2月13日の栄口勇人
避けていれば寄ってくる、そういう空気の読めない人種の水谷が、何か言いたげに栄口の周りをふらふらしている。なるべく早く帰って今日という日をナシにしてしまいたい栄口は、さっさと水谷とサヨナラする言い訳を考えていた。そんなうちに校門の前、ほかの部員の姿は見えない。ああ、もうなりふりかまわず逃げてしまおうか、栄口がそう算段していると、とうとう水谷が口を開いてしまった。
「今日の栄口なんかチョコのにおいがする」
「気のせいだろ」
「おれの、たべた?」
「な、な、な、」
水谷はエスパーか何かか。栄口は言葉を返せずただ口をパクパクさせるばかりだった。
もちろん水谷は超能力者のたぐいではなく、栄口と同じ、普通の高校1年生だった。あえて違うところを指摘するなら、栄口より幾分素直で、堪え性が無いくらいだった。
「つーか栄口のロッカーにチョコ入れたのおれだもん」
びっくりしたー?なんて聞かないで欲しかった。寝耳に水で考えすら定まらない。
(オレのロッカーに水谷がチョコを、ていうかオレも水谷のロッカーにチョコを……)
「最初はねー、栄口が喜んでくれたらいいなーって思ってたけど、おれ以外からチョコもらって喜ぶ栄口とか想像したら、嫉妬? みたいな?」
青いマフラーで覆われていない頬の部分が赤くなり、何か栄口に訴えかけてくる。
「でー、だんだん嫌になってきて。だったらちゃんと手渡しすれば良かったんだけど、おれも栄口も男じゃん、おれすげー怖くなっちゃって、ぐるぐるしてるうちにロッカーに入れて逃げちゃったわけ……で、今タネあかししてるわけ。」
そこまでベラベラ喋ったら、水谷は夜の中に白い息を吐いた。そのあと自分に言い聞かせるように、最低だな、とつぶやいた。
「おれほんっとーに気持ち悪くてごめんなさい、……心が汚くてごめんなさい」
「……オレ知らない」
「ん?」
「チョコなんて見てねーし」
朝から自分のことでいっぱいいっぱいだった栄口は、ロッカーの中なんてまともに見ていなかった。もちろん中にチョコレートが入っていることには水谷にカミングアウトされる今の今まで夢にも思わなかった。
水谷はといえば、本当に栄口が気づいていなかったことを知った「マジっすかー」の一言以来、へなへなと地面へしゃがみこんでしまった。時折腕と腕の隙間から、言わなきゃよかった、だの、おれ最強かっこ悪い、という後悔の呪文がぶつぶつ聞こえてくる。
「水谷」
「……いま話しかけないでー」
「ごめんオレすっごいお前のこと好きだわ」
「えっ、ええええ!」
がばりと立ち上がった水谷の顔が、喜んでいるのかびっくりしているのかよくわからない。
「とりあえず部室戻ろ、お前のくれたチョコ見たいから」
「う、うん」
同じふうに想っていて同じことをしてしまった。これを両思いといわず、なにを両想いというのだろう。あの情けないツラを引っさげ、本当のことをオレへ正直に話すなんて相当……と栄口の心の中でごうごうと恋の嵐が吹き荒れていた。ああだこうだ理由をつけ自分を正当化していたのがバカらしくなる。少し遅れて後をついてくる水谷の足音ですら好きでたまらない。
(……オレはこれからいい子じゃなく、もう少しだけ素直になろう)
そうしたほうが楽だし、オレも水谷も幸せだ。
部室の屋根の向こう、高い高い空に小さな星が浮かんで見えたら、栄口はそんな決心をしてみた。
「水谷はどうやってチョコ買ったの?」
「姉ちゃんに頼んでー」
「よく買ってきてくれたなぁ」
「何日も前からチョコ食いたいチョコ食いたい、お金渡すから買ってきて、おれどうせ当日にはもらえないからって繰り返してたら、かわいそうな子を見るような目でおれに」
「……」
「そういうわけで、栄口にあげたチョコおれも食っていい?」
「いいけど……」
「やった〜、ずっと狙ってたんだよね」
なんとなくモヤモヤが晴れない栄口だった。
作品名:2月13日の栄口勇人 作家名:さはら