魔女と星と
1.
父親を思い切り壁に叩きつけたあの日。
あの日から、少女は「魔女」になっていた。
「うわあああ!」
今日も今日とて、十六夜家の庭では歓声の代わりに悲鳴が飛び交っていた。
その家の子ども――十六夜アキが、またしても決闘の最中にモンスターを実体化させてしまったのだ。
現れたのは、ギガプラントという一山ほどもある巨大な植物族モンスターだった。
「魔女だ!」
「逃げろ!」
父親がせっかくあの手この手で集めて来てくれた「友達」は、来た時よりも素早く、蜘蛛の子を散らすようにして逃げて行ってしまった。
いつもそうだ。美味しい餌目当てにやって来た子どもたちは、アキに恐怖を感じるや否や彼女をあっさり見捨てて逃げて行くのだ。更に逃げて行った子どもたちから噂話は飛び交うので、「友達」の数はどんどん減っていく。この頃になると怖いもの見たさで遊びに来る子どもが大半を占めていた。
せっかく母親がおいしいおやつを用意してくれたのに、また今日も一人で食べることになる。その母親も、今日は婦人たちの集まりに出かけて家にいないのだが。
両親には常々言われている。ギガプラントやローズ・テンタクルスといった怖いモンスターを使うなと。使うのならもっと小さくてかわいいモンスターを使え、と。それはアキの両親の親心でもあったが、アキが使いたいカードはそうではないのだ。
「大体、ギガプラントのどこが悪いのよ。どこからどう見てもかわいいじゃない。身体は丸っこいし、頼めばブランコにもなってくれるし……悪口なんか、言わないし」
悪いのは外見だけではないということに、アキは気づかない。
とにかく、お客はもう帰ってしまった。多分もう、二度と来ない。
仕方がないので家に入っておやつでも食べよう、とアキが踵を返そうとした時。
「あら?」
広い庭にぽつん、と少年が一人居残っていたことにアキはようやく気がついたのだった。
「あなた、いつからここにいたのよ」
「最初からだ」
同じ年ごろの子どもと違い、彼は大人びていて静かだった。他の子どもたちが人の家だというのにぎゃあぎゃあと騒ぐものだからなおさらその中では存在が埋もれてしまう。
しかし、今ここに一人でいる彼は、異様な存在感を醸し出していた。
「よその家に呼ばれた時は、どんな時でも礼儀正しくするものだ。母さんはいつもそう言っていた」
「ふ、ふうん、そうだったの……」
もしかして、先ほどの独り言を全部聞かれてしまったのだろうか、この少年に。アキは恥ずかしくて叫びたい気持ちを無理やり抑えて訊いてみた。
「で、あなたは誰」
「不動遊星だ」
不動……不動と言ったら……。アキはいつぞやのパーティのことを思い出していた。
ネオドミノシティが積極的に誘致して今軌道に乗り始めたある事業。それのお祝いパーティが何カ月か前に開かれた。会社の方針で家族も一緒に参加できたので、アキも両親と共にパーティに行けたのだ。あの日は普段中々一緒にいてくれない父親と長く過ごせたのですこぶる機嫌がよく……。
いや、それどころではない。
そう、あの日事業の中心メンバーとして不動夫妻のことが紹介されていた。そして二人の傍には、父親とよく似た子どもが正装してひっついていた。アキはようやく目の前の少年の正体に思い当たる。
「それで? パパに言われてここに来たの? パパつながりで? それともおやつ目当てで?」
遊星は首を振ってこう答えた。
「俺がここに遊びに来たかったから来た。それだけだ」
「それだけ……?」
魔女の家に遊びに来るのに理由はそれだけ。
アキは、目の前の彼のことがよく分からなくなっていた。
遊星は暇を見つけてはアキのところに遊びに来ていた。
「魔女と遊ぶだなんて、あなたのパパやママは何も言わないの?」
「父さんや母さんは、MIDSの仕事でいつも忙しい」
「エムアイディーエス?」
「夢のエネルギーを作る仕事だと言っていた」
ならば、彼もアキと同じく一人なのだ。一緒なのだ。
しかし、彼は魔女―彼の場合は魔法使いか―にはなっていない。
「パパやママに放っておかれて、あなた寂しくないの」
「俺も寂しい。だけど、父さんはこう言っていた。『お前に満天の星空をプレゼントしたい』、と」
「星空? どうして?」
「昔、父さんや母さんが子どもだったころ、空はきれいで星が一面に広がっていたらしい。でも、工場や車が多くなって星空はあまり見えなくなってしまった」
遊星は空を見上げた。
「今父さんと母さんたちが取り組んでいるエネルギーは、空を汚さないエネルギーだそうだ。俺も寂しいけど、満天の星空をプレゼントしてくれる日を待っている」
彼は、一人なんかではなかった。
「ところでアキ」
「何」
「ヘル・ブランブルに、……もう少し力を緩めてくれるように、頼んでくれないだろうか……。そろそろ、い、息が……」
「――あっ」
今、アキと遊星は決闘中。ヘルブランブルが遊星に攻撃を仕掛けたところだ。
妖艶な女性の姿をしたモンスターは、遊星にがばりと抱きついてぎゅーっと締め上げている。心なしか、彼の顔色も悪いような。
「そういうことはもうちょっと早く言ってよ! 死んじゃったらどうするの!」
それにしても、何故だろう、ヘル・ブランブルと遊星がくっついている姿を見ると、心のどこかでさざ波が立つ。
今度遊星とデュエルする時は、女性型モンスターをなるべく使わないようにしよう。アキはこっそり心に誓った。
