鉄の棺 石の骸4
1.
この世は大きな実験場だ。
それが、子どものころからのパラドックスの持論だった。
昔、仲間にこんな質問をしたことがある。
『――愛とは何だ?』
『色んなところをひっくるめて全部好きになることかな』
『あらゆる敵と戦って、好きな人を力の限り守り続けることだろう』
『大切な誰かの為に、力になってあげることでしょうか』
返って来た三者三様の答えに、一体誰の答えが正しいのか分からなくなった。
『2xxx年xx月xx日。午前十時四十七分。アーククレイドル談話室にて、アンチノミーとアポリアに日誌についての申し送りをする』
アーククレイドル談話室前。
「アンチノミー。それとアポリア」
「何だ?」
「どうしたの、そんな怖い顔して。皺が増えるよ」
二人を呼びとめたパラドックスの小脇には、未来組でつけている日誌。
「私は、君たちに日誌を書けと言ったのだ」
「書いたけど」
「なら、これはどういうことだ! 見たまえ!」
アーククレイドルに、パラドックスのどなり声がわんわんとこだまする。
パラドックスの怒りの声とともにめくられたのは、文字が三行しかないページと、色鉛筆でカラフルに描かれたページだった。
「アポリア! 大切な日誌を「今日は/何事もない/一日だった」で済ます奴があるか! 日誌は事細かく、時間帯まできちっと書いておけ! アンチノミー! 君は絵を描いて終わりにするんじゃない! 子どもの絵日記ではないのだぞ!」
「えー。せっかく丁寧に描いたのに」
「いちいち注文の多い男だな。それでは、女にもてんぞ」
「もてようとも、この世に女はいないだろう! ……もういい、今回は自力で思い出して自分で書く」
「文句言うくらいなら、最初から、自分で書けばいいのに」
「君たちは日々の記録という大事な仕事を、無責任に人に押し付けるのかね!」
パラドックスと、この二人とはどうも感性が合わない。Z-oneくらいならまだ気は合うかもしれない。彼も几帳面な方だから。
では、何故パラドックスと似たタイプの人間が、アンチノミーやアポリアのような人間と付き合えているのだろう。
常々から、Z-oneに対する興味は尽きなかった。
彼は、生身の人間に別の人間の人格をコピーした、英雄の複製品なのだという。
本人によると、一般的な二重人格とは違って、彼は二人の人格を一人分にまとめて混合しているとのことだ。
無茶な方法だが、それでも「不動遊星」として彼は正常に稼働していた。滅亡の日、多くの仲間を目の前で失うまでは。
パラドックスが知る限り、この類の実験が成功したためしはない。できていたら、あの当時に死んだ有名人が何人も闊歩する気味の悪い光景が見られたはずだった。
まさか、他に前例はあった訳ではあるまい……。
パラドックスは、滅亡とともに風化しつつあった過去の文献を、散々苦労して掘り起こす。人類が滅び、保存する者のない文献を探しだす行為は、ある種の発掘作業にも似ていた。
武藤遊戯……無敵の創造主ペガサス・J・クロフォードを破り、初代デュエリストキングの名を勝ち取った伝説の男。
かつて、不動遊星が英雄になるずっと前、彼が存在すらしていなかった時代の話だ。
彼にまつわる噂の中に、こんなものがある。
「武藤遊戯は古代エジプトのファラオの魂をその身に宿していた」、と。
古代エジプトのファラオなど、パラドックスはミイラでしか知らない。しかし、文献を漁っていくうちに、噂を裏付ける事実が浮かび上がって来た。
まず、彼らはエジプトの骨とう品を身につけ、人格交代の媒体にしている。骨とう品を彼から取り上げてしまうと、人格交代は全く起こらない。
次に、彼らはお互いを「もう一人の自分」として扱い、周囲の人間にも同じように扱うことを求めている。
最後に、――武藤遊戯の「もう一人の自分」は、例の骨とう品の喪失と共にその後の文献から姿を消している。
普通なら、与太話で終わらせるところだが、パラドックスはそれが与太話で済まなくなった人をよく知っている。
「二心同体。複数人格の、円滑なる肉体の共有……。互いの魂の防壁と人格交代の媒体……」
同時期、似た形状の骨とう品を所有していたもう一人の少年(武藤遊戯と同い年だ)は、それまでの人のよい性格を一変させ、数々の問題行動を引き起こしている。
他人格の公平な扱いなど、数々の対策が功を成した一例なのだ、武藤遊戯は。
今挙げた彼の他にも、完全な異質の存在が奇跡的に融合を果たした一例もあるそうだが、データがなさ過ぎてそちらの方は真偽不明だった。
「Z-oneは……」
最初は、Z-oneの試みはうまく行っていた。Z-oneは「不動遊星」をその身に降ろし、人々の意識変革は成功しかけていた。
計画完了までに時間が足りず、世界は滅亡を迎えてしまった。Z-oneの目の前で仲間たちは無残に死んでいった。
心身に決定的なショックを受けたZ-oneは、その日から「Z-one」と「不動遊星」という異質の人格を中途半端に内包する存在になってしまった。
言わば、人格のごた混ぜだ。
どちらの人間にもなりきれなかった気の毒なZ-oneは、今もお互いの人格を行ったり来たりしている。
過去の文献を紐解き、方法さえ見つかれば、Z-oneは完全なる人格の統合かあるいは人格の分離に成功する。パラドックスの研究は成功するのだ。
そこまで考察して、パラドックスは気づいてしまった。
――私は、Z-oneをモルモットと同じ目で観てしまっている。
パラドックスは、己の観察者としての立場に初めて嫌悪感を催した。
2.
