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名もないお話

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すると、先程の女が再び自分の傍へと戻り、液体の乗った皿を持って口へと近づけてくる。
心配そうな顔で覗き込むその女に、その液体が薬なのだと知る。
アモンテールの薬。
一体、何で出来ているのかも分からない。安全だという保証もない。
だが……。

僅かに口を開けると、女は表情を緩め、ゆっくりとそれを男の口内に流し入れた。
少しの躊躇いの後、コクリと飲み下す。
…………正直言って、かなり不味い。
薬だと思わなければ、吐いていてもおかしくないくらいだ。
それでも何とかすべて飲むと、女は安心したように微笑んだ。

……分からなかった。
自分たちは、アモンテールにとっては間違いなく敵だ。
アルロンの薬を使い、アモンテールの女たちを捕らえて売り払うためにここに来たのだ。
もしも大病禍を発病しなければ、自分たちに捕らえられて奴隷として売られていたことを理解していないはずはない。
それなのに、何故こんなに献身的に看病をする。
何故、意識を取り戻した自分を見てあんな風に嬉しそうに笑える。

そんなことを考えていると、ヒヤリとしたものが額に乗せられた。
どうやら、冷たい水に浸し固く絞った布のようだ。
熱を持った額に冷えた柔らかい感触が心地良かった。

女が何事かを呟くが、内容が分からない。
しかし女はさほどそれを気にした様子はなく、いくつか言葉を続けて笑った。
その笑顔には邪気などまるで感じられず、優しげに見つめるその目に思わず吸い寄せられる。


アモンテール。
黒い肌に白い髪、赤い瞳を持った、人ならざるもの。
邪神が生み出した、邪悪なる化物。


……化物?
本当に?
目の前で微笑んでいるこの女は、本当に忌むべき化物なのか?


今まで信じてきたものが根底から覆されるような、計り知れない恐怖。
それと同時に湧き上がる、新しい何かを得たような激しい高揚。
2つの感覚が、ない交ぜになって心を乱す。

何を信じればいいのか、分からなくなる。
子供の頃から教え込まれてきた伝説か。
それとも、目の前で微笑むこの女か。

少しくらいなら動けるだろうと、何とか僅かに腕を持ち上げる。
緩慢な仕草でその手を女に伸ばすと、少し躊躇いがちに女がその手を取った。


初めて触れたその手は────とても、温かかった。

作品名:名もないお話 作家名:千冬