父親を思い切り壁に叩きつけたあの日。
あの日から、少女は「魔女」になっていた。
「うわあああ!」
今日も今日とて、十六夜家の庭では歓声の代わりに悲鳴が飛び交っていた。
その家の子ども――十六夜アキが、またしても決闘の最中にモンスターを実体化させてしまったのだ。
現れたのは、ギガプラントという一山ほどもある巨大な植物族モンスターだった。
「魔女だ!」
「逃げろ!」
父親がせっかくあの手この手で集めて来てくれた「友達」は、来た時よりも素早く、蜘蛛の子を散らすようにして逃げて行ってしまった。
いつもそうだ。美味しい餌目当てにやって来た子どもたちは、アキに恐怖を感じるや否や彼女をあっさり見捨てて逃げて行くのだ。更に逃げて行った子どもたちから噂話は飛び交うので、「友達」の数はどんどん減っていく。この頃になると怖いもの見たさで遊びに来る子どもが大半を占めていた。
せっかく母親がおいしいおやつを用意してくれたのに、また今日も一人で食べることになる。その母親も、今日は婦人たちの集まりに出かけて家にいないのだが。
両親には常々言われている。ギガプラントやローズ・テンタクルスといった怖いモンスターを使うなと。使うのならもっと小さくてかわいいモンスターを使え、と。それはアキの両親の親心でもあったが、アキが使いたいカードはそうではないのだ。
「大体、ギガプラントのどこが悪いのよ。どこからどう見てもかわいいじゃない。身体は丸っこいし、頼めばブランコにもなってくれるし……悪口なんか、言わないし」
悪いのは外見だけではないということに、アキは気づかない。
とにかく、お客はもう帰ってしまった。多分もう、二度と来ない。
仕方がないので家に入っておやつでも食べよう、とアキが踵を返そうとした時。
「あら?」
広い庭にぽつん、と少年が一人居残っていたことにアキはようやく気がついたのだった。
「あなた、いつからここにいたのよ」
「最初からだ」
同じ年ごろの子どもと違い、彼は大人びていて静かだった。他の子どもたちが人の家だというのにぎゃあぎゃあと騒ぐものだからなおさらその中では存在が埋もれてしまう。
しかし、今ここに一人でいる彼は、異様な存在感を醸し出していた。
「よその家に呼ばれた時は、どんな時でも礼儀正しくするものだ。母さんはいつもそう言っていた」
「ふ、ふうん、そうだったの……」
もしかして、先ほどの独り言を全部聞かれてしまったのだろうか、この少年に。アキは恥ずかしくて叫びたい気持ちを無理やり抑えて訊いてみた。
「で、あなたは誰」
「不動遊星だ」
不動……不動と言ったら……。アキはいつぞやのパーティのことを思い出していた。
ネオドミノシティが積極的に誘致して今軌道に乗り始めたある事業。それのお祝いパーティが何カ月か前に開かれた。会社の方針で家族も一緒に参加できたので、アキも両親と共にパーティに行けたのだ。あの日は普段中々一緒にいてくれない父親と長く過ごせたのですこぶる機嫌がよく……。
いや、それどころではない。
そう、あの日事業の中心メンバーとして不動夫妻のことが紹介されていた。そして二人の傍には、父親とよく似た子どもが正装してひっついていた。アキはようやく目の前の少年の正体に思い当たる。
「それで? パパに言われてここに来たの? パパつながりで? それともおやつ目当てで?」
遊星は首を振ってこう答えた。
「俺がここに遊びに来たかったから来た。それだけだ」
「それだけ……?」
魔女の家に遊びに来るのに理由はそれだけ。
アキは、目の前の彼のことがよく分からなくなっていた。
遊星は暇を見つけてはアキのところに遊びに来ていた。
「魔女と遊ぶだなんて、あなたのパパやママは何も言わないの?」
「父さんや母さんは、MIDSの仕事でいつも忙しい」
「エムアイディーエス?」
「夢のエネルギーを作る仕事だと言っていた」
ならば、彼もアキと同じく一人なのだ。一緒なのだ。
しかし、彼は魔女―彼の場合は魔法使いか―にはなっていない。
「パパやママに放っておかれて、あなた寂しくないの」
「俺も寂しい。だけど、父さんはこう言っていた。『お前に満天の星空をプレゼントしたい』、と」
「星空? どうして?」
「昔、父さんや母さんが子どもだったころ、空はきれいで星が一面に広がっていたらしい。でも、工場や車が多くなって星空はあまり見えなくなってしまった」
遊星は空を見上げた。
「今父さんと母さんたちが取り組んでいるエネルギーは、空を汚さないエネルギーだそうだ。俺も寂しいけど、満天の星空をプレゼントしてくれる日を待っている」
彼は、一人なんかではなかった。
「ところでアキ」
「何」
「ヘル・ブランブルに、……もう少し力を緩めてくれるように、頼んでくれないだろうか……。そろそろ、い、息が……」
「――あっ」
今、アキと遊星は決闘中。ヘルブランブルが遊星に攻撃を仕掛けたところだ。
妖艶な女性の姿をしたモンスターは、遊星にがばりと抱きついてぎゅーっと締め上げている。心なしか、彼の顔色も悪いような。
「そういうことはもうちょっと早く言ってよ! 死んじゃったらどうするの!」
それにしても、何故だろう、ヘル・ブランブルと遊星がくっついている姿を見ると、心のどこかでさざ波が立つ。
今度遊星とデュエルする時は、女性型モンスターをなるべく使わないようにしよう。アキはこっそり心に誓った。