暗闇の中の真実
成歩堂の言うままにベッドに引き摺りこまれ、狭いセミダブルにぎゅうぎゅうになって眠る。彼はよく王泥喜を抱き枕代わりにしたものだから、された方は堪ったものじゃなかった。けれども手放し難いと思ったもの密かな事実であり、絶対に墓場まで持っていくと心に誓ったのは、王泥喜だけが知る秘密である。
そうして夜は更けていく。王泥喜は起きていた。周りが寝静まり、遠くで犬の遠吠えが聞こえるのをぼんやりと聞きながら、王泥喜はぱっちりと目を開け、暗闇を見ていた。時には目を凝らし、そして時には何処か遠くを眺める様にぼんやりと、静かな闇を眺めていた。
「―――眠れないの?」
微かな衣擦れの音と共に静かに落とされた声は、王泥喜のよく知る、そして最も知られたくない人物のものだった。抱き枕と化している王泥喜の身体を包囲していた腕の力が弱まり、覗き込む様な気配がして、王泥喜は咄嗟に俯いた。
「最近、ずっとだよね。眠るの、嫌?」
彼の言うとおり、この状態になってから、王泥喜は目を開けている事が多くなった。―――同じだと、思ったからだ。
目が見えなくなってからというもの、王泥喜の周りは一変してしまった。そして変化をしなくなった。開いても閉じても見えるのは暗闇で、そこに僅かな光も射す事はなかった。
横たわった闇にぽつんと一人立ち往生し、その闇の中から声だけが王泥喜を導く。指針であって指針ですらない声を掴む事程、愚かな行為はない。広い海原に放り出され、壊れた羅針盤を頼りに進む様な絶望を、どう表現したらいいだろうか。
言いあぐねて、王泥喜は唇を噛む。
「―――怖い?」
小さな問いかけに、然し王泥喜は静かに首を横に振った。怖い訳ではないのだ。否、恐怖はある。けれどそれは一般的なソレとは少しニュアンスが違う様に思う。
「じゃあ何?」
再度問うてくる成歩堂の肩と思わしきものに頭を預け、観念した様に王泥喜はぽつりと己の心情を吐露した。それは幾分、情けないものだと自覚しながら。
「成歩堂さんは、目を開けたら――朝起きたら見える筈の景色が真っ暗だった時の気持ちって、予想出来ます?目を閉じて眠って、暗闇が訪れて。そして朝が来て起きて、目を開けたらやっぱり変わらず暗闇なんです」
成歩堂はじっと静かに聞いていた。頭を預けた王泥喜を抱え込む様に抱き締め、一字一句漏らさぬとでもいう様に、耳を欹て、その音の一つ一つを慎重に拾う。
だから王泥喜は、安心して全てを吐き出す事が出来た。
「同じ、なんです。閉じても開いても。全く変わり映えしない。境目が無い。―――どれが夢でどれが現実か、分からなくなる」
「…だから、起きているの?」
こくりと微かに頷いたのを、成歩堂は見逃さなかった。そう、と小さく呟いて、ゆるりと王泥喜の髪を梳く。
「でも、やっぱり目を閉じて眠ろうよ。キミ、すごく酷い顔してるよ。見てられないくらい」
「……人の話聞いてました?」
成歩堂のやわらかな雰囲気に思わず流されそうになりながらも、王泥喜はドスの効いた声音で応えを返す。矢張り理解を得るのは難しかった。今迄幾度となく難解なロジックを解いた彼なら若しかしたらと、期待した自分が馬鹿らしく思え、王泥喜は少しだけ泣きたくなった。
そんな王泥喜を知ってか知らずか、成歩堂はゆるりと王泥喜の頬を少しかさついた手で撫でる。仄かに染み入る温もりが酷く疎ましい。
成歩堂は王泥喜の心情などお構い無しに、尚も続ける。
けれどもそれは、親が子に注ぐような愛情であり、そしてそれとは少しばかり違う色を秘めていた。
「大丈夫。ちゃんと呼んであげるから。それでも判らないのなら、こうして触れてあげる。こうやって触れたら―――この温度が、現実だよ。オドロキくん」
――――だから、おやすみ。
甘く低い静かな音に、王泥喜は呆気なく屈服し、やがて静かに小さく寝息を零し始めた。
それは光の無い闇に立たされて漸く、王泥喜が得た安寧だった。
end.