りりりん
「ハヤテ。俺、死ねって言われた」
りいん。
百も二百もの鈴虫が、鳴いている。
けれどもその虫の声は束ねられれば束ねられる程に澄むようで、個々のばらばらに発した声はいつか、一束の音色になったと耳が錯覚する。例えるならば波の音だ。折り重なり後から後から寄せて返す潮の生む、決して止まることのない音の連鎖。といっても、侘助にはフィーリングCDの音くらいしか「波の音」の抽斗が無いので不適当であるのやも知れない。十の頃から都会に出るまで山育ちだった侘助ではあるが、一人で旅ができるようになってからは海くらい行ったことがある。しかし大人になってから覚えたことは、繰り返さない限り取り入れた時と同じように簡単に忘れていた。ぼんやりと考えたふと傍から思いつく。波の音はやはり違うだろう、と。波は、漣ですら消えることのない余裕めいたものを含んでいる。鈴虫の声はしかし、およそ百匹が一時に鳴いているであろう今この瞬間ですら、一秒先もまた鳴き続けているという確信が持てないのだ。あの生き物が思い出したように鳴きはじめ、気付けばふつりと鳴き止んでしまうという鳴き方をする所為だけではないのだろう。木霊するりいん、りいんという自然の鈴は、音の洪水と形容するにはか細過ぎだ。ひたひたと地を這いながらいつの間にか耳に滑り込んでくる気がした。
海を越え、生まれた国を長い間離れた。思うことを思うようにやり続けて、再び海を越えて帰った。
そして嵐のようにしてやってきた世界の終わりを嵐のように回避した。
あの夏の暑い盛り、たった数日の間に侘助の両の目が、耳が、五感のすべてが対面した有象無象は未だに脳味噌のキャパシティを超過している。目を閉じ、記憶を探ると、自分と親族との遣り取りが一繋ぎになってぼとり、ばたりと許容の内側へ落ちてくることがあったかと思えば、篩に掛けた小麦粉のようにさらさらと降る色の粒が時間をかけてひとつの画を露わにすることもある。或いはたった一瞬の、シャッターを切った正にその時フィルムに焼き付く絵のような一秒にも満たない映像が、鮮烈さをまるで損なわないままに、じっと静かに瞼の裏に居座ることもあるし、最早音声と映像と匂いの記憶が切り離され、てんでばらばらに侘助の内側で勝手に主張し合っては正しい組み合わせの相手を呼んでいたこともあった。しかしそれらはもう一度瞬きをして仕切り直してやると全てが戻るべきところへ戻り、繋がるべきところで繋がる――これらは皆、侘助の中で秘密裏に行われている一種の自己防衛である。一度にすべてを想えば(優秀な彼の頭では実際それが不可能ではない)、侘助はえもいわれぬ激情と寂寞に駆られるだろう。感情や思い出という言葉と距離を置いてから久しい侘助にとって、このような七面倒くさいプロセスに例え瞬きの間でも気を取られることは実に不服であった。それらを扱いかねる程に自分の事を扱いかねているのではないが、あの人がいなくなってしまった事実は動かしようもなくいつまでもこの品行方正な頭の中に巣食うのだということも既に分かっている。要するに、未だに、侘助は。
縁側に座っていた犬のハヤテは、左に同じく腰を下ろした侘助の右腕の中に抱え込まれ軽く頭まで預けられ、猫をあやす時のように喉下を指先で撫ぜられていた。賢そうな目にかかる瞼には、どのような生き物にも共通して降りかかる老いが滲んでいる。睫毛のように短く生えた目元の体毛はどれも年を感じさせる白さだ。逃げも暴れもせず、ただじっと“お座り”の恰好を続けるハヤテの背に顔を載せながら獣の匂いのする体温の混ざった空気を鼻腔に感じ、そして侘助は、頬や顎が触れる家族の背がいつの間にかとても頼りなく骨ばってしまっていることに気付いた。それは十年振りに再会した一年前のあの時より、もっと、である。
そういうものなのかねぇ、と誰にでもなく心の中で問い掛けた。忠犬と言って差し支えない彼は近い内に、彼の最も会いたい人の所へ行ってしまうのだ。その為の準備であるかのように、静かに確実に彼は骨を弱らせ肉を萎えさせていくのか。何とも――何ともだ。
