鉄の棺 石の骸2
2.
今でも脳裏に焼き付いている。英雄を騙って人々を率いていたころの、あの記憶が。
英雄の力を借りて一度は計画を成功できたと無邪気にも信じ込んでいた。そんな希望は、滅亡の日を境に、脆くも崩れ去って行った。
もう生身ではなくなった腕には、あの日の嫌な感触がまだじっとりと残っている。
人類を救ってくれたはずの英雄は、今やZ-oneの心を無遠慮に食い荒らし、不格好に同化しようとしていた。
試行錯誤の末に、とうとうZ-oneは妥協した。
利き手の反転くらい、大したことではない。相手をよく見知っているZ-oneには違和感が激しいが、そうでない相手にとっては単なる個体差だ。
そう、自分さえ我慢してしまえばいいのだ。Z-oneはアンチノミーの修正をあきらめた。
あきらめてしまえば、つい先ほどまでの嫌悪感ですら、どこかに飛んで行ってしまう気がした。オリジナルと同じ声音で叫ばれた時には、何故自分はホイールに耳栓機能を付けておかなかったのか後悔したが。
「Z-one……」
「アンチノミー……」
「僕が、君を手伝ってあげられたらいいのにな……。僕はただのD-ホイーラーだから、もし僕がD-ホイールだったらまだ何とかできただろうに」
Z-oneは、動かなくなった腕の代わりに付けられた細かなマニピュレーターを、嘆いているアンチノミーに恐る恐る伸ばしてみた。
「……」
アンチノミーは、震える右手でZ-oneのマニピュレーターをぎゅっとつかみ、その上から左手を重ね合わせる。
単純な触覚以外は何も感じないはずのそれは、Z-oneにあり得ないはずのぬくもりを伝えてきた。
戦っているのだ、彼も。Z-oneと同じくコピーされた自分の存在そのものと。
Z-oneもアンチノミーも、パラドックスもアポリアも、今や同じ存在になった。アンチノミーたちが自らのコピーだというなら、Z-oneは「不動遊星」という英雄のコピーだった。
違うのは、コピー先がロボットか生身の人間かということだけだ。
「パラドックスは西暦20xx年からスタートして、時代の中継ポイントで必要なカードを調達。19xx年に到着後、速やかにその場のペガサス・J・クロフォードを抹殺してください。歴代の決闘者にはくれぐれも気をつけて」
パラドックスは、Z-oneからSinWorldと必要な力を受け取ると、D-ホイールに乗ってワームホールの彼方へ消えた。
「アポリア……いえ、プラシド、ホセ、ルチアーノは西暦20xx年以前でイリアステルの創設に関わるのでしたね。ダークシグナーの件が終わった時点の中継ポイントに道を作っておきましょう」
三位一体機能を精密に調整するため、かつてアポリアだった三皇帝は、未だポッドの中だ。必要なカードも、必要に応じて中継ポイント経由で、石版として送り込む手はずになっている。
「アンチノミー……」
アンチノミーは、生前の彼の愛車「デルタ・イーグル」を忠実に再現したD-ホイールに乗りこんでいた。
「第一の使命は、もう一つの使命が終わり次第記憶ごと速やかに復元します。あなたは20xx年、WRGP前の不動遊星と接触し、彼の力となってアクセルシンクロを伝えてあげてください」
「――ああ。了解した」
アンチノミーの、Z-oneの仲間としての記憶は、Z-oneによって消去されていた。
アンチノミーの使命の対象は、オリジナルの不動遊星その人だ。劣悪な環境のサテライトで青年期までを過ごした彼は、人の意思を感じとる能力に酷く長けている。一度懐に入った人間には甘いが、そうでない人間はそれなりの礼儀を弁えない限り、拒絶され続ける。
アンチノミーを最初から拒絶させる訳にはいかない。だから、遊星が怪しまないよう、アンチノミーの記憶の根幹に関する部分もいじらざるを得なかった。
今の彼には、Z-oneとの思い出はない。
デルタ・イーグルの目の前には、目的地に続くワームホールがぽっかりと口を開けている。
愛用のグラスを装着し、ヘルメットを被ったアンチノミーは、Z-oneに眼差しをくれなかった。分かっていたが、Z-oneにはそれが何よりも寂しかった。
アンチノミーは、ワームホールを前にアクセルを吹かした。聞きなれたモーメントの音とともに、彼の声がZ-oneに届いた。
「行って、来ます」
Z-oneは、はっとした。どんなに姿かたちが変わろうとも、Z-oneにとっては彼は彼だ。
最後の挨拶を残し、彼は過去へと旅立っていく。
「……いってらっしゃい」
Z-oneの返事は、アンチノミーに聞こえたのだろうか。
コピーは所詮コピーだ。それでも、Z-oneたちコピーにもやれることはまだ残されているはずだった。
Z-oneが一番よく知っている。ずっとそうして来たのだから。
決定的な滅亡を防ぐべく、自分を捨てて英雄になり果てたあの日より、ずっと。
(END)
2011/2/24