春来たりなば
「――、」
薄くほどけた唇を抉じ開けさせ、もっと確かな熱を探る。少年の求めに彼が少しずつ反応を返す。何度でも角度を違え、息が上がるまで繰り返して、名残りを惜しんだ熱が離れる。肩を並べる少年の首元に頭を預けて彼が言った。
「……続きは、床を延べてからにしませんか」
「あっ、ああ……」
――ハイ、我に返った反動で少年の顔が、耳までさっと朱に染まる。ぎこちない足取りに彼の側を離れると、少年は壁の襖の片面を引いた。
一式抱えて振り向くと、戸口の障子と並列にちんまり正座した彼が畳に転がった燭台に手を伸ばして立て直しているところだった。横顔を隠して、長い髪がさらさらと肩口に流れ落ちる。少年の耳の真後ろに妙な律動で鼓動が弾んだ。よろよろと布団を降ろして、真っすぐ敷いているつもりが、どうも一方に偏っている。
「……でっ、できましたっ、」
なんとか体裁を整えて、――さぁどうぞっ、少年は掛け布団を捲ると早口に彼に勧めた。正座のまま裾を捌いて向きを変えた彼の人が、少年と布団とを交互にきょとんと見比べた。が、やがて合点がいったのか、ぽんと手を打つ。
「お邪魔します、」
畳の上に三つ指突いて、彼は深々頭を下げた。
「……、」
――いえいえこちらこそ大したお構いもできませんでしょーけど、布団を摘んだまま、陸に放られた魚みたいにパクパク喋る少年に彼が小さく噴き出した。
しばらく互いに笑い合って、やけにしんとした間を埋めるように順番に布団に入る。
彼の後からくっつくように少年も潜り込み、――二人で寝る布団ってこんなに狭かったっけ、一人前に生意気叩いていたものの、すると自分はやはりあの頃相当子供だったのだ、やけに近く感じる背中を眺めながら少年はぼんやり昔を思い返す。少年に背を向けたまま、ぽつりと彼が言った。
「……今日はここまでにしておきますか?」
肩を覆った長い髪が、含み笑いにくすくす揺れる。”次”がないかもしれないことは二人ともどこか予感めかして感じていた。けれど口には出さなかった。そうして言葉にした途端、無粋な言霊に囚われてしまうのを嫌った。
少年は手を伸ばし、目の前の彼の身体を抱き締めた。酒気に隠されて、彼の人に染み付いた古い紙と墨の匂いと、遅れて密かな沈香の香りが鼻腔を掠める。遠い眠気がふらりと脳裏に甦った。少年は口元に薄い笑みを浮かべた。
――そうじゃありません、ほんのちょっと、くだらない感傷に捕らわれていただけです、なんつーか、俺にも懐かしむ過去ができたんだなぁって、
「……。」
少年の腕の中で彼が姿勢を反転させた。頬に触れる彼の手の温もりに少年は目を細めた。
過去も未来も無かった。考えるのはその日一日どう生き抜くか、それ以外は全て無用のことだった。そうしてひとり生きてきた、あの日々すら今は愛しいと思えるなんて。
「――、」
彼の背を敷布に押し付けるように乗り上げて唇を重ねる。
柔らかな湿り気と、さっきよりずっと互いの熱が馴染む気がした。もうずっと、決して離れられない、離れたりするはずがないというように。
「……、」
酸素を求めて彼が喉を反らした。緩く少年の背に縋りながら、その手が着物の肩を落とす。少年は諸肌姿に彼の胸元に屈み込み、剥き出しの頤から首を辿って鎖骨まで舌を這わせた。前合わせを寛げて晒した肌を脇腹伝いに撫で上げると、彼の唇に確かな息が漏れた。呼吸に胸が波打つごと、肌の白さを際立たせて色を増す二つの突起が目を誘う。本能のまま舌先に触れさせ、荒れて煤けた指先に少年は彼を慈しむ。――……ったく、バカヤロウは俺こそだ、拗ねていじけて一日鍋なんか磨いてないで、早く素直になっていれば、そしたらもっと綺麗な手で先生を。
「――、」
彼の身体が敷布を蹴って小さく跳ねた。はだけた裾から手を差し入れ、下穿きの布を取り去る。少年の前に露わになったその場所は既に変化を始めていた。少年は乗り上がった姿勢をずらし、両手に包み込むように彼に触れた。
「……ッ、」
捧げた先端に口付けると、頭を振って彼が身を捩らせる。声を抑えて口元に噛み締めた小袖の袂から、丸みを帯びた貝の器が転げ落ちた。畳を打つ鈍い音に彼がはっと目を開けた。耐えた涙が目尻に滲んでいる。少年は無言でそれを拾い上げた。
「……」
気持ちは疾うに通じていながら、終ぞ彼の寝所を襲う度胸も甲斐性も無かった自分のために、何もかも気遣われて、お膳立てされて、こんな風になっても俺はやっぱり先生にとっていつまで子供なんだろうか、情けなさより歯痒さより、それでもなお彼を求める気持ちは止められない、
「――、」
肘を摺って身を引き掛けた彼の腰を強引に掴み寄せ、白磁の貝から拭い取った軟膏を滑らすように奥に触れる。脈打つ襞を解すごと、彼の吐息に熱が混じる。意を決して深度を探り、磨き粉にふやけた指にきつく纏わりつく熱さに、少年の意識はくらりと霞んだ。探る指を増やすごと、締め付ける強さも比例する、敷布に散った髪と同じに彼の息も捩れていく。
「……先生、」
少年の上ずった声に、閉じられていた彼の瞼がゆるりと開く。真上に窺う少年と視線が交錯する、薄笑むと彼は再び天を仰いだ。少年は身を起こした。軟膏に塗れた指で着物の下から引き出した自身を彼の奥にあてがう。眩暈に耐えて少年は深呼吸した。
「――ッ、」
受け入れて彼の身体が仰け反った。足掻く下肢を押さえて身を進める。捩じ込ませていく抵抗に按じて眉を寄せながら、彼を気遣う余裕がない、少年を見上げて懸命に息を啜る彼の手が肘先に纏わり着く。左手で絡め取るように掬った彼の掌を敷布に押し留め、重なる指先は求める互いを確かめ合って強く結び合う。
「……っは……、あ……ッ……、」
少年の名を呼びながら切れ切れに乱れて上がる彼の呼吸に惑わされ、息の仕方がわからなくなる、
「……、」
芯まで繋がろうとして、酸欠に少年の思考はまばらに霞んだ。瞬間、目の前に白い熱が弾ける。
「――、」
少年は脱力し、同じく弛緩する彼の身体に身を重ねた。……ずっと昔、ここに拾われて来たばかりの頃、自分には何もなかった、言葉通りの身一つで、名さえ音のみ借り物だった、ならばと笑って彼は言った、――これが君で、これが私、一枚の半紙に流麗な筆致で並んだ二つの名、彼の人に習い覚えた最初の文字を、呼び慣れた号とは違うその面映ゆい響きを今宵口にする、
「――……、」
浅い呼吸に肩を弾ませながら、彼の手が少年の頬に触れた。涙に濡れた表情が少年を見詰めてただ微笑する。少年は万感に任せて彼を抱き寄せた。例え場末に朽ちたところで極楽行きの手形など下りる筈もない我が身の業、けれどこうしていま、この腕の中にこの人がいる、それ以外の極楽なんて天上天下どこにも在りはしないと思えた。