24時間の恋
チッと顔を見るなり嫌そうに舌打ちされ、可愛いと言いつつどうして俺がこんな貧相な子供と、と何かの葛藤ついでに貶された。寝入りを起されたのもあり、かなり気分を害されて感傷的な気分はどこかへ飛んで行ってしまった。別れ際の僕の気持ちを返して欲しい。
電気を点け彼を中へと促し、珍しく焦っているらしい彼を落ち着かせる為に粗茶を出して、何があったのかと問えば今度は僕が焦る番だった。
「…い、嫌ですよ僕…だってこれ、下手したら、」
「…俺だって嫌だよ、でも時間が無い。」
恨むなら矢霧波江を好きなだけ恨めばいい、ただし後で。
そう告げる彼の形相が本当に事態は急を要するのだと証明している。
事の真相と成り行きはこうだった。
まず惚れ薬を用意したのは矢霧波江さんで、本当のターゲットは言わずもがな彼女の弟、矢霧誠二くんだった。
折原さんと彼女がどんな関係なのかは敢えて訊かなかったが、彼女の用意していたその惚れ薬入りのクッキーをお茶請けと間違えて食してしまったらしいので、日常的に関わっている近しい関係なのは確かなのだろう。
彼女と僕は過去に少々因縁があるのでそうなった経緯が気にならない訳では無かったが、そんな事は今はどうでもいい、問題はそこからだった。
その惚れ薬というのが思った以上に厄介で、言ってしまえばこれはもう惚れ薬などという嘘臭くも可愛いらしい代物では無く、最早呪いと称した方が正しい。
『薬を摂取した翌日の0時から24時の間、好きな人に接吻して貰わなければ永遠の眠りにつきます。その後二人は末永く幸せに暮らしました…めでたしめでたし。』
例えば美女と野獣、シンデレラ、眠り姫。様々な童話をチャンポンした様なその惚れ薬の説明書は古びてボロボロな上にラテン語で書かれていたらしく、何とか解読出来た部分から推測するとそんなふざけ半分の内容であったと彼は苦々しい表情で説明した。確かに『…めでたしめでたし。』の部分がやたらと鼻につく。
その好きな人とやらの選択については、矢霧波江さんがその薬を買い取った怪しい古物商からの説明によると、摂取した日の就寝直前、要は最後に思い浮かべた相手、と酷くいい加減なものだった。
摂取した当人が好いているなら頻繁に思い浮かべている筈だし、惚れさせたいのならその人の就寝時に側に居ればいい。
無茶苦茶だ、思わずそう漏らすと彼はジャケットから一目で年代物と判る小瓶を取り出し、この容器から考えて錬金術が流行した13~19世紀、中世ヨーロッパの時代に遊びで作られたものではないかと付け足した。
「錬金術で媚薬を造ったなんて話は聞いた事が無いけど遊びなら有り得ないとは言い切れないかもね。まぁデュラハンが実在すると知ってなかったら到底信じられないけど。錬金術が流行った当時は科学と魔術が入り混じってた時代だ、自然科学の学問として学ぶ者も多く居たらしいけどそれと同じくらい胡散臭い呪術師や魔術師もたくさん居たみたいだし、異形の力を借りれば不可能じゃないかもしれない。矢霧波江も弟の事になると全く予想外の真似をしてくれるよ。」
とんだとばっちりだよ、力無くごちる彼を見て同情しながらもそれはこっちの台詞だと思わずにはいられなかった。
何しろ効果は彼で証明されている。接吻…は確かに抵抗はあるが出来ない事では無い。
と、思う。した事無いからわかんないけど。した事無いのに。
問題はその後、永遠の眠りが死を意味するのか、それを避ける為に接吻をした場合これから先僕は一体どうなってしまうのか。
「い、嫌ですよ僕、頭の中が折原さんでいっぱいなんて事になったら、こ、困ります…!」
「そうなると決まった訳じゃないよ。見殺しにするつもり?」
「そ、そんな事言ったら、死ぬと決まった訳でも無いじゃないですか?」
「死なないって言い切れる?俺はまだ死にたくない。」
こうやって机を挟んで彼と言い合う間にも刻限はジリジリと近づいている。
仮にも知り合いだしそもそも人死になど見たく無い、見殺しにしたくも無い、したくは無いが。
僕はまだ誰とも付き合ったりした事なんか無いけど普通に付き合ったりしたいし、将来いい人が居れば普通に結婚したいとも思っているし、一応今現在淡い気持ちではあるが想い人もいる。
そういうものが全部、この選択で変わってしまうかもしれない。
人命が懸かっているかもしれないのに薄情かとも思うが、そう簡単に決断出来ないのは当然じゃないだろうか。
大体彼はどうなんだ、命が懸かっているのだから他に選択肢が無いのは解るが、でも結局命が助かったところで彼の呪いは解けない訳で、その相手が僕なんて不本意には違いないだろうに。
おずおずと顔を上げれば、いつの間にか隣に移動していた彼とばっちり視線が合う。距離が近い。
もしかしてずっと見られていたのだろうか、心臓がまた勝手に、今までに無く早鐘を鳴らし始めて、うるさい。
当然顔も赤いに違いない、なのに彼はからかいもせず、その瞳は真剣そのもので。
「…君の考えてる事は今の俺にはなんとなくわかるって言ったよね。」
「確かに君にとっても相当に理不尽な決断を迫ってるって事もわかってる。」
「…俺だって確かに不本意だ。期間限定なら楽しめたけど、一生こんな気持ちを抱えていくなんて俺の生き方には不似合いすぎる。ましてやその相手が君なんてね。」
そこまで言われてああやっぱりな、と思うと同時に、少なからずショックを受けている自分が居る事に驚いた。
心臓が徐々に落ち着いていき、頭が冷静になっていくのが分かる。時刻を確認しなければと時計に目を向けて、
「でも君で良かったとも思ってる。」
シズちゃんや波江さんだったら手の打ち様も無かったしね、天敵の名前を出した時のみ少々憎悪を滲ませ目を細めながらも、彼の声音は穏やかで優しい。
現在時刻午後11時55分、視線をまた彼へと戻す。今の彼の言葉がよく、理解出来ていない。
「…意外って顔してるね。確かに俺は人間が好きだし、基本的にそこに差異は無い。」
「でも好ましいタイプとそうでないタイプくらいはあるし、特に君には興味もあった。」
「慎重で臆病だけど基本的にお人好しで綺麗事が好きで、好奇心が異様に強くて。」
「賢いのに愚かしい、良識の奥に抑え込んでいる激情がある。」
「その危ういアンバランスさが結構、」
好きだと思ってた。
「…」
「…勿論そういう意味での好意じゃ無いよ。」
「…あ、はい、それは…わかってます。」
驚いた。そんな風に思われていたのか、僕はてっきり、何しろ彼は有名人だし世界の違う人だ、彼にとっての僕なんてちょっと興味が沸いて少し関わった事があるくらいの、それこそ有象無象の一人だと思っていた。
勿論この状況だ、多少良く言ってくれているのだろうけど、完全に嘘でない事くらい何となくわかる。
じゃあ僕はどうだろう、僕は彼の事をどう思っているんだろうか。
胡散臭いとは思っていた、何より幼馴染みの反応を思えば簡単に信用してはならないとも思っていた。
しかし個人的に好きか嫌いかと問われれば、僕は彼を。今の僕は今の彼を。
死んで欲しく無いと思うくらいには。