輪廻の果て2章
一話
幾度も降り急ぐ桜、紅葉、雪を眺めては、色を無くした世界へただ絶望だけを感じていた。
魂の片割れ。そういっても過言ではない。臨也は赤い満月を己の自室から眺め、己の意思など関係なく涙を零す。
臨也の零した雫が、酒の満たされている杯へと落ちていった。広がる波紋はやがて消え、また静かな水面を築く。
彼女の最後の言葉が離れない。彼女の最期に見せたあの笑みが忘れられない。
「みかどくん・・・」
小さく呼んだ声はけれども、誰も応えることはない。
その臨也の背中を哀しそうに、蔑むように、憐れんでいるかのような瞳を向けている妖怪がいた。
その妖怪の傍で大きく黒い影が蠢き、何かその妖怪に訴えかけている。
妖怪は苦笑すると、その影を一撫でしゆっくりと臨也の方へ近づいていった。
「臨也、ちょっといいかい?」
臨也は声のした方に振り向くことなく、赤い満月を見上げるだけ。
新羅はため息を隠さず吐くと、どこからか持ってきた酒壺を臨也の頭上からなみなみと零していく。
透明な液体が臨也を濡らし、畳に染みを作っていく。ゆっくりと臨也が新羅の方を振り返った。
赤い禍々しい色の瞳が、薄暗い部屋の中で底光りし、新羅を射抜くように見つめる。
本能的な畏れが新羅に襲いかかるが、ここで逃げてしまえば一生臨也はこんな死を望むような暮らしをしていくだろう。
流石にそれは、新羅にとってはどうでも良いことだが、新羅の恋人が許すはずがない。
「頭、冷えたかな?」
「新羅・・・お前・・・っ」
ひしひしと肌に突き刺さるような妖気に、新羅は冷や汗を掻く。意識を自分の後ろに飛ばせば、恋人がいるのでもしもの時にはその影で庇ってはくれるだろう。
(今はまだ僕だけで頑張れってことだよね~)
トホホ、と思いながら新羅は拳を握り、出来るだけニッコリと笑みを顔に貼り付ける。
「馬鹿じゃないの?たった1人、しかも人間の小娘が死んだくらいで。いつかくる別れを覚悟していたんだろう?
それなのに、実際はどうだい?暗い部屋で毎晩毎晩酒に溺れて、みっともないったら無いね」
次の瞬間、新羅の身体が吹っ飛ばされ鈍い音が響いた。新羅は体中に走るあまりの痛さに視界が歪む。
臨也はゆっくりと立ち上がり、新羅に向かって一歩一歩と進んでいった。新羅はあまりの妖気に息を呑む。
流石は強大な妖怪軍団を率いる若き長、ぬらりひょん。その威圧的な妖気に新羅は空笑いを零した。
(笑えないってこの状況・・・)
すると、新羅の目の前で真っ黒な影が飛び出し、新羅と臨也の前に立ちはだかる。臨也は眉を潜め、新羅は助かったと心の底から囁いた。
「どけ、影法師」
『どけない』
影法師の言葉は直接他の妖怪達の頭に響く。臨也は奥歯を噛み締めると、赤い瞳を更に光らせ、影法師とその後ろにいる新羅を睨み付ける。
ざわざわと底冷えするような風が臨也の後ろから吹き、影法師と新羅を撫でつけ恐怖を煽る。
「もう一度言う。どけ影法師」
凛と響く、重々しい言葉に影法師も拳を握しりめる。そうでもしないと、その場に崩れ落ちそうだったから。
『どけない。こいつの言いたいことは私の言いたいことでもあったから』
ぴくっと臨也の手が跳ねる。苦々しいように新羅と影法師を見つめ、そしてふっと力を抜いた。
途端に、先程まで溢れていていた怒気にも近い妖気がなりを潜め、風が止む。
「・・・頼む。もう、俺に構うなよ・・・。後のことは全てあいつ等に、妹たちに託した・・・もう・・・俺は・・・」