身を起こし、腕から老犬を解放してやると、彼は人好きのする顔の縦に長い口から舌を出して、へ、へっ、と息を吐いた。ハヤテを抱いていた腕の内側が必要以上に熱を持って、麻痺したように熱い。頭を一撫でしてから侘助もまたぐうと伸びをする。
あの日から一年経った。その節目に、屋敷にはまた多くの黒い服を着た人間が集まり、言葉を交わした。長い一日の締め括りにと、親戚達は夜遅くまでひとつの卓を囲んでいた。あの人の古い友人、つまり故人の関係者など、多くの客人が集まる中に侘助が顔を出す義理はなかった。というよりも、接触は却って事をややこしくしそうだったので、この実家に帰ってはみたものの殆ど血族以外の誰ともコミュニケーションを取らず、滅多に人のやって来ない部屋に籠って古い本などを引っ張り出しているうちに夜は更けた。常に人が忙しく動き回り声を発していたが、この屋敷を取り囲む環境が都会のそれとは決定的に異なっていた所為で、一日中侘助の耳に届いていた喧騒は穏やかなものだった。草木や花や料理の匂いが印象を和らげていたのかもしれない。帰る客人も残る客人もそれぞれが適切なところへ収まった頃合いを見計らって、侘助は愛用のモバイルをデニムのポケットに突っ込んでふらりと台所を徘徊し、残り物の酒とつまみを拝借し、縁側に出た。
奇妙に間延びした夜である。このように長い時間、血族たちが生活する音を耳に聞きながら姿を殆ど見とめなかった一日の後に訪れる宵闇は、自分が一日だけ他の人間より後ろに佇んだままでいるような心地がする。それはかつて同じような状況で同じような感慨を抱いた日々があったことを侘助に示唆するが、当の侘助は頭の回転数を最低限まで落としているので、今鳴き止んだ鈴虫の声が他の九十九匹の声に補われた音の束の中で見つけられないのと同じように、他の思考に融和して終わりを明確にしないまま消えていった。
ハヤテはお座りから伏せになると眠たげに眼を細める。侘助は一日中活動しなかったお陰で眠気に逃げられている。
りいん。
百も二百もの鈴虫が、鳴いている。
けれどもその虫の声は束ねられれば束ねられる程に澄むようで、個々のばらばらに発した声はいつか、一束の音色になったと耳が錯覚する。例えるならば波の音だ。折り重なり後から後から寄せて返す潮の生む、決して止まることのない音の連鎖。といっても、侘助にはフィーリングCDの音くらいしか「波の音」の抽斗が無いので不適当であるのやも知れない。十の頃から都会に出るまで山育ちだった侘助ではあるが、一人で旅ができるようになってからは海くらい行ったことがある。しかし大人になってから覚えたことは、繰り返さない限り取り入れた時と同じように簡単に忘れていた。ぼんやりと考えたふと傍から思いつく。波の音はやはり違うだろう、と。波は、漣ですら消えることのない余裕めいたものを含んでいる。鈴虫の声はしかし、およそ百匹が一時に鳴いているであろう今この瞬間ですら、一秒先もまた鳴き続けているという確信が持てないのだ。あの生き物が思い出したように鳴きはじめ、気付けばふつりと鳴き止んでしまうという鳴き方をする所為だけではないのだろう。木霊するりいん、りいんという自然の鈴は、音の洪水と形容するにはか細過ぎだ。ひたひたと地を這いながらいつの間にか耳に滑り込んでくる気がした。
海を越え、生まれた国を長い間離れた。思うことを思うようにやり続けて、再び海を越えて帰った。
そして嵐のようにしてやってきた世界の終わりを嵐のように回避した。
