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もみのき そのみを かざりなさい

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ほし めざめなさい



 うっかりするとかつんかつんと靴の音が響いてしまう。つまさきからそっと足を降ろして、できるだけ静かに階段を登る。隠れているわけではないのだけれど、堂々としていられる立場でもないから、呼吸も少し控えめに。気配を夜の闇に溶かすように。長い階段は何度も折れ曲がりながら続く。灯りのない暗い階段は足下もおぼつかないけれど、ゴールまではあと少し。ようやく闇に慣れかけた目を凝らしながら、リリーは階段を登った。
 話がある、とブラックに捕まったのは3日前の午後だ。
 私にはないのよ、と無視しようと思った。でもいつになく真剣な顔で、すぐ終わるから、と言うから、ちょっとだけよと断って付き合ってやることにした。私に告白しても無駄よあなたには興味ないもの、と胸を張ると、俺だってねえよバーカ、と言われたので思わず本気でかかと落としをお見舞いしてしまいそうになった。今思えば、ああ、かかとを落としたくらいじゃ全然足りないわ。沈んだところに蹴りを入れてもまだ足りない。
 長かった階段にもようやく終わりが見えてきて、リリーはほっと息を吐いた。呼気は白いかたまりになって階段の下へと落ちた。残り少ない段を静かに上る。ひとつ、ふたつ。階段の終わりには小さな部屋があることを、彼女は知っている。この階段はその部屋に通ずるためだけにあるということも。その部屋の存在に気付いているものは、この校内でも数少ないということも。
 ようやく辿り着いたドアの前に立って、リリーはすこし、迷った。
 もちろんこのドアを開けるために彼女は長い階段を登ってきたのだけれど、ここに来て、ドアに手をかけることを躊躇した。どうしようこのまま階段を下りて自分の部屋に戻ろうかしら───らしくない選択肢が脳裏に浮かんでは消える。迷いながらじわじわと手を伸ばす。そして引っ込める。認めたくないところではあったのだが、彼女は怖じ気づいていたのだ。
 何度目かに手を伸ばしたとき、きぃとわずかに軋む音がして、ドアが内側から開いた。
 予想外の出来事に悲鳴さえ上げられない彼女の前に、ぴょこんと顔を出したのは。

「あ、やっぱりリリーだ」

 リーマスはにこりと笑って、そこが自分の部屋であるかのように、どうぞ、とドアを開けて彼女を招いた。

「…ありがとう」

 彼女が呼吸を整える間、リーマスは笑顔を崩さずにリリーを待っていた。なんとか体勢を立て直して、リリーはゆっくりと部屋へ足を入れた。
 古い書棚、古いテーブル、古いソファ。そこにあるはずのものは、闇に紛れて輪郭がぼやけている。大きな窓から差し込むわずかな光が唯一の光源だ。
 あたりをくるりと見回して、リリーはリーマスを振り返った。

「ひとりなの?」
「ひとりだよ」
「やっぱり、来ちゃいけなかったかしら」

 呟くと、リーマスはきょとんと首を傾げた。

「どうして?」
「だって」
「だって?」
「だって」
「へんなの。」

 へんなの、と言いながらリーマスがくすくすと笑うから、リリーもつられて笑ってしまう。

「天文学の宿題が終わらなくて。ここなら空が広いから、よく見えるでしょ?」

 リーマスは窓辺に寄って、天球儀をくるりと回した。それから窓の外を指差す。

「牡牛座がここにあるから、あれ木星だよね」

 リリーもそばへ寄って空を見上げ、そうね、と答えた。窓の外はほのかに明るい。夜空に向けていた目を地上へ降ろすと、ずっと遠くまで雪景色が続いていた。積もった雪はか弱い発光体のように夜を淡く照らす。地面も、森も、山の稜線も、視界のすべては雪に沈んで、その寒々しい景色にリリーはちいさく身震いした。
 あ、とリーマスが言った。

「寒いでしょ、僕、毛布持ってきたんだ」

 リーマスは薄闇の中から毛布をとりだして、リリーに差し出した。

「私はいいわ。あなた被ってなさい。風邪でもひいたら大変だわ」
「リリーに風邪を引かせたら僕が怒られるよ」
「誰に」
「ジェームズに」
「あの男がリーマスを怒ったりしたら私があれを殺すわ。だから心配しないで」
「リリーが寒いのは僕がいやなんだよ。だから、ね」

 彼は引かず、かといってリリーにも引く気はない。毛布は引き取り手が決まらず2人の間を右往左往し、やがてリーマスが、じゃあ、といって窓辺から離れた。どこへ行くのかと見遣るリリーの前に古いソファを引きずって設え、彼はその上にちょこんと座った。そしてリリーを手招きする。

「…いいのかしら」

 リーマスの横に座って、1枚の毛布を分け合うようにくるまりながら、リリーが呟く。

「何が?」
「だって、こんな」
「いいでしょ?リリー、さっきから変なことばっかり言ってる」

 おかしそうに、リーマスが笑う。
 リリーの視線の先で木星が回る。
 なんにも変わらないのだ、彼は。

「あのね」

 語尾に笑いを滲ませたまま、彼が口を開いた。

「リリーが変なことばっかり言ってる理由、知ってるんだ、僕」

 木星から視線を離して、リリーはリーマスの顔を見た。穏やかな目元が、照れたようにくしゃりと笑った。

「この3日間、リリーに避けられてたみたいだったから、」
「避けてなんかないわ」
「そうなの?てっきりそう思っちゃった」

 リーマスはそう言って、毛布のはしを膝に乗せた。

「おかしいなと思って、シリウスに聞いてみた。そしたら案の定。」
「避けてたわけじゃないのよ」
「うん、分かってる」

 ちいさな弁明はちからなく床に転がる。

「ほんとうは、ちゃんと僕から話したかったんだよ」
「いいのよ。それより」

 にこりと笑って、リリーは顔を上げた。

「よかったね。」

 リーマスは困ったように笑った。彼が口を開く前に、しかしリリーは早々に笑みを撤去してぷうと頬を膨らませた。

「…よかったねと言うつもりで来たんだけど、良かったのかしら」

 ぷーっとリーマスは吹き出した。笑い転げるリーマスを余所に、リリーは怒りのまま言葉を繋ぐ。

「あのバカに呼び出されて、何事かと思ったら、リーマスと付き合うことになったからとか言うじゃない。ふざけんなバカって怒鳴りつけてやったわよ。わたしの可愛いリーマスにどんな汚い手を使ってイエスと言わせたのよ!って言ったら、あいつ大まじめな顔して、そりゃあ大変だった、とか言うのよ。あいつほんとにバカよ。あのバカは死んでも治らないわよ。あんなのと付き合うのやめなさいよリーマス。いまならまだ間に合うわよ。あなたにはもっとあなたにふさわしい人生があるはずよ!」
「うーん、でも」
「でも何よ」

 渋るリーマスにリリーは食ってかかる。至近距離で、リーマスはとても穏やかな目をして言った。

「結婚を前提にって言われてイエスって言っちゃったからねえ」

 ……はあ!?

「撤回する方がいろいろ面倒な気がする」

 ……はあ。

「いいんじゃないかなあ、僕にはできすぎの人生だと思う」

 ……。

「なんだか…もう…」
「うん?」