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一九九九年九月二十六日消印

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毎年、夏になると彼から手紙が来る。
手紙と言っても封書ではなく絵葉書の類で、旅先で買ったのであろう土産物のポストカードに、一言暑中見舞いが書かれているだけの素っ気無いものだ。彼の文字は金釘流の、日本語というよりは何かの記号のようで、おもて面に天貴史様、と大きく宛名があり、その横に一回り小さく住所が添えられている。そして必ず、左下に横書きで、赤木しげる、と署名があった。
厳密に何日と決まっているわけではない。八月のある日、錆の浮いた褪せた緑色の郵便受けを開けると、コトンと音を立てて葉書が一枚落ちてくる。そんな習慣が、長く続いている。

赤木しげるは毎年夏になると、一週間ほどの旅行に出る。日本国内のこともあれば、外国、それもメジャーなハワイやグアムなどの観光地であることもあり、ちょっと変わったところでは、アイスランドやチベットに行ったと語っていたこともあった。元々特に定住地も無く、年がら年中旅をしているような生活の男だったが、夏の旅行だけは少し特別であるらしく、大概同行者は無く、独りで出かけているらしかった。
最初に葉書が来たのは、東西戦の翌年のことだった。
それはラベンダー畑の写真の絵葉書で、おもて面のメッセージ欄に、一言だけ、今年の夏は暑いので北海道に来ている、と書かれていた。
赤木が何を思ってそんな風に手紙を出そうと決めたのか知る由もないが――多分いつもの気まぐれなのだろう――天はラベンダー畑の真ん中に立ち、紫色の花穂を揺らす涼風に目を細める赤木を想像して、勝手に嬉しくなったものだった。
それで次に逢った時、嬉しかったと繰り返した所為もあってか、翌年も翌々年も、天の家には赤木からの暑中見舞いが舞い込むことになったのだ。
そしてそれは、今に至るまで続いている。
そう、続いているのだ。
――赤木しげるが死んだ今も。

正確に言えば、一度だけ投函が途切れたことがあった。
赤木の死の翌年、二〇〇〇年の夏だ。その前の一九九九年の夏、すなわち彼が死ぬ一ヶ月前にも葉書は届いていた。ひどく印象的なものだったので、天はよく覚えている。
一九九九年の葉書は、絵葉書ではなかった。
おもて面にはいつもどおり宛名と住所と署名があり、さて今年はどんな風景かとひっくり返すと、そこには何も無かった。真っ白な、何の変哲も無い官製葉書――。
見た瞬間、嫌な汗がじっとりと流れた。ボロアパート備え付けの集合ポストの前で、天はしばし立ち尽くして、白い手紙の意味を考えた。植え込みのくぬぎの木から、油蝉が悲鳴のような声をあげている。
今年はどこにも行かなかったのだ。それだけは辛うじて推測できた。
どこにも行かず、天にも逢わず、赤木は何をしていたのか。それは、約一ヵ月後に知られることとなる。

その二年後の二〇〇一年、八月。
嫁の一人が郵便受けから取ってきた、数枚の暑中見舞いに紛れて、それはひっそりと天の元へ届いた。
いつもどおりの宛名、住所、そして署名。赤木しげる、と紋様のようなその文字。ひっくり返すと、夕景のアクロポリス、沈みゆく太陽を背に、白い神殿が揺れていた。神殿の柱の影に、一人の男が立っている。夕陽に照らされ全身が緋色に染まっているその男の、顔は逆光で黒ずみ、影に溶けていた。
誰かの悪戯――それにしては悪質なのか愉快犯なのか、まして天を悲しませたいのか慰めたいのかの意図もわからない。嫁たちは、いずれにせよ失礼な行為だと怒ったが、対して天は、いいじゃないか、と穏やかな反応を見せた。赤木が生きていて、世界のどこかを今も旅しているようだ、などと感慨を覚えるわけでもなかったが、天は何となく心が浮くような気分になっていた。
手紙をもらうということは、ただそれだけで、嬉しいものなのだ。
その葉書の消印は、一九九九年九月二十六日となっていた。

二〇〇二年以降も、手紙の投函は続いた。
二〇〇二年、パリの絵葉書。ノートルダム寺院から見た家々の屋根。二〇〇三年、セントルイス、誰も居ないカーディナルスのブッシュ・スタジアム。二〇〇四年、バッキンガム宮殿。マッチのような近衛兵が五人、横一列に並んでいる。二〇〇五年、夜のストックホルム旧市街。煉瓦造りの古い家並みが、琥珀色の灯に包まれ暖かに眠っている。二〇〇六年、アントワープ。ジョス・スカッデの証券取引所。二〇〇七年、再びパリ。テュイルリー庭園の白い観覧車。
この一連の流れを、数人で集まって呑んでいた時に話したところ、金光と井川が、夏季オリンピックの開催地の順ではないかと言い出した。確かにその通りだった。次にアムステルダム、その次にロサンゼルスと続いたことがそれを証明した。だが、それがわかったから何だというのだろう。
いずれも消印は、一九九九年九月二十六日だった。



二〇一五年、オリンピック開催地の周期どおりならば東京の写真が送られてくるはずの年。
その年は、八月を過ぎても手紙が来なかった。
いつもより暑い夏だった。毎年誰が何の意図で寄越しているのかもわからない謎の葉書は、それでもそれなりに夏の風物詩のひとつとして、嫁たちやまわりの人間も楽しみにするようになっていたので、来ないとなれば落胆する者も多かった。彼らの結論は、悪戯の主の身辺に何かあって途切れたのだろう、という漠然としたものだった。
天は、黙って彼らの予想を退け、秋に入っても独り、郵便受けを確認するのを日課にしていた。何か確信があるわけではない。天に何故と訊けば、そうしたいからそうしているのだという答えが返ってくるだろう。
そして十一月、街路樹の葉もほとんど落ちた頃のことだった。
夕方、出先から戻った天が家路を歩いていると、反対側から一人の青年が歩いてきた。西日を背負って顔は暗く、表情は見えない。
「あの、すみません」
「……何? どうしたの」
青年は天に声をかけてきた。その声は静かで抑揚が無く、けれど耳を通り越して頭蓋に響くような、不思議な印象があった。
「このあたりに、天さんという方のお宅があると伺ったのですが」
「……天は、オレだよ。このあたりにその苗字は、オレしか居ない」
天がそう答えると、青年は手持ちの小さな鞄から、葉書を取り出した。
「これを預かっていました。遅くなって申し訳ありません。家が見つからなくて」
「ありがとう。家は、去年の秋に改築したんだよ。だからわからなかったのかな」
青年は天の分厚い手のひらに葉書をそっと乗せると、鞄を肩にかけ直し、ゆっくりと踵を返し、一瞬天の顔を見た。赫い瞳。
「――相変わらず、いい目をしている」
青年は、冬空に輝く凍てついた星のような静謐さでそう呟くと、沈みゆく太陽に向かって歩き始めた。彼の姿は夕陽を反射して、金色に揺らめいている。天が見守るうち、その姿がふと木陰に入ると、青い影の中で赤く染まっていた髪が白に戻った。
その時初めて、あ、と声が出た。渡された葉書を見ると、いつもの金釘流の文字が目に入った。