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ポルターガイスト

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 枕投げにも飽きてきたころ、今となっては誰がそう言い出したのか思い出せない。『この中からエッチする相手を選ぶとしたら誰が一番マシか』みたいな、くだらない話が始まった。こういう話は絶対ありえない空想だから楽しいのだろう、みんな半分薄笑いでお互いを罵り合っていた。
「おれは花井かな」
「たーじまー、物騒なこと言うなよ!」
「坊主だし!」
「それが理由かよ!」
 いや、俺も花井は無難な選択だと思うな、少し離れたところで同調するように笑う。
 もし今の話題が『モモカンと篠岡、どっちがタイプか』なんて話題なら身を乗り出し、各々の魅力を大いに語ったことだろう。
 いつものようにへらへらと輪の中に入っていけやしなかった。抱えきれない秘密とちっぽけな罪悪感が、じわりと手のひらに汗をかかせる。その湿った感覚は、しがみついた背中に少しだけ似ていた。記憶の中、掠れた声の調子はなぜかいつもやさしい。
「栄口はどーよ?」
 跳ねそうになる背筋を必死に堪え、舌に転がした名前を反芻した。
(さかえぐち、は)
「栄口って普通にいい奴だしなー」
「こう、一晩の過ちも笑って許してくれそうな……」
「ていうか俺、栄口が女だったらど真ん中で彼女にしたいタイプなんだよな」
「巣山が語りモード入った!」
 とうとう居た堪れなくなってしまった俺は、まだ盛り上がるみんなにトイレへと嘘をつき外へ出た。ドアの中からはまだ笑い声がしている。「栄口は騎乗位!」とかいう誰のものともわからない叫びが、がつんと俺の頭を打った。
 みんなは栄口を誤解しているよ。あのヒトはそんな従順な生き物じゃない。

 風呂上りの裸足は汚れたスニーカーを拒否していた。自分を騙しつつ、かかとを踏みつぶしサンダルのようにつっかけて夜の中へ向かう。闇に目が慣れるとあたりは深く青い。まとわりつくひんやりとした湿気は、やたらに熱くなった首筋をゆっくり冷やす。
 時間稼ぎに合宿所の周りを散歩し始めること数分、遠くにぼんやりと人影が見えた。思わず身がぎくりと強張る。そんなものを未だ恐れているなんて馬鹿らしいとわかっていても、お化けや幽霊の類を思い起こしてしまう。
 俺はいつだってそうだ、目には見えないものに左右されすぎる。気持ちも言葉も実体を伴わないのに、どうして妄信的に求めてしまうのだろう。栄口だってヒトのかたちをし、野球なんてしているけれど、アレはぜったい獰猛なバケモノだと思う。そうでなければオレにあんなことを言って、なしくずしにメロメロにしたりしないはずだ。

 人影はやっぱりお化けだった。お化けは俺の姿を見つけるなりいそいそ近寄ってきた。金縛りになり、動けない頬に触れる指先は冷たい。これは立派なお化けの証拠ではないだろうか。指がつむぐひとつの線が、前髪から耳、首筋へと通ると、ぞくりと震えが全身を伝う。寒気だ。よって、これらの条件から栄口はお化けであることが証明され……
「……水谷、いつもよりなんか熱くない?」
 熱心に髪を撫でられると思考が止まるのでやめてください。
 先生に頼まれた仕事を終えると、部屋の中は枕投げの真っ最中だった。今のこのこ入っていったら9個の枕の集中砲火を喰らうと思った栄口は、ほとぼりが冷めるまで散歩をしていたらしい。
「合宿所の周り、何周回ったかわかんない」
 そんなにぐるぐるしたらバターになっちゃうねと冗談めかすと、軽く頬をつねられた。指はそのままふにふにとほっぺの感触を楽しんでいる。
「さっきみんなの中からエッチするなら誰って話してた」
「うわぁ、なんて生々しいんだ、おれ本当に部屋戻らなくてよかった」
「栄口けっこー人気だったよ」
 へぇ、と気のない返事が、あっという間に紺色の中に溶けた。
「巣山は栄口が女だったら彼女にしたいって」
「それは夢見すぎだろ〜」
「栄口はさ、もし俺が女だったら彼女にしたい?」
 ぐにゃ。変な方向へ頬が引っ張られた。何事かと見返した先、栄口は下唇を噛み悲しそうな顔をしていた。
「水谷が女だったら多分こんなことにはなってない」
「えっ、えー? どういう意味なのそれ」
「オレなんか相手にされないよ」
 逃げた視線は足元をうろついている。強い向い風が自分の前髪をかき上げ、栄口の短い髪の上をさらう。木々が揺れ、葉のざわめきが奥へ奥へと流れた。
「おれが男でよかったね!」
「……」
「ごごごごめん!超すべった!今のナシ!!」
 馬鹿だ、なんという奢りなのだろう。あまりの失言に今度は自分が下を向くはめになった。うんうんと唸りながらさっきの発言を後悔していたら、暗い地面、スニーカーとスニーカーの間を栄口の脚が割り入る。ぴったりと身体をつけられるともう下を見ることはできない。それでもうつむく俺の視界を満たすのは、栄口のジャージの襟だった。
 軽く額を小突いてくるのはキスを求める合図。あごに添えられた手は冷たかったけれど、徐々に口内を犯す、栄口の舌はもっとひんやりとしていた。この舌が今までおれにどんなひどい仕打ちをしたことだろう。思い出すだけで腰が疼く。
 長い長いキスで栄口の舌はすっかり俺のと同じ温度になっていた。腫れぼったい唇を甘く噛まれ、また舌が俺を溶かしにかかってくる。そして当然の流れのようにジャージの中にぬらりと手が入った。
 俺が口をパクパクせ真意を聞いたら、だって水谷したそうな顔してるから、と軽く笑う。そう言われてしまうと反論できないのだけれど、うまく丸め込まれた気がしてならない。
 起きかけていたそこに水のような手が触れ、ぎゅっと栄口のジャージを掴んであふれそうになった声に堪える。それが栄口にはおもしろくないらしく、もう片方の手がからかうようにわき腹を撫でた。
「水谷声出さないの?」
「別にそういうつもりじゃないよぉ」
「もうこんなんなのに?」
 根元からツーっと冷感が伝い、行き止まったところで焦らされる。じわじわとこみ上げてくる飢えに、ごくりと唾を飲み込んでも水気が足りない、のどが渇く。もっと大きなものに満たされたくて栄口を見た。闇の中の瞳はほかの何より深く暗く、栄口はたじろぐ俺の唇をふちどるようにゆっくりと舐めた。
「……ごめん、オレ我慢できないや。してもいい?」
 申し訳なさそうに聞こえた言葉に返事を返す暇もなく、近くの木に背を押し付けられた。我慢できないというつぶやきどおりに、栄口の手は性急に俺の身体を解いてゆく。ジャージとTシャツを一気に上までまくる手つきが、いつもと違っていくらか乱暴だった。そこまでしたいんだ、俺が欲しいんだ、と気づくと、俄然いやらしくなる自分がいた。俺も栄口もなんだかんだいって基本的には素直だった。
「我慢できない栄口ってかっこいいかも……」
「そ? でも水谷に言われるとなんか」
「なんか?」
「泣かせたくなるなぁ、って」
「へ? なんて言ったの?」
「……」
「わっ、ちょっと、栄口っ?」

作品名:ポルターガイスト 作家名:さはら