背中を押す、手をつかむ
闇の中、色相様々な四角形が明滅を繰り返しながら闇を断絶的に切り裂く。
首や頬に感じる風は冷たい。そして耳にするのは、子供の密やかな笑い声。
意識はそれらを捕らえて、黒い闇に光として表し、滅して処理していく。
「――き」
そんな中、白い光が煌いた。いや、白にうっすらピンク色の混じった光だろうか。闇の中心で、それがぴかりと耀いた。しかしそれはすぐに処理され消えてしまう。
だが、処理しきれない部分が余韻として意識に残る。
疑問を覚えた。これは何だろう。
意識が、処理され見えなくなった光に手を伸ばし、がむしゃらになってかき集め、余韻として残ったそれにこり固めていく。
それはもう一度光った。
「――きッ!」
光ったそれは、あっと驚く間もなく闇を全て押しのけ、瞼を擡げる。
深く閉ざし瞼の裏に夢を映した視界に、見慣れた部屋が映った。
やや乱れがありつつも前後左右揃えられた木目の机。鉄パイプで支える椅子があちこち机の下からはみ出て後ろの机とぶつかっている。
そして机たちが向くずっと先には、黒板がうっすら白い文字を残したまま壁に貼り付けられていた。
教室だった。斜陽を受け赤く染まった教室。
人は少なく、見回せば後ろの扉で数名の女子が楽しそうに談笑していた。
僕は首を傾げる。見慣れている。基本的な教室の構図と同じ。けれど、どうにも僕は見慣れなかった。――そんなふうにこの教室に印象を持った。どうやら知らない教室らしい。一体ここは何処だろう。
そもそも、自分の知っている学校なのかな。
そう思い、確かめるべく外を見やったとき、ガタンッ! と、さっきまで上体を乗せていた机が思いっきり揺れる。
目を丸く見開き、外に向けようとした目を机の方へと向ける。
人が1人、立っていた。
青と黄色のジャージ。愛らしいピンク色の髪を斜陽に赤く染め、髪色に似合わない、不機嫌な顔で立っている。
僕の知っている人物。にっこりと笑んで、僕は彼の名を言った。
「染岡くん、おはよう」
起きたばかりだからか、言うだけ言ってふわぁあ、と、欠伸をかみ殺す。
そんな僕ののんびりとした行動に、染岡君のヤクザみたいな怖い顔に青筋が立ち、ゴツリと、染岡くんから僕の頭へ鉄拳が落ちた。痛いっ。
「オメェは何時まで寝てんだ! 部活始まってんだろうがッ」
「え? ――あ、ホントだ」
ついと視線を窓へと向ける。開ききった扉からは冷たい風と共にキャプテンの渇や皆の元気な掛け声が入ってきていた。
窓枠に手を乗せ、頭を外に少し投げ出して見ると、眼下のグラウンドで、長い影を足元に伸ばしたチームメイトたちが、思い思いに練習に励んでいる。
何時の間に始まっていたんだろう。
いや、なんにしてもこんな所で寝ていたんだから遅刻だ。
「キャプテンに怒られるな……」
「すでに俺が怒ってる」
「……あはは」
ごめんね。笑って言えば、染岡くんは深く溜息をはいた。
ジャージ姿から推測するに、おそらく僕がいないからと練習を抜け出してわざわざ呼びに来てくれたのだろう。優しいなぁ。
もし彼がやってこなかったら、部活に行かない所か、そのまま下校終了時刻までずっとここで眠っていて、帰宅は日暮れしてから何時間も経ってからになっていただろう。深い眠りについていた感覚はまだ頭の中で残っている。
「さっさと行くぞ」
そういうなり、染岡くんはくるりと僕に背を向け、足早に廊下へとかけて行った。うん、と僕は肯首して、ガタリと大きな音を教室に響かせ、椅子から立ち上がる。
そして、机のフックにかけた鞄の紐へと、手を伸ばした。
指先は、冷たい金属のフックをなでる。
「――あれ……?」
ぐるり。フックを撫で回し、皮布の鞄紐を探る。けれど、触れるのはつるつると滑らかな金属だけで、布地の少しざわついた紐に触れることは無い。
もしかしてと片側の方を見やったが、そちらは窓の下の壁にぴったりと寄り添い、鞄をかけるようなスペースは無い。
おかしい。
何で無いんだ。今まで一度だって、登校時に鞄を忘れてくるなんてバカなことをした覚えはない。まして今朝はいつもどおり登校して学校に来た。そうして部室に行って着替え、サッカーをし、それから――
「……あれ、」
記憶を掘り下げ、気づく。そういえば僕は、何時から寝ていた?
覚えているのは、2時間目までの記憶。
国語の古典授業の時から眠くて、次の数学の授業にはついに耐えられず、机に突っ伏して眠っていた。そこまでの記憶は薄くではあるが、きちんと残っている。
しかし、それからの記憶は一切無い。
3・4時間目の授業も、給食も、何もかも。
雷門は私立中学だから比較的白恋よりも規則は厳しく、授業中寝ていたら起こされる事が多い。起こされなかったとしても、次の授業のはじめには先生が寝ている人を見咎めて起こしてくれるだろう。
まして、給食まで跨いで寝るなんて。
ありえない――
――いや、違う。相違はそこからじゃない。
もっと前。
そう、僕は、白恋の生徒だ。
雷門に来た事は数度あれど、雷門生になった覚えはない。そりゃあ染岡くんやキャプテンとのサッカーは楽しいし、何度でもやりたいと思うけれど、それを転校理由にしてまで白恋や地元から離れられるほどの行動理由にはならない。白恋でのサッカーや、故郷は何物にも変えられないくらい大事な場所だ。
だとしたら、何故僕はここにいる?
そもそも、僕は何時からここにいる?
疑問がぐるぐる、脳内で螺旋状に廻る。答えは何処まで言っても辿り着けない。
混乱が生じ始めた頃、キラリと1つの光がそれらを劈き、1人の人物を思い起こす。
ピンク色の髪、それに似合わない怖い顔。去っていった背中。
「……染岡くん」
そうだ、染岡くん彼に聞けば何か分かるかもしれない。
いや、染岡くんだけじゃない。グラウンドで練習しているキャプテンたちにも聞けば、きっと。
思い立った僕は、そのまま染岡くんを追って、廊下へと飛び出した。
教室には、もう誰も残っていない。
作品名:背中を押す、手をつかむ 作家名:土筆