【No.6】生死の境
「はぁ〜! 食った食った。生き返った!」
食後の水をゴクリと飲んで、紫苑は取り戻した元気な声で言った。
たかがパン二切れと、干し肉数切れの食事が、こんなにうまいと思わなかったのは同感だが、ネズミはぼやいた。
「あれだけあったら、200グラムのステーキでも食えたろうにな…」
「ぜいたく言わない」
「せめてあの半分でもあれば…」
「そんなの言い出したらキリがないぞ、ネズミ。あれはなかったものだと思えば、気分もスッキリ…」
せまい卓越しに明るい灰の目が睨んでくる。
肩をすくめかけた紫苑が、その視線に目を留めて、気まずそうに肩を落とした。
「……ごめんよ。甘いこと言ってる自覚はあるけどさ。やっぱり僕には出来ないよ」
「あんたはな。でも俺は出来る」
「だよね。でも君にもして欲しくない」
「飢え死にしてもか? 清く貧しく美しく、餓死しろってか?」
「それは困るけど…、とりあえず、生き延びたじゃないか」
「俺のもらったセーターの代金で、な」
へろりと笑う青年の暢気さに、ネズミは目眩をこらえた。腹が立つやら情けないやら呆れるやら、言いたいことは百万言あるというのに、あまりに多すぎて開いた口から出ない。
仕方がないから目で訴えた。おどろおどろ線を背負って恨めしげな目を、じっと紫苑も見つめ返し、やがて呟いた。
「……ネズミ、そんな顔するなよ」
「え?」
「やりたくなるだろ」
話が明後日の方に吹っ飛んだ。
「え? あ? ……えぇ?」
おもむろに立つ青年を見上げたなり、トサリとベッドの上に倒されていた。いや、元からテーブルなんて物がない部屋で、ベッドをいす代わりにしていたのだが。
ギシッと古いベッドを軋ませて、紫苑の体がのしかかってくる。
顔には柔らかな笑み。見方によっては無邪気とも取れる。紫苑の顔つきは、透き通るような白い髪とあいまって、古い宗教画にある天使の絵姿を思い起こす。
その天使がニコニコしている。だが今は、天使と言うより、腹のくちた若い獣を彷彿とさせた。
「ネズミ、今日は君に感謝しなきゃな」
人間も獣も天使も、食欲が満たされれば次は性欲と言うことらしい。
「いや、ちょ……」
ゴソゴソと服の裾から潜り込んでくる手を必死で引き留めながら、ネズミは肘で上にずり上がったが、すぐさま腰をとられて引きずり戻された。
「セーター代の半分。僕、がんばってサービスするから」
「っ…ちょ、紫苑待て、タンマ! なんでそうなる…!?」
こんな時こそ、セックスの消費カロリー計算をして欲しいネズミだったが、すぐに紫苑も、ネズミ自身も数なんて冷静に数えられなくなった。
作品名:【No.6】生死の境 作家名:しい