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【東方】夢幻の境界【一章(Part6)】

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冬には独特の静けさがある。木々は葉を散らし、虫は鳴くのを止め、動物は眠りにつき、人間は家に閉じこもる。まるで世界から生き物がいなくなってしまったかのような、そんな静けさだ。そしてそれは博霊神社の物悲しさを際立たせていた。
 今日も、参拝客が来る気配はまったくない。
 しかし、どんなに参拝客が来なくとも、巫女としての仕事はこなさなければならない。
 霊夢は寒空の下、身体を冷たい風に震わせながら竹箒で境内に散らばる落ち葉をかき集めていた。時期が時期なので落ち葉の量は多く、集めた落ち葉の山はかなりのものになった。
 本当は早朝からはじめなければならないのだが、冬の寒さに負けて布団からどうにも出ることができなかったのだ。ただ、空腹を睡眠で紛らわしたいという気持ちがなかったのかと訊かれれば、答えは否だろう。
 まだ風に吹かれてかさかさと舞う落ち葉がいくつか見えるが、すべてを集めるにはこの境内はあまりに寒く、そして、これ以上の労働は耐え難い苦痛でしかなかった。
 落ち葉の山から視線を空に移し、深くため息をついた。それは冬の空気の侘しさに対するものではない。空を流れる雲の形が変わるたびに、いろんな食べ物に見えてしまう自分が情けないのだ。
もう、余裕なんてどこにもありはしなかった。
 落ち葉の山の側でしゃがみ、用意してあったマッチでそれに火をつける。火は徐々に広がり、ぱちぱちと音を立てながら燃え上がり、一筋の煙が上空へと伸びていった。
 霊夢は火のついた落ち葉の山に手をかざして暖を取りながら、煙の筋を目で追いかけるようにもう一度空を見て、誰に聞かせるわけでもなく呟いた。
「宴会、やろうかしら」
 紫の提案に賛同するというのは甚だ不本意ではあるが、そうも言っていられない。なにしろ今朝ついに残りわずかだった食料を食べつくしてしまったのだ。ここらで食料を調達しないと、それこそ命に関わる。
 ただ、自分から動くだけの気力など残っているはずもなく、霊夢は参加者の募集を別の人物に任せることにした。
 その人物――伊吹萃香は、自身の能力によって宴会の定期開催を定着化させようとしたことがあるほどの酒好きで、宴会の話をすればいくらでも手伝ってくれるはずだ。
 『密と疎を操る程度の能力』と呼ばれる萃香のそれは、物質から精神に至るまであらゆるものを萃(あつ)めたり疎めたりすることができ、以前萃香が起こした異変も、幻想郷中の人や妖怪の思いを萃めたことによるものだった。
 霊夢は神聖な巫女とは思えないほど気だるげに立ち上がると、誰もいない空に向かって、口の横に手を当てて萃香を呼ぶのに最も適した言葉を叫んだ。
「萃香ーうまい酒が飲めるわよー」
 数秒そのままでいると、背後に気配を感じたので振り返る。すると、今まで何もなかった空間に霧のようなものが集まって小さな雲のようになると、それは瞬く間に少女の形になって霊夢に飛びついてき、ぐるぐると回りだした。
「酒ー!」
 まともな食事が取れていない霊夢に、この無邪気な笑顔で戯れてくる少女を支えるだけの体力などあるはずもなく、なんとか少女を引き剥がして地面に立たせてると膝に手を当てて肩で息をした。まさかこれほどとは霊夢も予想だにしておらず、大きなショックを受けていた。
 少女は「どうした?」と言わんばかりの表情でこちらの顔を覗き込んでくるが、霊夢は一瞥もくれてやることなく呼吸を整えた。
「……萃香、お願いだから今の私に過度の運動をさせないで」
 萃香と呼ばれた少女は、今の言葉が意味するところを霊夢のやつれた頬と、ぐう、と鳴った腹の音から判断したのだろう。今までの無垢な子供のような顔が、哀れみのそれに変わった。その変化は雰囲気だけでも十分伝わってきたが、霊夢は一顧だにしなかった。見れば、余計に心の傷を抉ることになると容易に想像できたからだ。
 なんとか喋れるまでに回復すると、霊夢は背筋を伸ばして萃香の顔を見た。萃香は霊夢よりもかなり小さく、頭のてっぺんが霊夢のへそのあたりにあるので今の位置では若干話しづらいが、今しゃがむと立っているのも辛いのかと誤解されそうなので、そのまま喋ることにした。
「あんたに頼みたいことがあるんだけど」
「酒はー?」
 どうやら友人からの頼みごとより酒のほうが重要らしい。
 萃香のことを見た目が少女であるということしか知らないものがこの会話を聞けば間違いなく誤解するだろうが、実際に萃香を一目見ればその誤解も解けるだろう。なぜなら萃香の頭の両側には、体格とは不釣合いなほど大きな角が生えているのだから。
 そう。萃香は人間ではなく、妖怪なのだ。
 しかもそこらの木っ端妖怪など足元にも及ばぬ力を持ち、妖怪の中でも最強と謳われる種族、鬼なのだ。
 鬼はその強大な力で人間だけでなく妖怪からも畏怖の対象とされ、妖怪の山と呼ばれる場所では天狗や河童たちを支配していた幻想郷でもトップクラスの力を持つ種族なのだが、博霊大結界が創造されるころには幻想郷から姿を消していたため、霊夢は萃香に出会うまで鬼という存在を知らなかった。だが話を聞いてみると、鬼たちは地底に移住していたらしく、萃香もその移住した鬼の一人で、最近ではこうして頻繁に地上に出てきているそうだ。
 霊夢はわざとらしい咳払いをしてから萃香を見た。ただし、こっちの話を最後まで聞け、という明確な意思を視線に乗せて。
 こちらの意思が伝わったのか、萃香は叱られた子供のように肩を落とした。
「さっきも言ったけど、頼みたいことがあるのよ。お酒はそのあと」
「頼みごと? どんな?」
 萃香が首を傾げると、肩にかかっていた小麦色の髪の毛の束がはらりと落ちる。見た目が年端もいかぬ少女の姿のせいで色気はまるで感じないが、腰のあたりまで伸びた艶やかな髪は同じ女としてうらやましく思う。
「あのね――」
 霊夢は萃香に宴会の参加者を集める手伝いを頼もうとして、やはり考え直すことにした。 
 萃香が異変を起こしたとき、霊夢はそれを食い止めるために萃香と戦い、一応は解決という結末を迎えた。にも拘らず、自分が同じことをするというのはどうなのだろう。霊夢の知り合いの中でそれを非難するものはいないだろうが、博霊の巫女としての体裁を保たねばならないのも、また事実なのだ。
 いつまでも黙ったままの霊夢を不思議そうに見つめる萃香を他所に、霊夢は別の案を考えることにした。
 とりあえず、別の人物に頼むのが妥当だろう。たとえば、迅速かつ広範囲に情報を伝えてくれるような……
「あ」
 いる。
 まさにぴったりの人物が。
 突然俯いて口に手を当てながら黙りこくってしまったかと思えばいきなり顔を上げた霊夢を、萃香は口をぽかんと開けたまま眺めているだけだった。
 それに霊夢が気づいたのは、声を上げてすぐだった。
 なにしろその時の萃香の顔は、1000年以上生きた大妖怪とは思えぬほど間抜けな顔をしていたのだから。
 つい口元がほころびそうになるのを堪えることはできたが、背を屈めながら話し出してしまったのはほとんど無意識のうちだった。
「ねぇ、文(あや)を呼んでくれない?」
「文を? 別にいいけど」