埋み火
オドロキは訴える様に男を見詰めた。男は苦笑し首を横に振ったが、それでも真っ直ぐに見詰め続けた。
やわらかに落とされた苦い笑みは、オドロキの望む答えとは違っていたが、けれど興味を引くものではあった。
「言っただろ?今日はもうダメだ。僕はそれを変える気は更々ないよ。―――でも、」
「でも?」
「特別に、ヒントをあげよう。強くなる為のヒントだ。……本音をいうと、本当は教えたくはなかったんだけどね」
そう言って俯き小さく笑む姿に、首を傾げる。
相変わらず呼吸は整わないままだったが、それでも寝転んでいる所為か、幾分早く回復しているようだ。
然しこの体制のまま人の話を聞くのは憚られ、起き上がろうとしたオドロキを制する様に、男はオドロキの腹へと無造作に座り込んだ。
「ちょっ……どこ座って…!」
「僕はね、キミのその目が嫌いじゃない。寧ろ好ましいとすら思ってる」
言いながら、ゆるりと頬を撫ぜられる。動いて常よりも高い熱を肌に感じて、一気に体温が上がる。
違う意味で慌てふためくオドロキを余所に、男はそのままゆるゆるとラインに沿って指を滑らせていく。
「目は口ほどに物を言うっていうけど、キミの場合はそれがとても顕著だ。僕はその真っ直ぐな性格をそのまま映したかの様なキミの目がとても好きだけど、そしてこれからもそのままで在って欲しいと願っているけど、―――でも、それじゃあダメなんだよ」
「な、にが…ですか…」
「闘いにおいて、それは命取りだ」
低く、そう宣告される。
男はゆっくりと瞬きを落としてオドロキを見た。そこから覗いた目は暗く、鋭く、強い力を持っていた。
それを真っ向から受け止めて、ぞくりと肌が粟立つ。
男は尚も続ける。
「闘う時は、相手の目を見ろ。決して逸らしてはならない。――僕はそう、キミに教えたね?」
「……はい」
「その理由は幾つか言ったと思うけど、その内の一つ、目を見る事で相手の次の動きが分かるからだって教えたのは覚えてるよね?そしてキミはこれを破った事はない」
「……リュウイチさんに、嫌というほど叩きこまれたんで」
「そう言って貰えて光栄だね。でもね、だからダメなんだよ」
「え…?」
「その逆も然り、なんだよ。キミは真っ直ぐだから。だからこの目に何でも映してしまう。僕がそれを読み解くのは、綺麗に結ばれた紐を解くよりも簡単だったよ」
驚愕に目を見張る。知らず詰めた息を解き解す様に指先は喉元へと移り、呼吸を促す様にやさしく肌を辿る。
「…さっきも言ったと思うけど、僕はキミのそういう所がとても好きだよ。だけど、戦闘において何の策も計略も持たないのであれば、それは無意味だ。……相手に殺してくれと言っている様なものだよ」
低くよく通る声で、男はやさしくそう言い放つ。告げられた言葉とは裏腹に、その声音は凪いだ風の様に穏やかだ。
「これでヒントはお終い。さ、もう帰ろうか。僕お腹空いちゃったよ」
瞬時に空気を一変させ、おどけた様に言う男を睨む様に見詰める。
己の腹から退く様な仕草をする男の腕を、オドロキは咄嗟に捕まえた。
「それでも、俺は、貴方に追い付きたい」
それは希求であり願望でもあった。追い付けるのかと疑心に苛まれる事もある。けれど結局、最後に辿り着くのは、そこだった。
「………期待してるよ」
小さく呟かれた言の葉に、ほっと安堵する。
そうして漸く掴んでいた腕を外すと、退くかと思っていた男はまじまじとこちらを眺めている。それに疑問を抱き、口を開こうとして―――
「なんか今更だけど、エロいよねえ。顔は仄かに赤いし、それに息もまだ整ってないし。最中の事思い出しちゃったよ」
拳を差し出した。
腹を抱えて蹲る男をそのままに、オドロキは帰路を急ぐ。確かに腹は空いていたし、傾きかけた月は今を黄昏時なのだと知らせている。早く買い出しに行かないと、今夜は食いはぐれてしまうだろう。
「ちょっ…待っげほっ……うーいたたた」
呆れた様にその様子を遠くで見ながら、オドロキは仕方なく男を待つべく足を止めた。
のろのろと歩く男が近付くにつれて、風に乗って匂いが届く。徐々に濃くなっていくそれに、オドロキはぎゅうと拳を握りしめた。
強くなりたいと思った。追い付きたいと思った。けれどそれは、裏を返せば全て自分の為だった。
傍に居たいと思う。隣に立ちたいと思う。その手を掴んでいられるようにと願う。
願望は欲になり、日に日に肥大していく。
オドロキはそれを押し隠すように、傍に立った男にキスを贈った。
end.