パラドックスは、昔から知識を取り込んで自分のものにするのが好きだった。
取り込んだ知識は、役に立つのも立たないのも同じく、片っぱしから周囲の人間に教えてある種の悦楽を覚えていた。
知識を教えて喜ばれるのが、ただ嬉しかった。
それが自分の存在証明だと幼くも信じていたからだ。
『パラドックスは、何でも知っているのね』
言った当人にしてみれば何気ない一言。
ある時そんなことを誰かに言われたのがきっかけで、パラドックスは、貪欲に蓄えた知識を自分の中にこっそり仕舞い込んでしまうようになった。
パラドックスに仕舞い込まれた知識は、日の目を見ずにどんどん脳内で腐っていく。
そんな彼が人に研究対象としての興味を覚えたのはいつのころからか。
老若男女、人一人分の情報は、一時の読み物としては素晴らしい。一人ひとりがこの世で唯一無二の情報を持ち合わせているからだ。
だが、読みつくしてしまえばそれっきりだ。ためらいなく捨てて次の読み物を探す。
読んでは捨て読んでは捨て……気づけば最後に本棚に残った読み物は、自分含めてたったの四冊になっていた。それも全員、年老いた男だ。地球最後の人類だというのに、これでは雰囲気がなさすぎた。
だが、パラドックスにとっては、この世の全てが研究対象だ。
人類滅亡前も、その後も探求の心は止まなかった。
この世は大きな実験場だ。
それが、子どものころからのパラドックスの持論だった。
昔、仲間にこんな質問をしたことがある。
『――愛とは何だ?』
『色んなところをひっくるめて全部好きになることかな』
『あらゆる敵と戦って、好きな人を力の限り守り続けることだろう』
『大切な誰かの為に、力になってあげることでしょうか』
返って来た三者三様の答えに、一体誰の答えが正しいのか分からなくなった。
『2xxx年xx月xx日。午前十時四十七分。アーククレイドル談話室にて、アンチノミーとアポリアに日誌についての申し送りをする』
アーククレイドル談話室前。
「アンチノミー。それとアポリア」
「何だ?」
「どうしたの、そんな怖い顔して。皺が増えるよ」
二人を呼びとめたパラドックスの小脇には、未来組でつけている日誌。
「私は、君たちに日誌を書けと言ったのだ」
「書いたけど」
「なら、これはどういうことだ! 見たまえ!」
アーククレイドルに、パラドックスのどなり声がわんわんとこだまする。
パラドックスの怒りの声とともにめくられたのは、文字が三行しかないページと、色鉛筆でカラフルに描かれたページだった。
「アポリア! 大切な日誌を「今日は/何事もない/一日だった」で済ます奴があるか! 日誌は事細かく、時間帯まできちっと書いておけ! アンチノミー! 君は絵を描いて終わりにするんじゃない! 子どもの絵日記ではないのだぞ!」
「えー。せっかく丁寧に描いたのに」
「いちいち注文の多い男だな。それでは、女にもてんぞ」
「もてようとも、この世に女はいないだろう! ……もういい、今回は自力で思い出して自分で書く」
「文句言うくらいなら、最初から、自分で書けばいいのに」
「君たちは日々の記録という大事な仕事を、無責任に人に押し付けるのかね!」
パラドックスと、この二人とはどうも感性が合わない。Z-oneくらいならまだ気は合うかもしれない。彼も几帳面な方だから。
では、何故パラドックスと似たタイプの人間が、アンチノミーやアポリアのような人間と付き合えているのだろう。
常々から、Z-oneに対する興味は尽きなかった。
彼は、生身の人間に別の人間の人格をコピーした、英雄の複製品なのだという。
本人によると、一般的な二重人格とは違って、彼は二人の人格を一人分にまとめて混合しているとのことだ。
無茶な方法だが、それでも「不動遊星」として彼は正常に稼働していた。滅亡の日、多くの仲間を目の前で失うまでは。
パラドックスが知る限り、この類の実験が成功したためしはない。できていたら、あの当時に死んだ有名人が何人も闊歩する気味の悪い光景が見られたはずだった。
まさか、他に前例はあった訳ではあるまい……。
