24時間の恋
彼の赤みがかった瞳をじっと見つめる。
視線に気づいた彼は微かに笑って、そうやってじっと見るの、癖?問いながらゆっくり手を伸ばし、また優しく僕の頭を撫でる。撫でたその手が今度は離れず後頭部へと廻され、彼へと引き寄せられた。
顔が近い、そう思った時には唇が触れて、すぐに離れる。
額をコツン、軽く合わせて目瞑れよ、小声で言われてから初めてキスをされたのだと認識した。
「…折原さんからしても意味な、…いんじゃ、」
言いかけている途中にも二度、三度と唇が軽く触れて、離れる。
「…臨也でいいよ。」
「…、」
「…笑うとこ?」
「…いえ、」
まだこだわってたのか、そう思うと笑いがこみ上げてきてしまった。
すみません、笑いを堪えながらも一応の謝罪をすると少し不貞腐れた様な表情をした彼がまた唇を寄せ、離ればなに柔く唇をはむ。驚いて反射的に頭を離そうとするも彼の手に抑えられ叶わず、愉悦に染まった彼の瞳が眼前に迫ったと思えば今度はペロリと唇を舐められた。その行為にもだが、随分と楽しそうな彼の様子にも驚く。
「っ余裕、ありますね?」
「…無いよ?正直に言えば早く君からキスして欲しいと思ってる。死にたく無いし。あと何分?」
「あと…ジャスト1分です。」
「余裕もクソも、もう時間無いし。それにもっと正直に言えば、」
「今日会ってからずっとこうしたかった。」
だからもうちょっと黙ってて、言うやいなや唇を塞がれ、それは今度は触れるだけでは無いのだと経験の無い僕にでもわかる勢いで。舌がぬるりと進入する感覚に背筋に何かが走った気がした。
「…っふ、」
口内を味わうかの様に丁寧になぞり動く舌が僕の舌を捕えて絡み、顔の角度を変える度に離れ、また捕われる。背中はぞわぞわと寒気に似た感覚がするのに顔が異常に熱いし、心臓はうるさいし、脳内は沸騰している。
彼の手首を掴んではいるがその手が震えて力が入らない、羞恥を煽る水音と吐息だけが部屋に響く、その音と触れる感覚だけに意識が集中する、何も、考えられない。
何も考えられないなら、もういいかな、他の事は全部後まわしにしても。
そんな言い訳めいた考えが働かない脳内に浮かべば唇を離され、息を整えながら目を開けば、彼がじっくりと僕の顔を見つめていて。
思ってたより間抜けだけど思ってたより悪くは無い最期かも、なんてふざけた事を嬉しそうに言うものだから。
彼の顔を両手で力任せに引き寄せ、乱暴に唇を寄せた。
目を見開いて驚く彼の表情を見て満足したところで意識が急激に薄らいでいき、同時に彼が体勢を崩したのを見るとこれは薬の効果なのだろう、今一体何時なのか間に合ったのか。
せっかくキスしたんだから間に合ってないと困る、そこまで考えて堪えきれず瞼が落ちる。
瞼を閉じて最後の最後、感覚のみではあったが僕の手を暖かい何かが覆ったのを感じ取り、これはきっと彼の手だ、何故だかそう確信出来て、安堵して意識を完全に手放した。
翌朝、飛び起きてまず最初に確認したのは時間で、今日もテストだから遅刻する訳にはいかない。
まだ早朝である事にホッと胸を撫で下ろして、次に昨夜の事を思い出してハッとする。
彼の姿を一応ぐるりと目だけで探すが、何にしろ狭い部屋だ、一目で居ないとわかる。
「…」
静寂の中で今の状況を確認してみる。布団で寝ているし、電気も消えている。机を見ればいつも通り愛用のノートパソコンと数冊の本しか置いていないそんな、不自然なくらい、いつも通りの朝。
昨夜彼に出した筈のお茶を思い出して、台所の水場を覗いてみるがその形跡も無い。
彼は先に起きて、電気を消して僕を布団に運んでお茶も片付けて出て行ってくれたのだろうか、それとも、
「…夢?」
そんな馬鹿な。リアルな昨夜の記憶にそうは思うが、今のところ夢でないと判断出来る要素も無い。
証拠も無ければ証人も居ない。探せば昨日大通りや西口公園で一緒に居るのを見た人がいるかもしれないが、そんな事をしてまで確認したい訳でも無い。
釈然としないまま朝の支度を始めながら、呪い、いや惚れ薬の効果はどうなったのだろうかという事に思い着く。
取りあえず僕の頭の中は彼でいっぱいなんて事は無い、今現在気になってはいるが恋慕では無い、と思う。
彼の安否が頭を過ぎったが、夢なら夢だし現実なら片付けて出て行った、つまり生きている。
ならいいか、夢でも現実でも。
彼の気持ちがどうなったのかは知らないが、何も言わず形跡も残さず出て行った事から察するにおそらく薬の効果が解けてその上で、無かった事にしよう、そういう事なんだろう。
少し寂しい気もしたが、確かに昨夜の行為を思い出せば昨日の今日で顔を合わせるのは気まずいというか恥ずかしいし、僕にも異存は無い。無い、けど。
「…、」
それでも何故か一抹の寂しさを感じながら支度を終えてドアノブに手を掛けた時、鍵が開いている事に気づく。
後押しとばかりにその後、ゴミ出しに出てきた階下の住人と目が合い、朝の挨拶ついでにそういえば昨夜ドンドンうるさかったけど何かあったんですか?と問われすみません、謝りながら顔が緩むのがわかり、咄嗟に下を向いて隠した。
やっぱり夢じゃなかった、それがこんなに嬉しいなんて。
確かに滅多に無い経験をした、あのふざけた媚薬に少しだけ感謝する。
次に会った時には臨也さんと呼んでみようか、彼の複雑な表情が目に浮かび、笑う。
季節はこれからどんどん色鮮やかに変わっていく。たった24時間の恋ではあったが、彼の記憶に少しでも色鮮やかに残ればいい。