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でぃー あいふぁーざーふと -die Eifersucht-

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翌日。
弥彦は出稽古の後、赤べこで働いた。
最近の勤務は専ら雑用か厨房の下働きが多い。
あどけないお子様から無愛想な少年に成長した弥彦の接客は、
態度が悪いわけではなかったが客がひいてしまうので、2年程前から自然とそうなった。
燕は赤べこの看板娘、当然、接客が多い。
料理を出したり食器を下げたりで厨房には当然出入りするが、
弥彦が顔を合わせないようにすればほとんど顔を見ずに済んだ。
閉店後もさっさと引き上げた。
帰り際に一瞬だけ燕と目が合った。
不安そうな表情(かお)をしてこちらを見ていた。
今、燕と話したくない。
そう思って弥彦のほうから目を逸らしてしまった。
わかっている。
嫉妬だ。
我ながら狭量だな、と、弥彦は心の中で呟いた。
長屋までの道中を、まんまるの月が照らしている。
月を見上げて立ち止まった。
「あーあ。」
今度は声に出して呟いた。
「カッコ悪ぃ…。」

その頃、赤べこでは妙と燕が帰り支度をしながらおしゃべりしていた。
「なーんか、変やったなあ。」
「え?」
「今日の弥彦君。」
「あ、はい…。」
「なんやー、口数も少なかったし、表にもあんまり出てこんかったし。
帰りもさっさと帰ってもうて。」
それは燕も気がついていた。
はじめのうちは気のせいかと思ったが、日が落ちる頃には確信に変わり、
挨拶もそこそこに先に帰ってしまわれたのが決定打となった。
避けられている。
何故だかわからないが、避けられてしまっている。
弥彦は目も合わせてくれない。
何か怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。
一昨日までは何も変わりなかったのに。
店の戸締りをして、皆、路地に出たところで店主が呟いた。
「弥彦なあ。なんやー、元気なかった気ぃするわ。」
「お父はんもそう思わはる?うちもやー。」
妙たちはそのようなことを言っているが、燕にはそうは見えなかった。
あれは元気がなかったのではあるまい。
怒っていた。
絶対に怒っていた。
私を避けていた。
涙ぐみそうになったところで店主の声がかかった。
「ほな燕ちゃん、また明日な。」
「お疲れさんどした。」
「あ、お疲れ様でした…。」
ぺこりと一礼して、燕は背中を丸めて歩き出した。
燕の後姿を見送ってから、妙は父にささやいた。
「なんやなあ、燕ちゃんも元気なかったんやわ。
なんやろね、昨日、弥彦君うちにちょっとだけ顔出して帰っていかはったけど、
その後、燕ちゃんと会うて、ケンカでもしたんやろか。」
店主は眉根を寄せて左手を振った。
「やめときやめとき。詮索したかてしゃーないわ。
明日にはなーんもなかったみたいになってるかもしれへんやろ?
そんなことよりあんさんは自分の心配でもしとき。」
「自分の心配て?」
「あんた、このまんま行かず後家になるつもりかいな。
わてはご免でっせ。死ぬまであんさんの嫁入りの心配しとるなんてことは。」
まっ、と、妙は声を張り上げた。
「いややわー。お父はん。とんだやぶへびやわー。
お姉ちゃんかていまだに独り者(ひとりもん)やないの。
うちよりお姉ちゃんの心配が先や思いますえ?」
「どっちが先でもよろしいわ。はよ嫁にいっとくれ。
わてかて死ぬ前に孫の顔くらい見たいもんやわ。」
「そないなことはお姉ちゃんに言っておくれやす!」
親子の掛け合いをまんまるの月が照らしていた。

同じ頃、燕はひとり、とぼとぼと夜道を歩いていた。
秋の訪れを感じさせる虫の音と、燕の足音だけが響いている。
月が燕を照らして影を作っているが、
月も影も、燕の視界にはろくろく入っていなかった。
目に浮かぶのは、仏頂面の弥彦の顔。
(何か…怒らせるようなことしちゃったのかな…私…。)
一昨日から今日にかけての弥彦に関する記憶をおさらいしてみるが、
特にそれらしいことには思い当たらない。
が、実際に避けられているのは事実なのだ。
今までも短気な弥彦が燕のちょっとした言動に腹を立てることはあった。
が、沸点が低い分、機嫌が直るのも早い弥彦が、
丸一日口をきいてくれないとなるとそうそうはなかったと思う。
こんなとき、どうすれば良いのだろう。
途方に暮れた。
妙にも、薫にも相談しづらい。
燕にとっては遥か遠く、会津にいるはずの大人の女性の面影が脳裏をかすめた。
(恵さんがいればなあ…。)
妙も薫も弥彦に近すぎる。
程よい距離感があって、人生経験も豊富なあの女性(ひと)なら
このような場合の身の処し方を教えてくれるだろう。
(でも…。)
燕は初めて視線を空に遣った。
まんまるの月が浮かんでいる。
月の光はやさしく、雲ひとつかかっていない。
落ち込んでいても仕方がない。
おどおどした態度は余計に弥彦を怒らせかねない。
今日は、昨日貰った錦絵を眺めて寝よう。
元気を出して。
燕は一所懸命に自分を叱咤しながら家路をたどった。