失われる摂理
「王泥喜くん?」
急に黙り込んだ王泥喜を訝しんだのか、成歩堂が窺う様に身を屈めて覗きこんでくる。
王泥喜は顔を見られるその直前で、漸く言葉を発してそれを防いだ。
「嘘……ですよね」
「?何が?」
訳が分からないという風に返された応えに、苛立ちが募る。虚像も虚言もましてや偽善に満ちた感情など己には不要なものだ。くれると言うのならば、それがどんなに自分にとって悲しみに彩られたものであったとしても、確かなものだけが欲しい。
「腕輪が反応しました。さっきの言葉は、貴方の本音ではありません」
「……ああ、そういう事か」
成歩堂は顎を指で擦りながら、得心がいったと納得する素振りを見せる。かと思うと、次の瞬間には悪戯を思い付いた子供の様ににやりと笑みを浮かべた。
そうしてそれを実行すべく、王泥喜へと質問を投げ掛ける。
「そう決めつけるのは、早計じゃないかな。僕は嘘を吐いたつもりはないよ」
「でも腕輪は確かに、反応したんです」
「じゃあキミは、僕が大嘘吐きだとでも?」
「そ、れは…」
「好きだよ。さっきも言ったと思うけど、僕は、キミが好きだよ。―――どう?反応した?」
「…え?あ、あれ?ウソだろ?何で…!」
焦る王泥喜を余所に成歩堂は唇を弧に描いてにんまりと笑った。それを間近で見て、確信を得る。
腕輪は反応を示さなかった。
「困ったね。これじゃあ矛盾もいいとこだ。気にならないかい?」
「――――、なります」
「じゃあもっと言葉を連ねてみよう。これから言う事は僕の本心であり本音でもある。今の言葉に反応はしないだろう?――そう、キミは僕の言葉に反応するか否かを確かめれば良い。じゃあいくよ」
成歩堂の画策通り、まんまと乗せられているとは思ったが、事実、彼の言う通りその矛盾は気にはなる。職業病ともいえる妙な悪癖が私生活でこんな風に刺激されるとは思ってもみなかった。けれどゲームの様なその謎かけは、王泥喜に奇妙な魅力を与え惹きつけた。
「僕はキミに対して父性とも師とも、それから友人とも戦友とも云える感情――愛情、ともいうかな。を、持っている」
腕輪は反応しない。それが真実だと告げていた。
「それを僕はキミに与えたいと思っているし、あわよくば貰えたらとも思っているけど、まあそれは今は横に置いておこう。そんな感じで僕はキミをとても大事な存在だと思っているんだ」
腕輪はピクリとも反応を示さない。成歩堂は更に言葉を重ねた。
「それから、そうだな。みぬきに対するものと同じ感情を、キミにも抱いている」
―――その瞬間、腕輪が、反応した。
それは微弱な力でもって王泥喜の腕を締め付ける。痛くもないのに思わず顰めた眉に、 己が傷付いた事を知る。王泥喜は愕然とした。
「反応した?」
「……はい」
こくりと小さく頷く王泥喜を、成歩堂は静かに見詰めた。それからゆうるりと口を開く。
「そうだね。同じ、ではないね。でも嘘でもないよ」
だから盛大には反応しなかっただろう?
にこやかに返され言葉に詰まる。確かに腕輪は弱々しい反応しか示さず、事と場合に依っては見事に騙されていたかもしれない。
王泥喜は困惑し、助けを求める様に成歩堂を見詰めた。
その縋る様な視線に成歩堂は一つ苦笑を零し、慰める様に王泥喜の頭をぽんと軽く叩いた。
「なら言い方を変えようか。僕はみぬきがとても大事でこれ以上ない程愛している。可愛い我が子だし、たった一人の家族だしね。でも僕はキミも僕の大事な家族の一員だと思ってる。だからみぬきと同等の愛情を注ぐことを厭わないし、そしてやっぱり同じように大切だと思っている。
でもね、全てが全く同じかと言われれば、それは否、なんだよ。家族としてキミを愛しているけれど、だけどそれだけじゃないのも本当だ。いや、それ以外のものも含まれている、と言った方がより正確かな?」
小首を傾げにこりと笑う成歩堂を、茫然と見やる。
「さあ、これで僕の反証はお終い」
キミは、この矛盾に気付いたかな?
酷く楽しそうに告げられる言の葉に、王泥喜は困惑し、頭を悩ませた。
言うだけ言って去っていく広い背中を呆、と眺め、先程の会話を反芻する。家族ではないのだとしたら、それは一体どんな愛情だというのだろう。
反応を示さない腕輪を抑え、王泥喜は途方に暮れる。じわりと熱を帯びた目頭は、歓喜故かそれとも悲哀か。
王泥喜は今は無きあの背中に、無性に縋りつきたくなった。
end.