「……××くん」
とても綺麗な顔をした少年の夢を帝人は頻繁に見ていた。しかし、少年が一体どんな顔をしているのかは目が覚めると同時に忘れてしまうので覚えていない。ただ、綺麗な顔をしている男の子の夢。それだけを覚えていた。
生まれたときから同じ夢を見続けていたわけではない。
それは丁度、帝人が小学一年生になってから数日後のことだった。
眠ったはずの帝人の前には一人の男の子がいた。自分と年齢の変わらないような男の子。それを理解すると、床ができた、壁ができた、知らない部屋だった。真っ白な壁にフローリングの床。少年には大きすぎる部屋には真っ黒な机が一つ。少年はそこに座って黙って勉強をしていた。
この子はすごいな。ぼくは、べんきょうなんて学校でしかしたくないや。べんきょうばかりだなんてつまらない。そうだ。この子と遊ぼう。
「ねぇ、きみ」
少年に近づいて声をかけるが、相手はなんの反応も示さない。それに少しイラついて肩を掴もうと手を伸ばすが。それは何にも触れることなく宙をかいた。
あれ?なんで?
疑問を抱くのと同時に夢は終わった。
目が覚めればすでに朝だった。当たり前のように自分の部屋だった。なんとなく、天井に向かって腕を伸ばす。
(あの子は、ダレだったんだろう……)
次に会えたら話せるといいな。
次は、すぐにきた。眠ればまた少年がいた。
少年はいたけど場所が違う。台所がすぐ目の前にある。きっとここはリビングなのだろう。
「ママ……」
少年が何もない場所を見つめている。
帝人は、このこはとても綺麗な声をしてるんだと呆然と少年を見つめた。が、それはすぐに驚愕に変わる。
少年の前に突然母親らしき形が現れて少年を突き飛ばした。
少年は意味のない声をあげる。母親らしい影も何か言っているが、何を言っているのか……帝人には上手く聞こえなかった。
ただ、怖かった。何度も、何度も、少年は突き飛ばされている。いや、これは突き飛ばされているんじゃない。殴られているんだ。この子は何か悪いことをしたの?
そう思っただけで帝人には何もいえなかった。
怖くて、怖くて、帝人は泣き出した。
「……帝人?」
目の前にお母さんがいて抱きついた。
「おかあさん! おかあさん!」
それから毎日少年は帝人の夢に現れ続けた。
中学一年生になった今でも、その少年が誰なのか、帝人には分かっていない。あんなにリアルなのに顔が思い出せないということは自分の作り出した妄想なのかもしれない。
頭ではそう思考することができても割り切るなんてできなかった。かつての、あの夢を見始めた頃の帝人には理解できていなかったが。あの少年は、あまりにも、可哀想すぎる……
いっそ、あれが妄想ならいい。どうか、現実でないよう。帝人はそう祈るしかなかった。
彼の少年は、両親から愛されていない子供だった。
いつか読んだ気がする……虐待の本。ソレと呼ばれた子には及ばないにしても悲惨な家庭事情であることは確かだ。
突き飛ばされているのだと勘違いしたあの暴力は日常だった。それはどう考えても愛ある体罰ではなかった。体罰と証すると御幣があるかもしれない。躾と言ったらいいのか……親が愛する子供にするには度が過ぎていた。
平手で打つことは当たり前。拳を握って腹を抉るのも当たり前。小さな身体を床に寝そべらせ思い切り踏みつけることもあった。勉強をする彼の部屋に突然侵入してきて大人しい彼の頭を思い切り壁に叩きつけることもあった。気まぐれのように階段から突き飛ばすこともあれば、まるでゴミのようなご飯を食べさせることもあった。
それで、彼が両親を恨んでいたのなら、まだ、救いはあった……のだろうか。彼は身体をボロボロにされながらも、両親を愛していた。
毎日家に帰ってきてすぐに机に向かい。誰に言われるでもなく勉強を始める。そんな彼の成績はとても優秀だった。
ある日。クラスでただ一人。彼だけが満点を採ったことがあった。
「ママ!ぼくね!ぼくだけね!百点だったんだよ!」
満面の笑みで答案用紙を母親に見せる。褒めてもらえると思ったんだろう。嬉しそうに、それは華がほころぶような、子供らしい笑顔で。
母親は無言で答案用紙を受け取ると非常にそれを破り捨てた。
「たかが小学生のテストで満点を採れたからって何があるっていうの?私に一体どうしろって言うの?ねぇ。××言ってみなさいよ」
褒めてほしかった。ただそれだけに決まっている。頑張ったことを認めて欲しかっただけに決まっている。よくできたわね。優しくそう言って頭を撫でてくれるだけできっと良かったのだろう。たかが、その程度のことすら、母親は彼に与えようとはしなかった。
彼の家では食事が出ないことは当たり前だった。
だから、彼は小学二年生に入ったあたりからだろうか。机の上に放置してあるお金を握って食材を買い、自分で用意するようになった。
自分の食べる分がきっとついでだったんだろう。彼は両親の食事を作るようになった。だが、それは両親の喉を通ることなくゴミ箱に捨てられることになるのだが。
それでも、少年は耐えた。
一人でいるときですら何の文句も言わなかった。
そして彼は九歳になった。
そうして、二人の妹ができた。
ああ、また犠牲者が生まれてしまったと帝人は思った。しかしそれはとんだ思い違いだった。
彼の妹二人は――愛された――
それと同時に、両親は彼に構わなくなった。暴力さえもふるわない。声もかけない。彼をこの家にいない者として扱った。
そればかりは耐えられなかったのだろう。
彼は外へ走り出した。
誰もいない河川敷で大声で泣いた。
「なんで!なんで!なんで俺だけ!俺だけ愛されないの!母さん!父さん!俺を、俺を愛してよ!俺はこんなにも愛してるのになんで愛してくれないの?ねぇ、愛ってなに。愛ってなんなの。俺のこの感情も愛じゃないの?俺はどうしたらいいの」
ずっと溜まっていた言葉を吐き出した。吐き出すだけだった。吐き出したって。何も変わらない。余計悲しくなるだけなのだろう。一呼吸すると、もう何も言わなくなって、蹲って泣き続けていた。
彼の妹は彼に懐いた。両親はそれに対して何も言わなかったが、彼には妹の愛し方がわからなかった。だから、彼の妹二人は彼のことを悪い兄だと思うのかもしれない。
そんな中で育った彼は、極度の虐待にあっているとも思わせない優秀な人間だった。優等生だった。誰からも頼られ愛される人間だった。そういう人間を演じるのが、彼はとても得意になっていたのだ。無い者としての恐怖をこれ以上味わいたくはなかったから。
中学に上がった彼は、頭もよく、性格もよく、そして美しい顔はそのままの完璧な人間になっていた。