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みっふー♪
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novelistID. 21864
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春来たりなば

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襷で捲った肩に息をつき、三和土に立って少年は額に滲んだ汗を拭った。格子戸の外はすっかり陽も落ちかけている。厨房にある鍋釜の類はあらかた磨き尽くしてしまった。
(……。)
――こーなったら次は家中床磨きでもすっか、何でもいいから何かして気を紛らせていないとおかしくなってしまいそうだ。
と、引き戸を開けて家主の彼が顔を覗かせた。
「――くんは?」
小袖の胸に厚い綴りの紙束を抱え、窺うように辺りを見渡して少年に訊ねる、
「知りません、」
――その辺にいないならテキトーに帰ったんじゃないスか、素っ気なく少年は返した。アイツもアイツで薄情だ、気を利かせたつもりならもっと大バカヤロウだ、……いや、どちらにしても俺の勝手な言い分か、少年はひとり口の端を歪めた。
「……そうですか」
彼は小さく呟いた、――どうしても写本が欲しいと言うから急いで清書したんですけど、
「仕方ないですね、」
にっこり笑うとこともなげに彼は言った、「じゃあ、今度君から渡しといて下さい」
「何で俺が、」
少年はあとずさって眉を寄せた、「……イヤです、」
「どうして?」
目の前に綴りを差し出されても不貞腐れて後ろに手を回し、ほとんど駄々っ子のように首を振る、
「……」
手を下ろして彼が溜め息をついた。
「……我侭言わないで下さい、」
「――先生、」
少年は下駄を蹴って縁板を駆け上がり、力任せに彼の身体を抱き締めた。胸に溜まった熱い息を、長い髪に隠れた彼の耳元に押し付けるように吐き出して、「俺と一緒に逃げましょう、」
「……、」
少年の腕の中で彼の肩が微かに揺れた。少年の腕にこもった力がふと緩む、
「――私は、」
顔を上げて彼は言った。「逃げなきゃならないようなことは何もしてません」
「……、」
少年はしばし呆気に取られた。けれどもすぐに、
「――そうッスね、」
あまりに彼の迷いのなさにこちらもつられて笑ってしまう。それでも逃げて俺と生きると言って欲しい、恨めしく思わないでもなかったが、だけど自分が惹かれたのはこうしてどこまでも真っすぐなこの人であることもまた確かなのだ。
少年は腕を解くと、彼から受け取った綴りを水屋の隙間に立て掛けた。
「……祝杯でもあげますか、」
おどけた調子に彼が言った。
「酒なんかありませんよ?」
困惑気味に少年が返した。長いこと一緒に暮らして、たまに甘味は口にしても、最近まで彼は下戸だと思っていたくらいだ。
「こないだの練酒、あったでしょう?」
視線を移して彼が言った。――ああ、少年は思い出した。春の節句に合わせてか、偶々読んでいた舎密学書に影響されてか定かでないが、思い立って彼が作ろうと言い出したやつで、数日寝かせた方が味がこなれるとか何とか、頃合いで一度味見したきりだから、ほとんど丸々手付かずだ。
少年は再び三和土に降り、地下蔵の板を上げて厚布に包んだ甕を引き出した。木蓋を開けると、どろりと発酵した白い液体がなみなみ中を満たしている。
「――ウン、上出来上出来、」
立ち上った独特の匂いを、肺いっぱいに吸い込むように彼が笑った。
「それじゃ、仕度ができたら私の部屋に運んで下さい」
――待ってますから、笑顔のまま少年に言い残すと彼はぱたりと戸を閉じた。
「……。」
少年はぼんやり三和土に立ち尽くした。両の手で頬を叩いて癖毛の撥ねた頭を振る。ひとつ息を吐き出して、奥に仕舞った瓶子と杯を取り出しに掛かる。
膳を整え部屋へ行くと、机で硯箱を片していた彼が顔を上げた。正座した少年の側に膝を突き合わせ、脚付の台から杯を取る。
「注いでくれますか?」
器を掲げて彼が言った。
「……」
少年は持ち上げた瓶子の中身を杯に注いだ。朱塗りの漆器を白く満たして甘酸い匂いが立ち込める。しばらく手元を見つめていた彼はひと息に杯をあおいだ。空になった器を含み笑いで少年の前に差し出す。
「……酔ったイキオイにする気ですか」
二杯目を注いでやりながら、眉を寄せて少年が言った。わざとのように拗ねる口調は子供じみているものの、彼を見つめる眼差しはやがて迎える青年の憂いの色を帯びていた。
「違います、」
仏頂面の少年を見て彼が笑った。「君としようと決めたから、いい気分で飲んでるんです」
杯を傾けた拍子に、ふわりと空を舞った長い髪が少年の肩に凭れ掛かる。
「……きっとゴクラクに行けますよ、」
頬を預けたまま、呟くように彼は言った。一拍遅れて、少年の耳が赤く染まった。固まった肩口から少年を見上げる仕草で、彼がくすくす髪を揺らした。彼は身を起こすと、少年の手を取って杯を持たせた。
「……。」
なされるままに酌を受け、勧められるまま一息にあおる。味なんかわかりゃしない、もはやヤケクソで空になった杯をぐいと突き出す少年に、
「君はあんまり、お酒が強くないようだから」
首を振って、静かな声に彼が言った。少年はぐっと言葉に詰まった、……そりゃ、確かにガキの悪ノリでやらかして念書とギッチリ反省文書かされたこともありましたけど。
「――たかが甘酒じゃないスか、」
やれやれ、いつまでも小さな子供扱いだばかり、憤慨した少年が彼の手から陶の瓶子を奪い取ろうとする、
「ダメです」
――夏の屋台で売ってるあれとは違うんですよ、断固の姿勢で彼は胸元に瓶子を引き寄せた。――それに、加えてふっと表情を緩めてみせて、
「それじゃ私が困りますから」
同時に容の良い、薄い唇の口角がニッと持ち上がる、
「……」
少年の手から杯が転げ落ちた。何食わぬ顔で転がった杯を拾い上げて膳に戻すと、涼しげに笑って彼は言った。
「さ、ここはこれくらいにして、君の部屋へ行きましょうか」
「……え」
先に立ち上がった彼に袖を引かれ、心此処に在らずに少年は頷いた。すっくと膝を立てても、どこか体の軸がギクシャク傾いたままのようだった。存外にたかが甘酒と舐めたものではなかったということか、それとももっと他の理由か。
彼の部屋を出て、廊下に沿って連なった突き当たりの戸を開ける。手燭を持って小走りに障子を引いた少年に促され、彼が一歩を踏み入れた。揺れる炎の赤みに加えて、明かり取りから差す仄白い月光が部屋の輪郭をぼんやりと照らし出す。
「……ふむ、なかなか片付いているようですね」
――大変よろしい、律儀に指差し確認でにっこり笑って彼が振り向くより早く、少年の腕が彼を抱き竦めた。煽られた風にふっと灯りの火が消える。
「……、」
背中から、身じろぐ彼の人の柔らかな髪に頬を埋め、こもった息を首筋に押し当てる。――別に片付いてるわけじゃない、単にモノがないだけです、この家に貴方さえいれば、それ以外俺に必要なものなんて何もない、
「――先生、」
抱き締める少年の腕が訴える。惑うように動いていた彼の指が、少年の手の甲を包み込んで止まった。
「……」
少年は顔を上げた。半身を捻った彼と目が合う。引き寄せられるように互いの熱が重なった。醸された麹の残り香が、少年の心と意識の内側とを満たして一杯に塗り込めていく。
作品名:春来たりなば 作家名:みっふー♪