夜の東側
ぎ、と思わず歯を食いしばり、辺りに立ち込める冷気に耐えた。言い出しっぺは自分なのにいつものくせでどうも気が弱くなる。睡眠時間が普段より一時間少ないから余裕が足りないのかもしれない。手袋をしているのに冷えた指先はもう感覚を正しく伝えてこない。
ようやく自転車を引き摺り出して表へ出ると辺りはまだ暗かった。遠くでバイクのエンジン音がする。新聞が配達される前に起きたことなんてほとんどない水谷にとっては、それが得体の知れない生き物の遠吠えのように聞こえた。鼻をすすって一時間前の世界に気合を入れ直す。
寒さのせいか自転車のペダルまで重い気がする。風を切って進み出すと頬と耳へ冷気が当たって千切れそうに痛い。街灯はぼんやりと小さく光るだけで朝はまだ訪れず、どこまでも夜だった。
夜は続いている。日付を跨ぎ昨日と今日を繋ぐ。昨日電話していたときも、そのあと歯を磨いたときも、窓の外は紺色で覆われていた。水谷はそれがとても不思議だった。朝起きて外が明るくないと自分は果たしてちゃんと寝たのだろうかと疑念が沸く。夢遊病患者のようにふらふらと徘徊していたら笑えない。自分の頭がおかしいことには最近気づきだしたけど、他人からも変人扱いされるのはなるべく避けたい。静かに狂っていたい。
「静かに狂っていたい……」
声に出してみると台詞の自己陶酔さがみるみるうちに露になり、水谷は闇に残る余韻を掻き消すように自転車を漕ぐ速度を速めた。オレはバカだ。多分とんでもないバカなんだろう。こんなバカにまさか栄口が二つ返事で巻き込まれてくれるとは思わなかった。だからバカはもう取り返しのつかないところまでどんどん進んでいると思う。
顔を上げた水谷は目の前の紺の濃度が大分薄くなって来たことに気づいた。相変わらず吐き出す息はびっくりするほど白いが、確実に朝は近づきつつある。これの逆再生が夕方なのだろうか。日が西に沈む様は何度となくグラウンドで見ていて、この色彩だってありふれたもののはずなのに、なんでだろう、来るべき朝は静かで、それでいてとてもきれいだった。
栄口も同じ空気を吸っているのかな、と水谷は思い、携帯電話を取り出して時刻を確認したかったのだが、信号機は気持ちいいほど青を打ち出し、一旦自転車を止める余裕を与えてくれない。景色は自分の後ろへびゅんびゅん流れ、冷えすぎて感覚のなくなった肌が受け止める風は爽快だった。
ようやく自転車を引き摺り出して表へ出ると辺りはまだ暗かった。遠くでバイクのエンジン音がする。新聞が配達される前に起きたことなんてほとんどない水谷にとっては、それが得体の知れない生き物の遠吠えのように聞こえた。鼻をすすって一時間前の世界に気合を入れ直す。
寒さのせいか自転車のペダルまで重い気がする。風を切って進み出すと頬と耳へ冷気が当たって千切れそうに痛い。街灯はぼんやりと小さく光るだけで朝はまだ訪れず、どこまでも夜だった。
夜は続いている。日付を跨ぎ昨日と今日を繋ぐ。昨日電話していたときも、そのあと歯を磨いたときも、窓の外は紺色で覆われていた。水谷はそれがとても不思議だった。朝起きて外が明るくないと自分は果たしてちゃんと寝たのだろうかと疑念が沸く。夢遊病患者のようにふらふらと徘徊していたら笑えない。自分の頭がおかしいことには最近気づきだしたけど、他人からも変人扱いされるのはなるべく避けたい。静かに狂っていたい。
「静かに狂っていたい……」
声に出してみると台詞の自己陶酔さがみるみるうちに露になり、水谷は闇に残る余韻を掻き消すように自転車を漕ぐ速度を速めた。オレはバカだ。多分とんでもないバカなんだろう。こんなバカにまさか栄口が二つ返事で巻き込まれてくれるとは思わなかった。だからバカはもう取り返しのつかないところまでどんどん進んでいると思う。
顔を上げた水谷は目の前の紺の濃度が大分薄くなって来たことに気づいた。相変わらず吐き出す息はびっくりするほど白いが、確実に朝は近づきつつある。これの逆再生が夕方なのだろうか。日が西に沈む様は何度となくグラウンドで見ていて、この色彩だってありふれたもののはずなのに、なんでだろう、来るべき朝は静かで、それでいてとてもきれいだった。
栄口も同じ空気を吸っているのかな、と水谷は思い、携帯電話を取り出して時刻を確認したかったのだが、信号機は気持ちいいほど青を打ち出し、一旦自転車を止める余裕を与えてくれない。景色は自分の後ろへびゅんびゅん流れ、冷えすぎて感覚のなくなった肌が受け止める風は爽快だった。