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「…おはよう」
少しだけ憔悴したような顔をして起きて来た彼女に、挨拶を返しつつ湯気の立ち上るマグカップを手渡した。ほっとしたように息をつく肩に手を添え、席に着くよう促す。
「珍しいわね、貴方が作るなんて。今日って、何かあったかしら」
「ないよ、何にも。いつも通りの日常が始まるだけさ」
そう笑ってやると、彼女もまた笑う。
「気紛れね」
「そうだよ?」
「…貴方は変わらないわ」
「…そうだよ」
何も変わらない、日常が日常として在る素晴らしさに気づいて、俺も彼女も三年になる。同じだけ、日を重ねている。
「食べようか」
「ええ」
だから、今日もまた、変わるわけがないのだった。
「ねぇ、臨也」
「ん?」
「今朝、夢を見たわ」
「…夢?」
食事も一段落し、今度は彼女の置いたカップに口をつけたところだった。
「そう、夢よ。…誠二の」
「…へぇ」
熱いアールグレイが、胃に滲みる。
「笑っていたわ。幸せそうに。隣には、あの子がいた」
「うん」
「そしたらね」
洗い物ををする彼女は下を向いていて、その表情は伺えない。
「…」
「そしたら?」
沈黙の呼んだ静寂は、決して、痛くはなかったけれど。
「何だか、私、嬉しくて」
俺の腕の中で泣いていた理由を知りたくて、問うた。
「涙が溢れちゃったの」
「そう」
その後、暫くはカチャカチャと皿の触れ合う音だけになった。やがて、そこには水の流れる音が混じる。
「波江」
僅かに声を張った。
「何?」
彼女もまた、声を飛ばす。
「今日、どうしようか」
「どうって?」
「仕事、さぼっちゃおうかなって思って」
流水に、低いけれど艶のある笑い声が溶ける。
「…本当、気紛れね」
「そうだよ?」
知ってるだろ、と嘯けば、嫌になるくらいね、と返る朝だった。
水の中で重なった皿が崩れて、そうして、少しだけ喧しい音を立てる。
彼女が聴こえないように融かしたひとひらの言葉を、俺はその唇の動きで知った。
『愛を覚えた朝』
作品名:恋愛 作家名:璃琉@堕ちている途中