Chillyditty Of February―記憶―
【中編】
それから、またしばらく街の中をさ迷い歩いた。……いや、そもそも目的地など無いのだから、どこを歩いたところで同じことだった。
何処でも良かった。自分を痛いほどの冷たさに晒せる場所なら、どこでも。
……そうして歩き続けていると、色々な場所を通りがかった。
訪れたことはないけれどいつも見ていた、河の側に建つ小さな美術館。
いつ開店したのかわからない、真新しいカフェの前。
それと――
「………………」
また、足を止める。
そこは何度も通ったことがある、おもちゃ屋のウィンドウの前だ。鮮やかな色の付いたボールが転がっていたり、ピエロが飾られていたりと、子供の目を引くような飾りつけがされている。
そのウィンドウの中央を、ひとつのスポットライトが優しく照らしていた。
――そこに飾られていたのは、ピアノ型のオルゴール。
「…………っ!!」
見た瞬間、思わず息を呑んだ。
脳裏によぎったのは――いつかの光景。いつかの会話。
――<え……これを買ってくれるんですか?>――
――<今度のお前の誕生日にな。おもちゃで悪いと思うんだけど>――
短い茶の髪を掻いて笑う、『あの人』。
その彼が毎年冬になると着ている、紺色のダッフルコートの裾を握って懸命に否定する。
――<そ、そんなことっ。あの、お金が厳しいなら俺アイスだって我慢>――
――<はは、そこまで貧乏じゃないさ。いいから指折り数えて待ってな>――
そういって笑った彼に、同じように笑い返したのだった。
何の疑いも不安もない。
ただ、誕生日が来るのが待ち遠しい一心で……。
「――…………ッ」
きつく目を瞑って、ウインドウから目をそむける。
思い出したくない。何も思い出したくない。
『あの人』のことは今は何も――
――<そうだ。誕生日は何のアイスが食べたい? ――カイト>――
「……いや――だ……っ!!」
笑顔で名前を呼ぶ、その姿と声を振り切るように頭を強く左右へ振って、がむしゃらに走り出した。嫌だ、嫌だと心の中でなおも強く拒絶しながら。
それでも、記憶の映像は止まってくれない。それどころか、何もかもがより鮮明になって蘇ってきた。
優しかった、『あの人』。
意地っ張りなところもあった。涙もろいところもあった。音楽の才能はなかったけど、いつも前向きで諦めたりしなかった。
そして”ボーカロイド・KAITO”を――人間じゃない俺を、大切にしてくれた。
だけど。
誕生日だった、4日前。
彼は――俺のマスターは、交通事故に遭ってしまった。
その日、俺は降りだした雪を心配して、外出していたマスターに傘を届けにいった。『銀行の口座からお金を下ろして、誕生日プレゼントを買ってくる』――そう言い残して家を出たから、場所の見当はすぐについたのだ。そう、あのおもちゃ屋だろうと。
――迎えに行ったら、きっと照れくさそうに笑ってくれる――
そう思っていたその場所で見たのは……
笑顔なんかじゃなく、血を流して倒れるマスターの姿。
近くには、雪でスリップしたらしい車が電柱にぶつかって止まっていた。
側にはオレンジの紙袋が落ち――中からこぼれ出たらしい、あのオルゴールが場違いな優しい音色を響かせていた。
「…………マ……ス、ター…………」
記憶の中の自分の声へ重ねるように、つぶやく。
めったやたらに走ったせいで呼吸が苦しい。背を壁に預け、ぜいはぁと荒い呼吸を何度も繰り返す。
少しそれが落ち着いたころ、ふと空を見上げた。
「わかって……ました。いつか、こんな日が、くるって……」
人間と、作られた”モノ”。
どちらの命にも限りがあるとはいっても、その長さは段違いだ。ボーカロイドは病気をしない。多少の事故にあったとしても、機械である分、その強度は人間と比べるまでも無い。
だから、ボーカロイドと人間。
先に命の火が消えてしまうのはどちらなのかは――自明の理。
「……わかってたはず、なんです……俺は……――俺は……」
と。
ぽつり、ぽつりと、灰色の天から雫が降り注いできた。
凍てついた肌の上をすべる雨粒は暖かかった。目の端から伝う、雫も。
とどまることを知らなかった記憶のフィルムは、蒼天の下の小高い丘を映し出す。……そこへ突き立つのは無機質な石の十字架だ。
「…………マスター…………」
答えは返らない。
答える人は、もうこの世にいないのだから。
作品名:Chillyditty Of February―記憶― 作家名:水月千尋