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【No.6】生死の境

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 信じられない、とネズミの方が呆れる。
 紫苑は犬に押されるまま、先ほど見た部屋の隅に追いやられた。廊下の奥にある、いつもイヌカシがいる部屋ではない。そこにたぶん有り金も隠しているだろうと踏んでいたネズミは、目を丸くした。
 黒い犬は鼻先で毛布の下を探っている。
「え、ここ? こんなとこに?」
「意外だな」
 ふたりして積み上げられている毛布をバサバサどける。
「そういや、ここ掘れワンワンって話もあったな」
「日本昔話だね。君、そんな演目までやるのか?」
「するか、バカ」
 埃と犬の毛だらけの毛布を全部剥ぐと、かつては緑色だったらしいタイルの床がある。
「……で?」
 ネズミが犬に聞いた。犬は昔話そのもののように、カリカリとタイルのひと隅を前足の爪で引っかく。
 紫苑が少し浮いていたタイルのはしに指を入れ剥がすと、下床の窪みに黒っぽい布袋がはまっていた。
 覗き込んだ二人の目が輝いた。
「うそ…マジにあったよ」
「クロ! でかした!」
 自分の犬でもないのに、ネズミが盛大に誉める。
 袋の中にはガッポリ…とまでは言えないが、結構な額の硬貨が入っていた。これだけあれば、一ヶ月は無職無給でも余裕で過ごせる。
 ネズミはヒュウ、と口笛を吹いた。
「イヌカシの奴、最高の隠し場所を考えたな。仔犬を産んだ母犬ほど、外敵に凶暴なものはないからな」
 万一イヌカシが留守中でも、仔犬がいる限り母犬は決してこの場から離れない。毛布の下の金よりも、上の我が子を守るため、母犬は侵入者を死にもの狂いで排除するだろう。紫苑が不思議そうに首を傾げた。
「けど、仔犬達はもう走り回っているのに、何でここに隠したままだったんだろう?」
「忘れてんだろ。間抜けのあいつらしい」
「彼は間抜けじゃないぞ」
「どうでも良いから、この金持って、さっさとズラかろう」
 立派に空き巣と化しているネズミに、紫苑は情けなさそうな顔を作ると、おもむろに彼の手から袋をひったくった。ザラリと掌に金を出し、その中から五枚だけ銅貨を取り上げ、あとは元に戻す。ネズミが唖然と口を開いた。
「ちょ…何やってんだよ」
「セーターの適正価格はこのくらいだ」
「ちょっと待て、こんなにあるのに適正価格もへったくれも、これ全部持っていきゃいいだろ!? お…おおい、戻すな!」
「ネズミ」
 紫苑はクルリと振り返り、セーターと同じ色の目で、いやセーターなんかよりずっと深い紫の目でじっと見上げてきた。
「泥棒は、いけない」
「っ………」
「この金はイヌカシが汗水流して稼いだ金だ。これがなくなったら彼だけじゃない、犬達も飢えて死ぬかもしれない」
「…あのー、俺たちも、餓死寸前だって覚えてますか?」
「もちろん。だけど、セーターの代金分あれば、十分生き延びられる」
「この金、イヌカシが覚えてないかもしれないのに?」
「彼が忘れていても、クロはちゃんと覚えていた。僕らはセーターの代金を受け取りに来ただけだ。それ以上の金はイヌカシの物だ。いいか? ネズミ。僕らは生活は貧しくても、心まで貧しくなっちゃいけないんだ。泥棒は、恥ずべき行為だ」
 ネズミは絶句した。この期に及んでこの西ブロックで、まさかこんなモラル改善運動のスローガンじみた言葉を聞くとは思わなかった。
 腹立ちより呆れが先に立って、口をパクパク開くしかないネズミの前で、紫苑は丁寧に毛布を元に戻し、彼の瞳と同じ色のセーターもその上に乗せる。
 柔らかい布地は、また次に生まれる仔犬達も優しく包んでくれるだろう。
「クロ、じゃあイヌカシが戻ったら、このこと伝えておいてくれ」
 オウン、とうなずく黒犬をひと撫でしたあと、紫苑は立ち上がった。
「さあネズミ、帰ろうか。途中でパンと干し肉と…野菜も買えるかな?」
 二人分となると、銅貨三枚で買える量などたかが知れている。世にも恨めしげな目で、足下に積み上げた毛布を見ているネズミの肩を、紫苑はポンと叩いた。
「そんな顔しない! 人生、清く貧しく美しく。さぁ行くぞ。ご・は・ん。ご・は・ん!」
「それ言うなら、清く正しく美しく、だろうが…」
 腕を捕まれ引きずられながら、魂が抜けたような声が口をつく。唖然とし過ぎて腹も立たない。
 いや、怒るのはそれなりの体力がいるのだと、ネズミは改めて痛感した。

作品名:【No.6】生死の境 作家名:しい