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璃琉@堕ちている途中
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いってらっしゃい帰らなくていいわ

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その日の夕食に彼女が用意したのは、白いご飯、きんぴらごぼう、海老と牡蠣のフライに大根のサラダ、そして具沢山の豚汁だった。食後には、手製のフルーツ入りゼリーが控えている。
指定された献立を二人分、いつも通り、指定された時間にきっちり合わせて作り、盛り付け、テーブルに並べる。茶碗と箸、取り皿にガラス製のコップを色違いで二揃いずつ、ドレッシングは青じそとイタリアンの二本、フライ用には醤油とソース。ちなみに、冷蔵庫には緑茶、烏龍茶(麦茶のこともある)、紅茶(今日はストレートティーだった)、炭酸飲料(これはコーラだった)、ミネラルウォーター、オレンジジュース、缶ビールが常備してある。そうしてセッティングの完了したテーブルは、恋人か夫婦の団欒の時間を待ち焦がれているようだった。
だが、テーブルについた使用者たる肝心の彼女の整った横顔に、甘い雰囲気は一切感じられない。むしろ、冷たく研ぎ澄まされたそれは、殺伐としてさえいるようだった。
―明 ら か に お か し い 。
というのも、当夜に代表されるような、最近の夕食の主たる相手である青年は、彼女の雇い主でしかなかったからである。そもそも、仕事場に何故こんなにも生活感が漂っているのだ。気がつけば、簡易キッチンの片隅には青年が適当に選んだ、及び彼女が好んで購入した調味料が並べてある。器具も一通り揃い、必要ならば買い足す。勿論、冷蔵庫には余った大根が納まっている。
―どこで間違えた。いいえ、『最初から』間違っていた。
最初とは、彼女が優秀な情報屋である青年にあるものを預けた、つまり二人の出逢いにまで遡る。即ち、出逢ったこと、ひいては自分「が」青年を頼ろうとしたことこそを悔いているのであり、要は今までの全否定であった。
指示されるがまま続けていた行動が、自主性を伴っていることに気づいた彼女が我に返った時、既に行為は習慣になっていた。自分からリクエストを尋ねてしまったことに、愕然とするしかなかったのだ。
そして、独特な嗤いに毒気をまぶした「今日はカレーがイイなぁ。ちゃんとルーから作ってよ」という言葉に従った結果、三夜連続でカレーになった最終日、彼女には、上司と部下の間柄に何かが強引に割って入った気がしてならない。流石に飽きた彼女が自分を貶める台詞を吐く前に発された、「やっぱり美味しいよ。毎日でも大丈夫だ」。これが何かを圧倒的に覆した恐れを再び意識し、彼女は背筋を、否、全身を上から下まで震わせた。
―私は、何をやっているのかしら。
ともあれ、疲れは思考を麻痺させる。溜息は欠伸に姿を変える。彼女―矢霧波江は、ソファに預けた背を丸め、目蓋を閉じてしまった。




♂♀




彼の眉目秀麗の見本のような顔に浮かぶのは、焦燥を示す汗だった。珍しいこともある。自身でそう思う。
長引くにも程があった。けれど、『お得意様』であり、結構な大金を落としていく(そこまで金額にこだわる彼ではないが、あるに越したことはないし、一種の信用の物差しであることには昔も今も変わりはない)先方が「もう少し」待つように、「あと少し」待つように言うのだから、致し方あるまい。典型的な猫被りでどこまでも笑顔で応じた挙げ句が、帰宅の四時間遅れ、という結果を招いてしまったとしても、悔いはない。
しかし、以上の出来事が今晩起きたということは、事情を変える。かつての(正確には現在も、だが)依頼主であり、今は秘書を勤めさせている女性に、彼はわざわざ時間を指定して食事を作らせていたのだ。
ちなみに、女性と連絡はついていない。仕事の最中は場所が地下だった為、また外に出られる雰囲気でなかった為に電話を掛けられなかった。終わってからは、何回か掛けたが繋がらなかった。機械のオンナ相手に詫びを入れるのは、何だか癪に障り実行しなかった。
―メールは…見てないだろうなぁ。マズいよなぁ。
既にいない可能性大。ついでに言えば、料理が処分されていることも考えられる。例えいてくれたとしても、部屋中を真冬の洞窟のように凍りつかせ、無感情な台詞を無数の氷柱で飾って来るかも知れない。ブリザードが吹き暴れている恐れもある。
―…コワいな。でも、時間差攻撃よりマシか?
想像し、彼は薄い唇を歪める。どれでも、それなりに面白い。思ってしまう自分の性分に溜息を吐いた。
彼にとって、その女性を観察することは、最近の楽しみの一つである。
ある日、彼は女性に夕食の準備を頼んでみた。初めは怪訝な眼差しを向けたものの、給料を払うと提示したら、あっさり了承した。買い物に出る背中に嫌がらせよろしく「二人分ね」と声を掛けたら、心底うんざりしたように眉をひそめたが。
彼はオンナノコの振りでチャットルームを出入りしつつ、帰宅し髪を一つにまとめてキッチンに立つ女性を眺めた。別に本当に食事をしたくて料理をさせたわけではなかった。経過を楽しみたかっただけだった。家庭的な匂いのしない女性の、能面のような顔を歪めさせたいだけだったのである。
ところが、女性は特に困った風も無く淡々と調理を終えてしまった。途中、味見をしていた際にキレイに微笑んだのが印象的だった肉じゃがの出来上がりは、見た目からして美しく、味は文句のつけようがなかった。(意外だと誉めてやったら、「誠二の為ならこれくらい当然よ」と返って来たのには、呆れる半面、納得してしまった)
以来、彼は度々、女性と二人、作らせた料理を囲んでいる。
―俺は、何をやってるんだろうねぇ。
美人と二人で美人手製の美味い料理を食す。それは、何でも一人ですることを良しとして来た彼の中に定着しつつある、習慣だった。
日常を捨てている自分に、習慣は命取りになりかねない。否、女性の作ったカレーに飽きを覚えないどころか、毎日でも平気だなとど口走った時点で、彼は頭の片隅に警報が鳴り響いた気がしている。そもそも、髪をリボンでひとまとめにした女性に、一瞬でも目を奪われたことが、間違いの始まりだったのかも知れない。
―だけど、美味しいんだもん。
ともあれ、空腹も疲れもピークに達している。どんな反応が待つにせよ、急ぐに越したことはない。彼―折原臨也は見えたマンション目掛けて、とうとう走り出した。




♂♀




地上から眺めた際に明かりが点いていたから、少々厄介だと思った。けれど、以前なら帰ってしまっているところだったから、進歩とも考えられる。
エレベーターに待たされるも、舌打ち一つで済ませた。早足で辿り着いた自室に鍵を差し込み、ガチャリとドアを開け放つ。

「ただいま、波江ー!お叱りは御飯の後にしてくれるととても嬉しい!」

先制攻撃のつもりだった。しかし、相手からの返事は無い。
…予想以上に怒りの感情が高まっているのかも知れない。上ではなく、下に。
ああ、今日は氷点下との闘いか。頷きつつ、臨也はリビングへと足を踏み入れる。そして、

「波江…?え、何…」

―…これは予想出来なかったなぁ。
ソファに座り、時折船を漕ぎつつ眠る秘書を見つけたのだった。
熟睡しているようで、一向に目を覚ます気配が無い。そもそも、自分の発した声や物音に反応が皆無の時点で、それは明白である。
疲れているのだろう。最近の仕事内容と量を省みると、肯定に至った。