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夜の東側

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 息を呑むその間が緊張を含んでいるようで、いつも気になっていた。耳に当てた携帯電話は手と頬の体温で大分ぬるくなっている。部屋の壁から親指のささくれまで視線を移動させても会話の相手はまだ電話を切ろうとしない。砂が静かに流れるような音が二人を繋ぐ。
「……切らないの?」
「あ、ああ、栄口から」
 切って、とお決まりの文句を告げ、また黙りこくった。水谷は栄口に引導を渡すのは卑怯だと感じてはいるけれど、自分から会話をやめることができなかった。
「水谷から切れよ、いつもオレ切ってんじゃん」
「えええ、死んでも嫌だ」
 あからさまな態度を面白いと思ったのか、栄口は「意地でも切らねー」と水谷をからかった。そんなつまらない意地張らなくてもいいじゃないか、電話代の無駄だし、と今度は真面目に説得したけれど、栄口の決意はより強まっただけだった。
「いや前から思ってたし」
「なにが」
「水谷って」
 自分から電話切らないのもそうだけど、よくわかんない動作が多すぎる。変なところ大声出したりニヤニヤしたりお前の行動が読めないよ。水谷って天然なの?
「違う」
「嘘つけ」
「ちゃんと理由がある!」
「じゃあ言ってみろよ、なんで自分から電話切らないの?」
「言えない」
「言ったらオレから電話切ってやる」
 そんな交換条件は横暴じゃないだろうか。水谷は言葉に詰まる。栄口はこういう駆け引きが自分より上手なときがあって困ってしまう。うまい感じに操縦されているのかもしれない。
「……笑わない?」
「笑うかよ」
「絶対笑わないよな?」
 うん、という心のこもった返事に信頼が持てたので水谷はつい気を許してしまった。
「寂しいんだよ」
 悲しいかな、聞こえてきたのは明らかに相手が吹き出した音だった。
「やっぱり笑いやがった……」
「あと何時間もしないうちに会えるだろ?」
 そんなの自分でもわかっているのだった。冬期間といえど朝練はあるから、端的に寝て起きればすぐグラウンドで顔を合わせることになるのに、どうしてこんなに寂しくなるんだろう。ああ、やっぱりオレばっかりが栄口を好きなんだなぁという実感がひしひしと身を満たす。
「なんだよオレ超かっこ悪いじゃん」
「拗ねるな拗ねるな」
「拗ねてないし」
 そこでまた会話はかすかな砂嵐のみになってしまった。水谷には加減がわからない。どこまで隠してどこまでさらけ出せばもっと仲良くなれるんだろう。栄口の一挙一動で小さくガッツポーズを取っていたときから、晴れてお付き合いしだしてひと月の今に至るまでさっぱり掴めなかった。
 よく『好きな相手には全部わかって欲しい』なんて言うけれど、水谷はそんなことこれっぽっちも思っていなかった。むしろ栄口に自分のすべてを理解して欲しくなんてないし、されたらきっと死ねる、とまで思い詰めている。オレのほんのちょっと、取り繕った上辺のきれいなところだけ見て「まぁまぁ」くらいの感想をいただけたらそれでいい。
 水谷は半年以上の報われない片思いのせいか変に卑屈になっていた。だから汚いところ、みっともないところはあまり出したくなかった。せっかく好きになってもらったのにわざわざ嫌われたくなかった。だから『寂しい』はいくらなんでも無しだった、自分きもい……と水谷の頭の中ではそんな後悔ばかり行ったり来たりしている。
「……言ったから切れよ」
「どうすれば寂しくなくなる?」
 知るかボケー早く切ってくれーと言いたかったけど水谷は必死にこらえた。
「普通に今会いたいんですけど」
「ですけどってなんだよ、ですけどって」
「朝練はみんな一緒だから付き合ってる感じがしない」
「まあなぁ」
「でも今からはさすがに」
「ていうか今オレすげー眠い」
「ですよねー」
 ちょっとカチンときたけど眠いのは自分も一緒だったから、怒りのメーターはほんの少しだけ伸びてすぐ落ちた。じゃあどうすんの、と栄口は問う。オレどうしたい、と水谷は胸の中で自問する。
「早起きして会うとか」
「それマジで言ってんの?」
「マジマジ超本気」
 突っ込まれたらただ単に引っ込みがつかなくなっただけだった。朝は寝起きが悪いわ寝癖はひどいわで毎日てんやわんやなのに、果たして早起きできる余裕が自分にあるかは不明である。
「じゃあ絶対来いよ」
 それが昨日最後に聞いた栄口の台詞だった。正直本当に起きれるかどうか不安だったけど愛の力を信じたら意外とあっさり目が覚めた。ちょっと負けて半分寝ながら寝癖を直したけど。
作品名:夜の東側 作家名:さはら