パラドックスは、滅亡とともに風化しつつあった過去の文献を、散々苦労して掘り起こす。人類が滅び、保存する者のない文献を探しだす行為は、ある種の発掘作業にも似ていた。
武藤遊戯……無敵の創造主ペガサス・J・クロフォードを破り、初代デュエリストキングの名を勝ち取った伝説の男。
かつて、不動遊星が英雄になるずっと前、彼が存在すらしていなかった時代の話だ。
彼にまつわる噂の中に、こんなものがある。
「武藤遊戯は古代エジプトのファラオの魂をその身に宿していた」、と。
古代エジプトのファラオなど、パラドックスはミイラでしか知らない。しかし、文献を漁っていくうちに、噂を裏付ける事実が浮かび上がって来た。
まず、彼らはエジプトの骨とう品を身につけ、人格交代の媒体にしている。骨とう品を彼から取り上げてしまうと、人格交代は全く起こらない。
次に、彼らはお互いを「もう一人の自分」として扱い、周囲の人間にも同じように扱うことを求めている。
最後に、――武藤遊戯の「もう一人の自分」は、例の骨とう品の喪失と共にその後の文献から姿を消している。
普通なら、与太話で終わらせるところだが、パラドックスはそれが与太話で済まなくなった人をよく知っている。
「二心同体。複数人格の、円滑なる肉体の共有……。互いの魂の防壁と人格交代の媒体……」
同時期、似た形状の骨とう品を所有していたもう一人の少年(武藤遊戯と同い年だ)は、それまでの人のよい性格を一変させ、数々の問題行動を引き起こしている。
他人格の公平な扱いなど、数々の対策が功を成した一例なのだ、武藤遊戯は。
今挙げた彼の他にも、完全な異質の存在が奇跡的に融合を果たした一例もあるそうだが、データがなさ過ぎてそちらの方は真偽不明だった。
「Z-oneは……」
最初は、Z-oneの試みはうまく行っていた。Z-oneは「不動遊星」をその身に降ろし、人々の意識変革は成功しかけていた。
計画完了までに時間が足りず、世界は滅亡を迎えてしまった。Z-oneの目の前で仲間たちは無残に死んでいった。
心身に決定的なショックを受けたZ-oneは、その日から「Z-one」と「不動遊星」という異質の人格を中途半端に内包する存在になってしまった。
言わば、人格のごた混ぜだ。
どちらの人間にもなりきれなかった気の毒なZ-oneは、今もお互いの人格を行ったり来たりしている。
過去の文献を紐解き、方法さえ見つかれば、Z-oneは完全なる人格の統合かあるいは人格の分離に成功する。パラドックスの研究は成功するのだ。
そこまで考察して、パラドックスは気づいてしまった。
――私は、Z-oneをモルモットと同じ目で観てしまっている。
パラドックスは、己の観察者としての立場に初めて嫌悪感を催した。
2.
パラドックスは、昔から知識を取り込んで自分のものにするのが好きだった。
取り込んだ知識は、役に立つのも立たないのも同じく、片っぱしから周囲の人間に教えてある種の悦楽を覚えていた。
知識を教えて喜ばれるのが、ただ嬉しかった。
それが自分の存在証明だと幼くも信じていたからだ。
『パラドックスは、何でも知っているのね』
言った当人にしてみれば何気ない一言。
ある時そんなことを誰かに言われたのがきっかけで、パラドックスは、貪欲に蓄えた知識を自分の中にこっそり仕舞い込んでしまうようになった。
パラドックスに仕舞い込まれた知識は、日の目を見ずにどんどん脳内で腐っていく。
そんな彼が人に研究対象としての興味を覚えたのはいつのころからか。
老若男女、人一人分の情報は、一時の読み物としては素晴らしい。一人ひとりがこの世で唯一無二の情報を持ち合わせているからだ。
だが、読みつくしてしまえばそれっきりだ。ためらいなく捨てて次の読み物を探す。
読んでは捨て読んでは捨て……気づけば最後に本棚に残った読み物は、自分含めてたったの四冊になっていた。それも全員、年老いた男だ。地球最後の人類だというのに、これでは雰囲気がなさすぎた。
だが、パラドックスにとっては、この世の全てが研究対象だ。
人類滅亡前も、その後も探求の心は止まなかった。