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ワインボトルとひまわり

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 体が軋むような痛みと共に、セイレンは目を覚ました。頬に感じる、硬い感触。霞んだ視界に飛び込んでくる、まだうすい日の光。同じように、あまりはっきりとしない頭を抱えて、セイレンはもぞもぞと顔を上げた。それまで丸まったままだった背中が、まるでかみ合わない歯車のように、ぎしぎしと音を立てて伸びる。
「まーた、寝ちまったかぁ」
 大きなあくびと一緒にもれた独り言が、静まり返った店にわずかに響いた。アリエルの酒場。宿屋を兼ねたこの建物は、夜の喧騒とは打って変わって、朝は静寂に包まれている。良くも悪くもいつも賑やかな酒場が眠る、一瞬の静けさ。一晩、セイレンの寝床と化していた粗末なテーブルが、小さく揺れた。長さの違うテーブルの脚が、床と叩き合いの喧嘩をしている。
 そのテーブルの上には、昨日飲んでいたワインのボトル。大して高くないが味は悪くなかった。普段ワインはあまり飲まないが、おいしいから、とマナミアに薦められ、クォークに奢らせたもの。グラスやら何やらはすべて片付けられ、その空き瓶だけが、テーブルの上に置き去りにされている。片付け忘れられたのではない。セイレンは、そのワインボトルに我が物顔で居座っている「それ」に、眉をひそめた。
「なんだこれ」
 カラッポのボトルに、一輪の花が挿してあった。赤い花びらを幾重にも重ねたその花。マナミアに聞くまでもない、一目ですぐに名前が分かるその特徴的な姿をした花は、窓から差し込んでいる日差しを全身に浴びて、その存在をオーバーに主張している。
 テーブルを片付けたのがアリエルなら、酒の代金を払ったのはクォーク。身体に毛布をかけてくれたのはマナミアだろう。そして、こういう意味の分からないことをするやつもまた予想がつく。何のつもりか知らないが、いちいち腹の立つ野郎だ。二日酔いで痛む頭をさらに痛めながらセイレンが椅子にもたれかかると、毛布が床に乾いた音を立てて落ちた。
 酒場の扉のベルが鳴ったのは、セイレンが毛布を拾おうと身をかがめたのと、ほぼ同時だった。


 「よう、お目覚めかい、酒乱姫さん?」
「そういうテメェはまた朝帰りか、この女たらし」
 セイレンが顔を上げた先には、ジャッカルがいた。丁度、頭の中に思い浮かべていたのと同人物。あいかわらずの憎まれ口に、憎まれ口を返せば、ジャッカルは肩を揺らして笑った。
「おーおー、怖いねぇ。なに朝から怖い顔しちゃってんの」
「誰のせいだ」
「え?俺のせい?」
「決まってるだろ。おまえなぁ、こういう意味分からねぇことすんなよ」
 むっとした顔を頑なに崩さないまま、セイレンはボトルを指差す。するとジャッカルは「ああ」とわざとらしく納得した様子を見せながら、テーブルに歩み寄った。
「コレね。なるほど、なかなかいいプレゼントじゃねぇか」
「なんだよ、人事みたいな言い方しやがって」
「おまえこれ、俺からのプレゼントだと思ってんのか。残念だったなー、言っておくが、コレは俺がやったんじゃねーよ」
「……え?」
 意外な答えに、セイレンは思わず気の抜けた声を出す。そんな様子をジャッカルが見逃すはずもない。格好のからかい相手が出来たとばかりに、セイレンの向かいの椅子に座って身を乗り出した。
「お?お前、まさか期待してたのか? はっはっは、じょーだんキツイぜー」
「うるひゃい!」
「いでっ!」
 舌を噛みながら繰り出したセイレンの脚蹴りは、テーブルの下という見えない状況ながら、しっかりとジャッカルの脛を捉えた。
