【東方】夢幻の境界【一章(Part6)】
言って、萃香は霊夢に背を向けてから空に両手をかざした。能力を使うのにそういう動作が必要だという話は聞いたことがないので、萃香が雰囲気を出すためにやっているだけなのだろう。
「よし、これでしばらくすれば来ると思うよ」
腰に手を当てて貧相な胸を張って自慢げな笑みを浮かべる萃香を見て、つい頭を撫でて褒めてやりたくなるが、さすがにそれは子ども扱いをされたと怒るかもしれないので、やめておいた。
萃香の能力は何度も見たことがあるので、件の人物はあと数分もしないうちに飛んでくるだろう。
話も終わって気が抜けたのか急に寒さを思い出して身体が震えたので、霊夢は振り向いてしゃがむと、もう一度焚き火で暖を取ることにした。
萃香が背中にのしかかって何度も「酒はー?」と訊いてくるのは少しうっとうしく感じたが、これはこれで暖かいので放ってく。ただ、これなら子ども扱いしてもそんなに怒られなかったかもしれないな、と思った。
射命丸文(しゃめいまるあや)――彼女は妖怪の山に住む烏天狗の一人で、普段は新聞記者として幻想郷中を飛び回ってネタを追い求めており、文々。新聞(ぶんぶんまるしんぶん)という新聞を発行しては定期購読してくれないかと勧誘してくる。しかし、書いてあることは大して面白みもないことばかりなので、定期購読者が増えることはまったくなく、日々そのことを嘆いているようだった。
だが、それは霊夢にとってうってつけだった。
久しぶりの宴会ともなれば、参加者は皆羽目を外して新聞のネタになるようなことをしてくれるはず。それを餌に文に号外を出してもらえるように頼むのだ。異変の途絶えてしまった今なら、きっとうまく釣れるはずだ。
「そんなの私に頼めばいいじゃん」
とは萃香の言。
博霊の巫女としての話をしてやってもいいのだが、おそらくつまらないことにこだわる奴と思われて終わりだと思ったので、適当な言い訳をして誤魔化しておいた。
ちなみに、しょっちゅう一緒に酒を飲もうと言ってくるくせに、なぜいままで能力を使うなりして宴会を開こうとしなかったのかと訊いたら、地底で他の鬼たちと飲んでいたからだそうだ。実に萃香らしい答えだった。
「じゃあよろしくね」
宴会を開くにあたって、萃香にはある役割を担ってもらうことにした。うまい酒には、うまい肴が必要になる。萃香にはその肴を作ってもらうのだ。
萃香と並んで焚き火に当たっていると、遠くの空にこちらへ向かって飛んでくる人影が見えた。
「来たわね」
立ち上がり、人影に向かって手を振った。それに気づいたのか、人影は手を振り返す代わりに境内へと降り立った。
「おはよう、文」
冬だというのにふとももが丸見えの黒いミニスカートに半袖の白いシャツ、首には秋の装いを切り抜いたかのような色鮮やかなもみじの刺繍が施されたマフラーを巻き、これまた真っ赤に紅葉したもみじのように紅い一本歯の下駄を履いているという、人間からしたら考えられないような服装に、霊夢はさらに寒さが厳しくなったような錯覚に見舞われた。
霊夢が挨拶すると、文も笑顔で挨拶を返してきた。
「おはようございます霊夢さん……と、萃香さん」
萃香の名前を言うときに笑顔が引きつり、声が若干畏まった風になったのは、まだ二人の間に蟠(わだかま)りが残っているからだろう。鬼がまだ幻想郷にいた頃は、鬼と天狗は完全な上下関係にあったので、いまでも文は萃香に頭が上がらないのだ。鬼たちがまた妖怪の山に戻ってくれば、再び鬼を頂点とする社会に戻ってしまうので、文としてはできることなら鬼が幻想郷に戻ってきてほしくないのだ。もちろんそんなことを直接言えるわけもなく、今のように萎縮した態度になってしまうのだ。萃香もそれを理解しているようで、「ん」と小さく言って手を上げるだけだった。霊夢が生まれるはるか昔より続く蟠りというのは、そう簡単に無くなるものではない。
文と萃香の間に流れる空気に耐えかね、霊夢は二人の間に割って入るような形で話を切り出した。なにより、こんな空気にするために文を呼んだわけではないし、
「いきなりで悪いんだけど、文に頼みたいことがあるのよ」
「……なんですか?」
滅多に使うことのない営業用の笑みを顔に貼り付けて言うと、文は隠すことなく嫌そうな顔をしてきた。
さすがに貼り付けた笑顔が引きつってしまったが、霊夢はさらに話を続けた。
「文に号外を出してもらいたいんだけど」
「なにか特ダネでも!?」
霊夢が言い切ると同時に、文はポケットから手帳を取り出して表紙に引っ掛けてあったボールペンを取っていた。
目にも留まらぬ速さとはこのことか。
さっきまでの態度はどこへやら。すでに文の顔は新聞記者のそれになっていた。
あまりの速さと変貌振りに、霊夢は驚くのを通り越して呆れてしまった。
「いや、特ダネではないわね」
そう言うと、文は心底がっかりして「そうですか」と嘆息して手帳をポケットにしまった。
どうやら余程新聞のネタがなくて困っているらしい。
自分では気づいていないが、霊夢は営業用ではなく本物の笑顔に変わっていた。
そして落胆する文に、芝居がかった言い方でこう言った。
「でも、私に協力してくれたらネタになることに出会えるかもしれないわよ?」
霊夢は、文の耳がぴくりと動いたのを見逃さなかった。
魚が餌に食いついた。
ただ、釣り針が引っかかるにはまだ浅い。
こちらに顔を向けてきた文に、すかさず次の言葉を投げかけた。
「実は今日にでも宴会を開こうかなと思ってるのよ」
「宴会ですか」
聞き返してはきたものの、それは無意識に言っただけなのかもしれない。文の目は霊夢ではなく、霊夢の言葉の真意に向けられていた。
十分に興味を引くことができたらしい。
ここまできたらこっちのものだった
「そう。最近冬なのにまったく雪が降ってないでしょ? そこで萃香に頼んで雪を降らしてもらうことにしたのよ。ひさしぶりの雪見酒できっとみんな羽目を外して面白いことをしてくれるはずよ」
萃香に作ってもらう肴とは、このことだ。
冬になればいつも嫌というほど降っていた雪が、今年はまだ降っていない。宴会を開こうにも、ただ寒い場所に集まるだけでは盛り上がりに欠けるというものだ。そこで萃香の能力を使って雪雲をこの博霊神社の上空に集めてもらい、一年ぶりの雪見酒を楽しもうということにしたのだ。それに霊夢の知り合いには幸か不幸か酒癖の悪い連中が多いので、適当に煽れば新聞のネタになりそうなことのひとつやふたつはやらかしてくれるだろう。
霊夢の話をふむふむと頷きながら聞いていた文に、霊夢はさらに詳しい内容と号外に書いてほしいことを説明しようとして、得心がいったように少しだけ深く頷いた文が言った「つまり」という言葉に遮られた。
魚が、釣り針をしっかりと咥えこんだ瞬間だった。
「つまり、私に号外を出させて参加者と、それに食材も全部集めてしまおうというんですね? そして余った食材を全部もらおうと。私は皆さんが酒に酔って面白いことをすればそれを記事にする。たとえ記事なるようなネタがなくても、私は号外の報酬として何も持ってこなくても料理とお酒にありつける、と。」
作品名:【東方】夢幻の境界【一章(Part6)】 作家名:LUNA