僕は一日で駄目になる
introduction
当時の野球部のメンバーで集まるのはだいたい年2回。キャプテンだった花井からみんなに連絡が回り、苦楽を共にした10人が揃う。変わった奴、ぜんぜん変わらない奴、半年振りなのに言葉を交わすのが楽しくて自然と酒も進む。きつかった練習や試合のことを話しながら、俺たちあの頃すげーがんばってたよな、なんて確かめ合っていたら、遠慮がちに引き戸が開いた。
「ごめん、遅くなっちゃった」
宴会開始から1時間、みんなの酔いがだいぶ回ったあたりで仕事帰りの栄口がスーツ姿のまま現れた。俺は思わず嬉しくなって、さ、かえ、ぐち〜って大袈裟に手を振ったら苦笑いを返しつつ隣に座ってくれた。
背広を脱ぎ、たたんで後ろに置いた後、ワイシャツの第1ボタンをはずしてネクタイを緩める。もう働いているからなのだろう、その慣れた手つきを思わず目で追ってしまう。エロいなぁ。心の奥のほうでじんわり思っていたら、おしぼりで手を拭く栄口にじろりと眺められる。え、俺の心読めたりするんですか?
「水谷」
「な、なに?」
「お前またチャラくなったなぁ」
…がっくり。
「今日は栄口に会うから、とびっきりおめかししてきたんだってー」
「ははは、バーカ」
決して冗談なんかじゃなかったのに、栄口の指先が額を跳ね、わざとらしく仰け反った俺の頭が花井の足にぶつかった。
「栄口、何飲む?」
「あー、ウーロン茶で」
酔いが回って耳まで赤い元キャプテンがうーろんちゃ、と復唱する。
この飲み会も何度か催されているので、栄口が酒を飲まないことに関して突っかかってくる奴はいない。むしろ酒飲みだらけのなかで一人くらい下戸がいたほうが都合がいいのだろう。栄口も飲み会という雰囲気が好きなのか結構楽しそうだ。
「ほかなんか頼みたい奴いるかー?」
生3つー あ、俺も 串焼き盛り合わせー 俺そろそろ日本酒いこうかなー
次々上がる声に花井は頭が鈍っているらしく、ごめんもう一回言ってくれーと情けない声を出したものだから、見かねた栄口が席を立った。
「花井飲んでな、俺やるからさ」
「わりーな、今来たばっかなのに」
本当にそう思います。いつもこんな感じで、栄口は俺のそばに10分もいません。そんなにみんなに気ィ使って何になるんだよー、俺の隣で俺のくだらない話に相づち打ってればいいじゃんかよー…、でもそういうところも含めて好きなんなんだよね…。
それでも懲りずに話しかけ、いい感じに話が弾んだら誰かのオーダーに遮られる…を繰り返し繰り返し。栄口に笑ってほしいことの半分もしゃべってないから俺はいささか欲求不満気味。会うのだって3ヶ月ぶりなのにこれはヒドくないですかー?