「じゃあコレはいったい誰の仕業だよ」
「おー、いて、すっげぇ痛ェ……ん?これか?昨日ここに座ってたどっかの傭兵だよ。おまえ、一緒に飲んでたんだろうが」
「は? 一緒に飲んでた? 知らない男と?」
 思いがけない言葉に、セイレンは目を丸くした。そんなことまったく記憶にない。
「なんだよ、覚えてないのか。まぁ、べろべろに酔っ払ってたもんなぁ、おまえ。どうせマナミアか誰かと飲んでたつもりだったんだろ」
「そ、そうだ、あたしはマナミアと一緒に、……このワインだって」
「ちげぇよ。その傭兵が、おまえに『こういうのも飲んで見たらどうだ』って薦めたんだろうが。ったくお前はノーテンキすぎんだよ」
「う、ウソだ、あたしは信じねぇぞ」
「嘘だと思うなら、マナミアなりエルザなりに話を聞いてみろ。誰も否定はしねぇと思うぜ」
「んなっ、まさか……」
 セイレンは必死に、昨晩のおぼろげな記憶を引っ張り出す。言われてみれば確かに、誰と飲んでいたのかはっきりしない。
「な、なんで止めてくれなかったんだよ!」
「止めたさ、エルザもクォークもユーリスもマナミアもな。けどおまえ、まったく聞く耳持たずだったから、しまいにゃみんな諦めてたぜ」
「マジかよ……」
 やれやれ、といわんばかりの表情でジャッカルは首をすくめて見せた。
「で、その男が立ち去る間際に、そのバラをプレゼントしたってワケだ。いやー、世の中にはおまえに惚れるような物好きもいるんだな!あ、ちなみに、バラを受け取ってボトルにご丁寧に挿したのは、セイレン、おまえだからな」
「だーっ!!もういいもういい!それ以上なにも言うんじゃねぇ!」
「ははは、顔が真っ赤」
「うるせっ!!」
「あ痛っ!!」
 二度目の蹴りが、同じ場所にヒットし、二度目の悲鳴が店内に響く。すると、最初に蹴飛ばした時には聞こえなかった小さな音が、後に続いた。ぱさりと、なにか軽いものが落ちたような音。
「あん?」
「あ……っと、やべ」
 ジャッカルの背後に、何かが落ちた。セイレンが覗き込むと、ジャッカルの影に、黄色いものが見えた。
 そういえばこいつ、ここに入ってきたときから何か不自然なカッコしてたと思ったけど、何か隠し持っていやがったのか。黄色いものは、ジャッカルの体が邪魔でよく見えない。セイレンが、床の落し物とジャッカルの顔を交互に見ると、ジャッカルは観念したように、手を上げて降参した。
「で、テメーはなにを持ってきやがったんだよ」
「そう怖い顔するなって。ほら、これだよ」
 ジャッカルが拾い上げたそれは、一輪の花だった。小さな黄色い花びらを幾重にも重ねたその花。マナミアに聞くまでもない、一目ですぐに名前が分かるその特徴的な姿をした花は、窓から差し込んでいる日差しを全身に浴びて、その存在をオーバーに主張している。
「なんだよ、これ」
「ひまわり」
「んなこと知ってる」
「やるよ、お前に」
「……え?」
 意外な答えに、セイレンはふたたび気の抜けた声を出す。ジャッカルは少し笑って、ぽかんとしているセイレンに、ひまわりを持たせた。
「へぇ~、おまえも、花を持つだけでけっこうそれっぽく見えるじゃねぇか」
「それはどういう意味だ」
 しげしげと楽しそうにセイレンを眺めるジャッカルを、セイレンは遠慮なく睨み返す。ジャッカルは悪びれる様子もなく、手をひらひらと振った。
「そう怒るなって。せっかくの花が台無しになっちまう。別に、おまえにやろうとして買ってきたわけじゃねーから心配すんな。街で偶然手に入れたんだよ」
「そ、そんな心配してねーよ!」
「そうかい、なら安心だな。妙な気持ち持たれたんじゃ、たまんねぇからな」