あの夏の暑い盛り、たった数日の間に侘助の両の目が、耳が、五感のすべてが対面した有象無象は未だに脳味噌のキャパシティを超過している。目を閉じ、記憶を探ると、自分と親族との遣り取りが一繋ぎになってぼとり、ばたりと許容の内側へ落ちてくることがあったかと思えば、篩に掛けた小麦粉のようにさらさらと降る色の粒が時間をかけてひとつの画を露わにすることもある。或いはたった一瞬の、シャッターを切った正にその時フィルムに焼き付く絵のような一秒にも満たない映像が、鮮烈さをまるで損なわないままに、じっと静かに瞼の裏に居座ることもあるし、最早音声と映像と匂いの記憶が切り離され、てんでばらばらに侘助の内側で勝手に主張し合っては正しい組み合わせの相手を呼んでいたこともあった。しかしそれらはもう一度瞬きをして仕切り直してやると全てが戻るべきところへ戻り、繋がるべきところで繋がる――これらは皆、侘助の中で秘密裏に行われている一種の自己防衛である。一度にすべてを想えば(優秀な彼の頭では実際それが不可能ではない)、侘助はえもいわれぬ激情と寂寞に駆られるだろう。感情や思い出という言葉と距離を置いてから久しい侘助にとって、このような七面倒くさいプロセスに例え瞬きの間でも気を取られることは実に不服であった。それらを扱いかねる程に自分の事を扱いかねているのではないが、あの人がいなくなってしまった事実は動かしようもなくいつまでもこの品行方正な頭の中に巣食うのだということも既に分かっている。要するに、未だに、侘助は。
縁側に座っていた犬のハヤテは、左に同じく腰を下ろした侘助の右腕の中に抱え込まれ軽く頭まで預けられ、猫をあやす時のように喉下を指先で撫ぜられていた。賢そうな目にかかる瞼には、どのような生き物にも共通して降りかかる老いが滲んでいる。睫毛のように短く生えた目元の体毛はどれも年を感じさせる白さだ。逃げも暴れもせず、ただじっと“お座り”の恰好を続けるハヤテの背に顔を載せながら獣の匂いのする体温の混ざった空気を鼻腔に感じ、そして侘助は、頬や顎が触れる家族の背がいつの間にかとても頼りなく骨ばってしまっていることに気付いた。それは十年振りに再会した一年前のあの時より、もっと、である。
そういうものなのかねぇ、と誰にでもなく心の中で問い掛けた。忠犬と言って差し支えない彼は近い内に、彼の最も会いたい人の所へ行ってしまうのだ。その為の準備であるかのように、静かに確実に彼は骨を弱らせ肉を萎えさせていくのか。何とも――何ともだ。
身を起こし、腕から老犬を解放してやると、彼は人好きのする顔の縦に長い口から舌を出して、へ、へっ、と息を吐いた。ハヤテを抱いていた腕の内側が必要以上に熱を持って、麻痺したように熱い。頭を一撫でしてから侘助もまたぐうと伸びをする。
あの日から一年経った。その節目に、屋敷にはまた多くの黒い服を着た人間が集まり、言葉を交わした。長い一日の締め括りにと、親戚達は夜遅くまでひとつの卓を囲んでいた。あの人の古い友人、つまり故人の関係者など、多くの客人が集まる中に侘助が顔を出す義理はなかった。というよりも、接触は却って事をややこしくしそうだったので、この実家に帰ってはみたものの殆ど血族以外の誰ともコミュニケーションを取らず、滅多に人のやって来ない部屋に籠って古い本などを引っ張り出しているうちに夜は更けた。常に人が忙しく動き回り声を発していたが、この屋敷を取り囲む環境が都会のそれとは決定的に異なっていた所為で、一日中侘助の耳に届いていた喧騒は穏やかなものだった。草木や花や料理の匂いが印象を和らげていたのかもしれない。帰る客人も残る客人もそれぞれが適切なところへ収まった頃合いを見計らって、侘助は愛用のモバイルをデニムのポケットに突っ込んでふらりと台所を徘徊し、残り物の酒とつまみを拝借し、縁側に出た。
奇妙に間延びした夜である。このように長い時間、血族たちが生活する音を耳に聞きながら姿を殆ど見とめなかった一日の後に訪れる宵闇は、自分が一日だけ他の人間より後ろに佇んだままでいるような心地がする。それはかつて同じような状況で同じような感慨を抱いた日々があったことを侘助に示唆するが、当の侘助は頭の回転数を最低限まで落としているので、今鳴き止んだ鈴虫の声が他の九十九匹の声に補われた音の束の中で見つけられないのと同じように、他の思考に融和して終わりを明確にしないまま消えていった。
ハヤテはお座りから伏せになると眠たげに眼を細める。侘助は一日中活動しなかったお陰で眠気に逃げられている。