清算が終わって居酒屋の前、俺は栄口の背中にべったりとくっついている。酔っ払いは得だなぁ、酔った勢いでこんなことも許されちゃうもん。
「栄口、ソレどーすんの?」
「送ってくよ」
『ソレ』って俺モノ扱いかよ、泉はひでーな。話の流れのかんじ、どうやら他のメンバーは2次会に行くみたい。もうそんなことどうだっていい、栄口が送ってくれるのなら。そうか、よろしくなっていう花井の声を遠くに聞き流し、栄口の背中の温度にうっとりしていた俺をいきなり乱暴な手が掴んだ。
「オヤスミ水谷君」
…阿部に言われると永遠の眠りにつけと言われているような気がする。
「水谷、ほらちゃんと立って」
本当はあんまり酔ってないんだけど、栄口に世話を焼かれるのが嬉しいから俺はわざと歩けないふりをする。仕方ないなぁって声がして、俺を気遣うようにゆっくりと栄口が歩き出す。半ば引き摺られながら、顔をつけたスーツからは煙草の匂いがした。栄口は吸わないから会社の誰かの煙がついてしまったのだろう。あ、なんかムカつく。
「おい、み、ずたに」
地面に根っこが生えたかのように動かなくなった俺を栄口が軽く叱った。なんだよ、人の気も知らないで。
土曜の夜はまだ始まったばかり、きらびやかな電飾が困り果てた栄口の顔を交互に染める。通り過ぎるサラリーマン風の男性が大変そうだなという目で栄口を見た。違います、大変なのもかわいそうなのも俺、俺です。
「栄口ぃもう1軒行こうよぉ」
「無理だよ、お前ベロンベロンじゃん」
「おれぜーんぜん酔ってないもん」
機敏に肩から手を離し、背筋を伸ばし一直線に歩いて見せた。少し先で振り返ると、栄口ががくりと頭を垂れている。うー、さすがに呆れさせちゃった?
「…歩けるんなら最初っからそうしてくれよー」
からから笑って俺の背中を軽く叩く。ああもう大好きなんですけどその顔。
「栄口って全然飲めないの?」
「いや、つーか飲んだこと無い」
栄口はお通しをつつきながら、だから俺も本当に下戸なのかよくわかんないんだよなと付け足す。
「親父と姉貴に下戸だって言われてたから、俺もそうなんだって思って酒は今まで飲んでない」
「それは確かに本当に飲めないのかわかんないなぁ」
店員を呼び止め、俺と栄口が交互に注文したいものを話す。実はさっきの飲みで、俺は喋ってばかり、栄口はみんなの世話をするのに忙しかったから、ロクに食べていないのだ。
「あと生中2つ、以上で」
かしこまりましたと店員が奥に消えて行くと、栄口が不思議そうな顔で「水谷、一気に2つも飲むの?」と尋ねた。
「1つは栄口のだよー」
「俺飲めないってば」
「えー、飲んだことないんなら試してみようよ」
酔った栄口がどんなものか見たいという気持ちはあった。本当に下戸なら俺が飲めばいいだけの話で。その時はそんなふうに簡単に考えていた。
運ばれてきた生ビールで乾杯をし、ごくりごくりと渇いた喉を潤す。
「どう?」
「飲めないこともないような…」
栄口の顔が赤くも青くもならなかった様子に俺はほっと胸を撫で下ろし、さっきの飲み会でしゃべれなかった事をだらだらと語る。俺が何か話すと、栄口が頷いたり笑ったりしてくれるのが大好きで、いつの間にか恋になっていたんだよなぁ。思い出し笑いをしたら「水谷キモい」と怪訝そうな表情をされた。
栄口の様子がおかしくなったのはジョッキ2つを開けたあたり。トイレに行った俺が席に戻ってくると、栄口がテーブルの上に頭を乗せ、ぐったりとしていた。
「栄口大丈夫?気持ち悪い?」
「いや、べつに、どーってことないよ」
どうってことなくないだろう、その状態は。栄口は人ができているせいか、どうも無理しがちなんだよなぁ。そろそろ店を出ようかって提案したら、うつろな目をこちらに向けることなく消え入りそうな声で返事が返ってきた。これは相当ヤバいかも。
肩を貸してなんとか立たせると足元がおぼつかない。まるでさっきの俺の演技みたいじゃないか。店員に声をかけて栄口をいったん外へと連れ出す。
「今お会計済ませてくるからここで待ってて」
「うん」
ずるりと肩を下りてしゃがみこんでしまった栄口が気になって仕方ない。お釣りを貰った手から小銭が落ち、床へと散らばる。こうしている間にも栄口は!とかいうよくわかんない不安が募り、慌てて小銭をかき集め外へと出た。
作品名:僕は一日で駄目になる 作家名:さはら