臨也はがくっと膝から崩れ落ち、その場に膝と手をついた。新羅は立ち上がり影法師と共に臨也の傍へとしゃがみ込む。
そっと、先程まで大きく感じていた、その小さな手に手をのせる。
「ねぇ、臨也。・・・これは憶測で、僕たちの勝手な思いこみだけど・・・彼女は、帝人ちゃんは君にこんな生き方をして欲しいと、
最期の時を迎えて欲しいと思っていないと思うよ」
臨也の肩が分りやすいほどに跳ねる。そんな臨也の姿に新羅は静かに瞳を閉じた。
「だから、彼女は最後の最期に『忘れて』と言ったんじゃないかな。君が、こんな思いをしないために」
静寂な空間に、慟哭を噛み殺すような嗚咽が響く。臨也は身体を丸めながら自分の手のひらをきつくきつく握りしめ、畳に打ち付ける。
「できるわけがないだろっ!忘れるなんて!できるわけっ・・・な・・・っい!」
じくじくと痛み出す行き場のない心の痛み。その痛みがのたうち這いずり回って臨也を苛む。
「・・・臨也。君は輪廻の輪を知っているかい?」
新羅の言葉に、臨也は反応を示さない。それでも構わず新羅は話し出す。
「輪廻。僕たち妖怪だけじゃない、生きとし生けるもの全てが死後、組み込まれる転生のための輪」
臨也は新羅が何を言いたいのか、何を言おうとしているのかまったくわからない。分りたくもなかった。
(放っておいてくれ・・・もう・・・俺は・・・疲れたんだ・・・)
泥沼のような暗い思考に囚われかけていたとき、新羅のある単語に臨也は顔を上げた。
「彼女も、もしかしたら転生をしているかもしれない」
「ぇ」
新羅と影法師が同時に頷く。臨也は新羅の肩を掴むと激しく問いただした。
「それどういうこと!?ねぇねぇ!また、また帝人君に会えるって事!?そうなのか新羅!答えろよっ」
「そ、そうだよっ・・・っていうか苦しっ苦しいっていざやっ」
「あ、ごめ・・・で!?」
臨也は新羅から手を離した後も、必死に新羅に食いつく。そんな臨也の行動に新羅と影法師は心の中でホッとした。
(悲しんで無気力でいるより、こっちの方が良いに決まってる)
「僕たち妖怪は死んでから100年くらいで転生する。それは君の方が知っているんじゃない?前世の記憶持っているでしょ君」
「・・・持っている」
「そ。まぁ、人は記憶を持っているかどうかは分らない。でも、こうして転生している妖怪が実際いるんだ。
生き物全てが通る輪廻の輪に人間が入っていないはずがあるわけがない」
「と、いうことは・・・」
「そ!彼女も、帝人ちゃんも・・・・絶対に転生するよ」
新羅の言葉に、臨也は一筋の涙を流した。けれど、それは先程の哀しみと絶望、諦めの涙ではない。
「・・・新羅、俺・・・」
「探しに行くんでしょー?」
「っ」
新羅と影法師は親指を立てながら、いってらっしゃいと囁いた。
臨也は歯を噛み締めて、泣き出しそうになったが何とかその衝動を耐えて、立ち上がり後ろへ振り返った。
「・・・・恩に着る」
新羅と影法師は顔を見合わせる。影法師に顔は無いのだが、新羅には彼女が微笑んでいることが手に取るように分った。
「いいよ~別に。あ、お礼の気持ちがあるんならその土地の特産物を送ってよ」
「あつかましいねお前」
「こういう神経してないと君と渡り合っていけるわけがないよね」
「確かに」
臨也は帝人が死んでから漸く笑みを浮かべた。その笑みを自分でも不思議に思いながら、赤い満月を見上げる。
(忘れるなんて、できっこないんだよ。帝人君・・・)
それがたとえ果てしない孤独と、永遠の虚無感をうむ旅路だとしても。
(それでも俺は君を望む・・・)