだ」
まさかと思っていた言葉が発せられ、口は開いたものの言葉は出なかった。

大病禍。
一度発症してしまえばまず助かることのない、死の病。
それに、自分たちがかかったというのか?

「おまえたちが連れていたリスネズミが媒介となったのだろう。
 だが……全員は無理だが、何人かは助かりそうで良かった」
大病禍にかかって助かった人間など、見たことがない。
自分の父も母も、皆、大病禍で苦しんで死んでいった。
そう思ったのが顔に出ていたのか、男は更に言葉を繋ぐ。
「ホクレア……おまえたちが『アモンテール』と呼んでいる彼女たちが、おまえを助けてくれたんだ」
「そんな、こと……ありえない……」
「だが、現実だ。彼女たちが煎じてくれた薬と懸命な看病で、おまえは命を取り留めた。
 それは、変えようのない事実だ」
男が指差す方を見ると、数人のアモンテールの女たちが確かに兵士たちを看病しているように見えた。
「何人かでも助かれば…………ベルカ殿下も少しはお心が休まるだろう」
「ベルカ……殿下?」
確かにベルカを捜すことを名目としてはいたが、まさか本当にここにいたとは思わなかった。
いや、ここにいたとして、ベルカが追っ手である自分たちの命を心配する理由などない。
「ベルカ殿下はかつて母君を大病禍で亡くされている。
 ここでまた大病禍で皆が死ぬのを見るのはお辛いだろうからな」
たとえそれが自分を捕らえにやってきた連中だとしても、と男は付け加える。

「とにかく、今はちゃんと薬を飲んで養生して、身体を治すことに集中するんだな。
 それから……これからどうすべきかを自分に問えばいい」
そう言い残し、男は去っていった。

作品名:名もないお話 作家名:千冬