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イン ザ スノードーム

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 授業中だというのにシャーペンを持たず、教科書すらめくっていない。さっきからさかんに、手を閉じたり開いたりするのを繰り返している。白いノートの上へ落ちた影が動く。伸縮する指の軌跡を目で追うと昨日の質感が蘇るような気がした。
 たかが手ぐらいで何をそんなに動揺しているのだろう。授業も昼食もなすがままに流れていったのに、まだ僕は水谷の手の感覚に囚われている。手をつなぐだけでこの有様なら、キスとかしたらどうなるんだろう。
 僕と水谷が、キスを。
(するのか いやするだろ つきあってるんだし)
(いつか そのうち たぶん)
 わーっと頭の中の温度が沸騰したあと、居たたまれなくなってへなへな机へ突っ伏した。目まぐるしく変わってしまった世界に気持ちがついていかない。
 90度傾いた景色、横長になってしまった窓の隅に白い結露ができていた。その淡い白によって徐々に落ち着きつつあった心を乱す、あの声。名前を呼ばれる、顔を上げる、水谷がいる。寝てた?疲れてる?僕の机へと置かれた手の反対側には、自動販売機で買ったと思われる缶が握られていた。
「栄口も一緒に飲まね?」
「ん? どした?」
「かっ、間接キスしたい? みたいな?」
 缶を置く音が、きゅっと縮まる気持ちに響いた。机の上の缶ココアを挟み、僕たち二人は意味もなく笑ってしまう。笑ってでもいなければ泣いてしまいそうな気がする、何かが溢れてしまいそうな感覚に追い立てられる。
 水谷が何かの儀式のようにプルタブに手を掛け、ごくりとひとくち飲み込んだ。僕はその白い喉仏が動く様子ををじっと眺め、ふたたび缶を置くまで、こっそり見とれていた。こんなに水谷を好きになってしまった自分に軽く恐怖を覚えた。
「……変だよな、オレら」
 えっ! なんていう大げさな水谷のリアクションは、僕の予想していたとおりだった。
「手繋ぐのだって、回し飲みだってしょっちゅうやってたじゃん。……なのに付き合うってなったら、なんでこう緊張しちゃうのかな」
「さかえぐちぃ」
「ん?」
「引かないで聞いてくれる?」
「なんだよ」
「……おれ最初っからドキドキしてた」
 あの沈黙が密度と速さを変え、僕と水谷の間に降りた。空と地面がひっくり返ってキラキラが舞う。眩しすぎてどこで息を吸ったらいいのかわからない。いつだって水谷は突然で、足元から僕を攫う。かちり、と水谷が発した、歯と歯が触れる小さい音に弾かれ、向かいを思いやると、ひどくまっすぐに目が合ってしまった。あまりの気恥ずかしさに二人同時に目を逸らし、水谷はまた逃げ道を作る。
「うわっ、ごめ、なんかオレ、思い込みが激しいんだよな!」
 すべての罪を被り、ひとり遠くへ行こうとしてしまう。それを黙って許すなんて、今の自分にはできなかった。
「いや、あの、ごめん」
「な、なに? 栄口?」
「オレだって、……オレだってずっとそう思ってたよ」
 しゃっくりを飲み込むような顔をした水谷を直視できなかった僕は、逃げるようにココアを飲んだ。わずかにぬるくなった液体が舌を経て喉を下ると、あまりの甘さに目の裏がチカチカした。戻した缶をまた水谷が取り、ひとくち飲み、その手の内に缶を握り締める。薄い唇をひと舐めしたあと、ぼそぼそと言葉が漏れた。
「やめよーぜー、そんな恥ずかしいことばっか言うのはさー……」
「水谷がそういうこと言うんだろ……」
「……でもうれしかった」
「だから言うなっつの」
 ほのかに上気した顔がくしゃりと笑顔を作る。それですら自分を好きと伝えてくるように感じてしまう僕は、水谷の思い込みの激しさを笑えない。
「今キスしたらココアの味、するかな」
「うわーやらしー なに考えてんのー」
 水谷のすけべ、と茶化すように叩いた手は簡単に受け止められた。関節を確かめるように指を絡め、強く握られる。記憶の中で何度も思い返したその手は、想像よりもずっと暖かく、与えられる熱を感じると、とても深いところで水谷と繋がってしまえるような気がした。向かいの水谷は真っ赤な顔を隠すようにうつむき、熱っぽい息を出した。
「……やらしくてごめん」
「謝らなくて、いい」
「でもオレ、栄口のことが」
 キラキラを自分のものにすることは簡単だった。水谷がひっきりなしに僕の小さな庭へ降らせることをやめないから。気化なんてされっこない、ビーカーはいつの間にか球状になったのだ。
作品名:イン ザ スノードーム 作家名:さはら