墓を掘るなら早いほうがいい
今西浦高校野球部の中で流行している言葉は『おれの旦那さんになってくれない?』という、軽く正気の沙汰を超越している一文です。どこがおかしいってふつうの常識をお持ちの方ならすぐお気づきでしょう、『おれの』『旦那さん』の組み合わせが異常です。
主な使用方法としては誰かに何かを頼まれたとき、その代償として
「泉、掃除当番変わってくんね?」
「おれの旦那さんになってくれるならいーよ」
もしくは感謝の意を込めて
「助かったわ花井、オレお前の旦那さんになってやるよ」
こう言うと必ず笑いが沸き起こります。部活という限定されたコミュニティで生まれたフレーズは、その他の人々には理解されないことも相まり、面白半分でみんなが使っています。
「はよー!おれの旦那さんになってくんない?」
用途は各人によって様々ですが、田島にいたっては挨拶代わりに使うこともあります。
さてこのムーブメントを作り出した2人、渦中の水谷と栄口はそんな野球部員のやりとりに頭を抱えていました。「旦那さんになってくれない?」と言ったのは水谷、言われたのは栄口です。
栄口は自分の置かれている状況にかなり危機感を感じています。元々栄口は目立つことが好きではありません。からかわれるのも嫌いです。誰かが自分の噂をしていたら、それが良いものでも悪いものでも気になって胃がキリキリと痛みます。
部員たちが「おれの旦那さんになってくれない?」と決め台詞のように使用するたびに、そんな常識はずれなことを言い放った水谷のことを恨みがましく思っていました。だって水谷にそんなことを言われる縁も筋合いも、自分には全くないように思うからです。
(オレ水谷になんか余計なことしたかぁ?)
今となっては話の経緯すら思い出せません。練習試合の帰りのバスの中だったでしょうか。水谷がなぜかいつも自分の隣をキープすることにさほど疑問は感じません。栄口にとって水谷は、それなりに仲のよい、かつ話しやすい友達でしたから。試合の後ということもあり、車内は疲れて寝ている者がほとんどでした。栄口も正直眠かったのですが、水谷がさかんに話しかけてくるので、邪険にもできませんでした。
周りに気を使って小声で交わす会話は、舌を使う音が妙に大きく聞こえます。ひそひそ声の水谷は、いつもより少しだけ大人っぽく思えたことは、栄口もなぜか覚えていました。
問題はそこからです。水谷が何か冗談を言い、それに笑って返したら急に両手を取られました。なんだなんだ、冗談の続きかとのんきに構えていた栄口に、瞬時には理解できない言葉がかけられました。
「……は?」
「え、えっと、だからぁ、お、おれの……」
以降、徐々に声が消え入ってしまって聞き取れませんでした。困惑する栄口と、うろたえる水谷。なんとも収集がつかなくなってしまった二人に、後ろの座席から堪えるような笑い声が聞こえました。
夜に口笛を吹くと蛇が出る、という迷信があります。西浦高校野球部でのそれは、『阿部が笑うと良くないことが起きる』、まさに薮蛇です。この前阿部が低く笑い声を上げたとき、花井のあだ名は「あずあず」になりました。その前は阿部がするはずだった7組の数学のノート回収係が、いつのまにか水谷になっていました。阿部は戦略的食人鬼、人を喰ったような奴なのです。
栄口はおそるおそる、後ろの座席に向き直りました。こういうときの嫌な予感は当たるものです。後ろにはまさに阿部がいて、うつむきながらまだ笑っていました。阿部のつむじを見ながら、栄口はじわり、と背中に恐怖感がにじり寄るのを覚えました。
「あ、阿部……?」
「……栄口。」
「どうしたんだよ、気持ち悪ぃな」
「……おれの旦那さんになってくれないか?」
濁点を付けない音にむりやりテンテンを横へ付け足したような声を出し、水谷もまた後ろを向きました。
「だめっ!栄口はおれの旦那さんになってもらうの!!」
「へ?お前なに言ってんの?!」
「え?だめ?」
「ダメも何も、水谷頭おかしいんじゃないの?」
バスが急にブレーキをかけたものですから、二人の身体は前のめりに座席に突っ込んだ後、反動で跳ね返りました。それでも阿部がなにを企んでいるのか気になり、栄口はまた後ろの座席を見ました。
ゆっくり顔を上げた阿部は、静かに、そして不気味に笑っていたのです。(笑顔がいいね!)
主な使用方法としては誰かに何かを頼まれたとき、その代償として
「泉、掃除当番変わってくんね?」
「おれの旦那さんになってくれるならいーよ」
もしくは感謝の意を込めて
「助かったわ花井、オレお前の旦那さんになってやるよ」
こう言うと必ず笑いが沸き起こります。部活という限定されたコミュニティで生まれたフレーズは、その他の人々には理解されないことも相まり、面白半分でみんなが使っています。
「はよー!おれの旦那さんになってくんない?」
用途は各人によって様々ですが、田島にいたっては挨拶代わりに使うこともあります。
さてこのムーブメントを作り出した2人、渦中の水谷と栄口はそんな野球部員のやりとりに頭を抱えていました。「旦那さんになってくれない?」と言ったのは水谷、言われたのは栄口です。
栄口は自分の置かれている状況にかなり危機感を感じています。元々栄口は目立つことが好きではありません。からかわれるのも嫌いです。誰かが自分の噂をしていたら、それが良いものでも悪いものでも気になって胃がキリキリと痛みます。
部員たちが「おれの旦那さんになってくれない?」と決め台詞のように使用するたびに、そんな常識はずれなことを言い放った水谷のことを恨みがましく思っていました。だって水谷にそんなことを言われる縁も筋合いも、自分には全くないように思うからです。
(オレ水谷になんか余計なことしたかぁ?)
今となっては話の経緯すら思い出せません。練習試合の帰りのバスの中だったでしょうか。水谷がなぜかいつも自分の隣をキープすることにさほど疑問は感じません。栄口にとって水谷は、それなりに仲のよい、かつ話しやすい友達でしたから。試合の後ということもあり、車内は疲れて寝ている者がほとんどでした。栄口も正直眠かったのですが、水谷がさかんに話しかけてくるので、邪険にもできませんでした。
周りに気を使って小声で交わす会話は、舌を使う音が妙に大きく聞こえます。ひそひそ声の水谷は、いつもより少しだけ大人っぽく思えたことは、栄口もなぜか覚えていました。
問題はそこからです。水谷が何か冗談を言い、それに笑って返したら急に両手を取られました。なんだなんだ、冗談の続きかとのんきに構えていた栄口に、瞬時には理解できない言葉がかけられました。
「……は?」
「え、えっと、だからぁ、お、おれの……」
以降、徐々に声が消え入ってしまって聞き取れませんでした。困惑する栄口と、うろたえる水谷。なんとも収集がつかなくなってしまった二人に、後ろの座席から堪えるような笑い声が聞こえました。
夜に口笛を吹くと蛇が出る、という迷信があります。西浦高校野球部でのそれは、『阿部が笑うと良くないことが起きる』、まさに薮蛇です。この前阿部が低く笑い声を上げたとき、花井のあだ名は「あずあず」になりました。その前は阿部がするはずだった7組の数学のノート回収係が、いつのまにか水谷になっていました。阿部は戦略的食人鬼、人を喰ったような奴なのです。
栄口はおそるおそる、後ろの座席に向き直りました。こういうときの嫌な予感は当たるものです。後ろにはまさに阿部がいて、うつむきながらまだ笑っていました。阿部のつむじを見ながら、栄口はじわり、と背中に恐怖感がにじり寄るのを覚えました。
「あ、阿部……?」
「……栄口。」
「どうしたんだよ、気持ち悪ぃな」
「……おれの旦那さんになってくれないか?」
濁点を付けない音にむりやりテンテンを横へ付け足したような声を出し、水谷もまた後ろを向きました。
「だめっ!栄口はおれの旦那さんになってもらうの!!」
「へ?お前なに言ってんの?!」
「え?だめ?」
「ダメも何も、水谷頭おかしいんじゃないの?」
バスが急にブレーキをかけたものですから、二人の身体は前のめりに座席に突っ込んだ後、反動で跳ね返りました。それでも阿部がなにを企んでいるのか気になり、栄口はまた後ろの座席を見ました。
ゆっくり顔を上げた阿部は、静かに、そして不気味に笑っていたのです。(笑顔がいいね!)
作品名:墓を掘るなら早いほうがいい 作家名:さはら